2025
01.03

謹賀新年

らかす日誌

あけましておめでとうございます。皆様におかれましては2025年、どのような新年をお迎えになりましたでしょうか?

桐生の元旦は雲ひとつない快晴。何度か使ったと記憶しますが、

今年こそ何か良いことある如し 元旦の空 晴れて雲なし

まあこれは、石川啄木の

何となく今年はよい事あるごとし 元日の朝、晴れて風なし

パクリでありますが、そんな風景でした。
もっとも、腫れて雲ひとつない(風でも同じですが)元旦を迎えたのは私だけではないわけで、小さくいえば桐生市の人全員がそんな元旦を迎えたわけで、だとすれば、よいことがない人だっているはずではないかと思いますが……。
さて、私は良いことがある人になるのか、ない人になるのか。どんな1年になることやら。

私はあまり歳時を重んじない。正月も盆も1年のうちのある日、という程度に考える。だから我が家にはおせちもない。これほど冷蔵庫が普及した時代である。なにゆえに、正月に家事から解放されるための保存食として伝えられてきたおせちを食べねばならないのか? いまでは数万円もするおせち料理が売られているが、買う人の気が知れない。だって、美味しそうなものがないではないか! ちょいと台所に立って冷蔵庫を空け、パッパと調理した方が美味いものを食べることが出来るではないか。

ただ、正月になると食べたくなるものが私にもある。数の子雑煮である。大晦日の夜はふぐちりを食べたので、元日の朝食はフグ雑炊にした。雑煮は元日の昼食とし、妻女殿の指示で私が調理した。妻女殿は餅ひとつ、私は2つ食べた。糖質制限食を続けている私ではあるが、まあ、元日ぐらい餅を食ってもいいだろう。そして夜は、数の子をポロポリかじりながら酒を飲んだ。

2日は四日市の長女一家がやって来た。妻女殿の体調のため我が家に泊めることができないので、彼らは桐生駅前のホテルを取っての年賀来訪である。型どおり、啓樹と嵩悟にお年玉を渡し、啓樹には

「お前は間もなく成人式だ。よってこれが最後のお年玉である」

と言い渡した。
困ったのは夕食である。本来なら我が家で和気藹々の夕食を取るのだろうが、妻女殿の体調ではそうもいかない。自ずから外食しか選択肢がない。でも、正月の2日に営業している店があるか?
時折酒を飲みに行く数店に聞いてみたが、やはり2日はお休み。やむなく、小耳に挟んだイタリア料理店を予約した。あと30秒歩けば足利市に入るという桐生の外れにある店である。

混んでいた。正月も2日となると、外食をしたいという家庭が結構あるようだ。満席状態で、恐らく店員の数が足りないのだろう、なかなか注文した品がやってこない。ビールを頼んで、さて待ったのは5分だったか、10分だったか。
味? そんなものは期待するだけ無駄である。この店のメリットは1月2日の夜に店を開けていることだけ、というところである。それなのに、ワインを2本も空けてしまった。

啓樹は回路設計を専門にしたいらしい。

「そんなもん、いまごろ仕事があるのか?」

と聞いたら、これがあるらしい。エレキギターに繋ぐアンプの回路設計の専門家は引く手あまたらしい。うろ覚えだが、1959年生のギブソン、レスポールが出した音(アンプは何だったのか?)がその道の専門家の理想なのだそうで、その音を再現したいと様々なアプローチが試みられているそうだ。だが、まだ理想には届いていないのだという。

「だからね、ギブソンもフェンダーも、アンプの回路設計ができる人材を求めてるんだよ」

ほう、そういうものか。

啓樹は中学生のころ、英語によるスピーチコンテストに出ることになって最初に選んだテーマが

「Music is my Life」

だった男である。さすがに担任に

「それはまずいよ」

といわれて原稿を書き直したそうだが、確かに今の啓樹を見ていると、Music is his Lifeといいたくなるほど音楽にのめり込んでいる。年末に中古のマーチンD-28を手に入れるために午前1時から店の前に並んだのもそのためだ。本人にいわせると、ギターもベースもドラムもできる。ポール・マッカートニーは一時、全ての楽器を自分で演奏して編集、そこにボーカルを乗せてレコードを作っていた。いってみれば、啓樹も同じことが出来るのである。

「お前、曲も書いてるのか?」

と聞くと、平然として

「うん」

と答える。こいつ、どんな大人になるのだろう?
私は

「おい、大学の勉強もしてるんだよな」

と念を押すのがやっとであった。

長女一家は今朝、桐生を発った。啓樹から電話が来たのは午後4時半頃だった。

「浜松に着きました」

何でも、御殿場あたりで高速が渋滞して時間がかかったのだという。啓樹を浜松で降ろした次女一家から無事に四日市に到着したとの知らせが来たのは午後6時半だった。

ま、そのようにして三が日が過ぎた。
皆様はどんな三が日をお過ごしだったのでしょうか?