12.16
師走のご挨拶
早いものである。2024年の師走も半分が終わった。あと2週間もすれば、
「あけましておめでとうございます」
の声と一緒に2025年が始まる。
「えっ、もうそんな時期なのか! 『あけましておめでとうございます』とあいさつを交わしたのはつい数日前のような気がするのに……」
齢を重ねるにつれて1年がどんどん短くなる気がする。何故だろう?
何かの本でで読んだか、あるいはテレビで誰かがしゃべっていたのかは忘れたが、こんな説が頭に残っている。
「10歳の子どもにとって、1年とは生きてきた期間の10分の1である。75歳の男にとっては75分の1。10分の1と75分の1を比べれば、75分の1のほうがずっと小さい。1年が短くなるのはそのためである」
何となく
「なるほどなあ」
と頷いた私であった。
その、先生も走り出しているらしい2024年の師走の一昨日は、2人の「日本一」と酒席を持った。いずれも桐生の人である。
1人は、横振り刺繍で新しい美の世界を切り拓いてきた大澤紀代美さんである。刺繍の背かで初めて「現代の名工」に選ばれ大澤さんは今でも作品を生み続けており、この人を日本一の刺繍作家といってもどっからも文句の出ようがない。
たいま1人は、左官の野村裕二さんだ。日本政府がアジアの3カ国から日本の左官技術の伝授を頼まれた時、左官業界のドンから
「野村さん、そんなことができるのはあんたしかいないよ」
といわれてラオスをはじめとするアジア3国に伝道師として行った人だ。日本を代表する左官、日本一といってもいいすぎではあるまい。野村さんも「現代の名工」である、
きっかけは、「きりゅう自慢」を執筆するため、私が野村さんを取材したことである。取材の最終日、
「やっと一段落つきました。野村さん、忘年会をやりませんか?」
と持ちかけたのは私である。快諾をいただいて雑談を続けいていたら、大澤紀代美さんの話が出た。
「もう30年前、私の先輩に当たる左官職人が『現代の名工』に選ばれましてね。私も表彰式場までお供したんですが、その先輩と一緒に『現代の名工』に選ばれたのが大澤紀代美さんでした。言葉を交わす機会はなかったのですが、お姿を見て、横振り刺繍一筋でやって来られて新しい境地を開いた方『やっぱり常人とは違うな』と強い印象を受けましてね。いつかはお話ししてみたいと思っていたのですが、なかなか機会がなくて」
野村さんはそんな趣旨のことをおっしゃった。
人と人とを繋ぐのも、記者たるものの役割のひとつだろう。野村さんと大澤さん。この2人なら話が合うはずだと考えた私は提案した。
「じゃあ野村さん、忘年会に大澤さんも呼びましょうか?」
「えっ、そんなこと、できるんですか?」
「ええ、大澤さんとはしょっちゅう呑んでます。いや、大澤さんは酒は飲めないけど、酒席はお好きなようですから、ほかに外せない用事がなければ来てくれますよ」
というわけで飲んだ。午後6時からの約束だったが、野村さんはずいぶん前に来て待っていたらしい。30年も憧れ続けた10歳年上の女性に会える興奮のためか。
席に着いて乾杯を交わした直後の野村さんは、私が取材した野村さんとは少し違っていた。何となく声がうわずっていた、あがっていたのだろう。ま、それもしばらくすると普段通りに戻り、楽しい会話が続いた。挙げ句、西伊豆にある「伊豆の長八美術館」が話題に上り、いつの間にか3人で出かけることになったのだから、席は盛り上がったのである。
さて、いつ頃出かけるのかな? いまは野村さんからの連絡待ちである。