2025
03.04

児玉が死んだ。

らかす日誌

児玉が死んだ。2日のことである。昨夜、私の長男から知らせがあった。

児玉とは、先に東京・新宿で、のちに渋谷でスペイン料理のレストラン「ラプラーヤ」を経営していた児玉徹である。通称カルロス。私の「グルメらかす」を監修してくれた友である。

全身に、がんが散らばっていたらしい。どこが原発かもわからなかったと聞く。それまで放っておいて、見つかったときは手の施しようがなかったと聞く。

それを知らせてきたのは息子である。

「児玉さんがやばいんだよ」

見舞いに行こうと思っていた。いや、最後の別れに行くべきだと思っていた。だが、我が家には心臓手術から魔がない妻女殿がいる。先々週はあきらめた。先週行こうかと思ったが、妻女殿は食欲不振で体力が衰え、医者で点滴を受けた。その妻女殿をおいて当キュに行くわけにはいかない。

先週末から、妻女殿の体力が回復したように見えた。これなら自力で家事ができると判断して、今週末、最後の別れに行こうと思っていた。

「児玉さんが「死んじゃったよ」

と長男から電話が来たのは一昨日の深夜だった。どうやら長男は電話の向こうで泣いていたようだ。
長男と児玉が知り合ったのは、私を介してである。だが、長男は児玉に惹かれたらしい。父親であり私に見出せないものを児玉に見出していたらしい。いってみれば、第2の父親として児玉を慕っていたようである。

児玉は病院で息を引き取ると、直葬されたそうだ。葬儀はせず、直ちに焼き場に運ぶ。おそらく、それ遺言だったのだろう。見事な死に様である。

先週の月曜日、児玉が突然電話をしてきた。弱々しい声で、おそらく私に最後の仁義を切ったのだろう。その電話を受けて、先週末に東京に行っておれば、最後の顔合わせはできた。だっが児玉は

「来んでもよかけん」

といった。弱り果てた自分を見せたくなかったのかもしれない。

今日は、これだけに留めておく。そのうち、こだまの思い出を書くかもしれない。書かないかもしれない。
いまはこだまの冥福を祈るしかない。