03.09
児玉と初めて会ったのはいつだったろう?
あれは確か、私が証券担当の貴社の時代だったから、1988年か9年のことだった。確か私は企業アンケートの取りまとめを命じられ、数日間、築地の朝日新聞本社に詰めっきりになった。その仕事をサポートしてくれたのが、学生アルバイトのKa君だった。その間、毎日彼と夕食を共にした。
「大道さん、推しいいスペイン料理が新宿にあります。今日はそこにしませんか?」
と誘ったのはKa君だった。
「スペイン料理? 食べたことはないが、どうせ油っぽいんだろ? それはごめんだな。やっぱり和食のほうがいいぜ」
と答えたのは私である。だがKa君は執拗だった。
「大丈夫ですよ。そんなことはありません。食べたことがなかったら、一度ぐらいは食べてみてもいいじゃないですか」
とうとうKa君に押し切られ、あまり気が進まないまま、会社のハイヤーで新宿まで行った。
夜だからはっきりはわからないが、なんだかオンボロに違いないビルの、確か2階に「ラ・プラーヤ」はあった。
「こんちは、カルロス」
とKa君が声をかける。カルロス? カウンターの中にいるのはどうみても日本人じゃないか。それとも日系スペイン人? その摩訶不思議な人物が声を出した。
「お、久しぶりやね」
ん? 流暢な日本語ではないか。こいつ、いったい何者だ?
それがカルロスこと、児玉徹との初対面だった。
その場を取り仕切るのはKa君である。
「カルロス、いつののようにお願いね」
ということはあれか? Ka君は学生の身分でありながら、この店にしょっちゅう出入りしているのか? 学生ってそんな金持ちなのか?
カルロスが私に聞いてきた。
「ワインは何になさいますか?」
ワイン? 私はそんなものを嗜んだ記憶がない。何にしますかと問われても、飲んだことがないのだから、答えようがない。
ただ1つだけ、うっすらとした知識があった。赤ワインというやつは相当に値が張るらしい。下手に注文して法外な料金を請求されたたらとんでもないことになる。
「あ、いや、俺はワインはよくわからないんだわ。だから白でいいよ」
白の方が赤より安い。うしてその日の夕食が始まった。美味かった。こんなに美味いものは食べたことがない、と言いたいほど美味かった。
パエリア、は初体験である。こんなに美味く米を食べさせる料理がスペインにはあるのか! 瑞穂の国はコメ自体の味で勝負し、スペインは調理法で挑むってか。
スペイン風の生ハムも未体験ゾーンだった。目の前にハムになった豚の脚がある。それをカルロスがナイフで薄く削ぐ。いやあ、普通のハムはもちろん食べたことはある。ホテルでの宴会で、メロンを包む「生ハム」だって口にしたことはある。だが、いま咀嚼している生ハムは、それらとは別世界の食べ物である。濃厚で、奥が深くて、噛めば噛むほど美味さが口の中に広がる。
私は諸体験で「ラ・プラーヤ」の味に惚れた。みすぼらしい店構えの割には料金は決して安くはなかったが、それからは月に1回程度は通ったと思う。
通えば、カルロスとの会話も始まる。
「ねえ、あなたは日本人かい?」
「当たり前ですよ」
「だったら、なんでカルロスなの?」
「いやー、出すのがスペイン料理ですから、やっぱりスペイン風の呼び名がいいかと思ってですね。はい、私は児玉徹と申します」
何度も会話を交わすうちに、彼の言葉に訛りを感じ始めた。だから聞いてみた。
「あなた、ひょっとしたら九州?」
「えっ、どうしてですか?」
「いや、俺は生まれは福岡県大牟田市、大学は九州大学なんだが、あなたの言葉に九州訛りを感じてね。違うかな?」
「うわー、よー分かったですね。はい、北九州市です。私も大学は九大ですたい。そんなら、大道さんは俺の先輩ですか?」
人生、至るところに出会いがある。新宿2丁目の薄汚いビルに入っているスペイン料理店。イヤイヤながら連れてこられたこの店で、大学の後輩に出会う確率はどれくらいあるのだろう? 100万分の1? 1000万分の1?
それが出会ってしまったのである。
この日の会話が、2人の間にあった壁をすっかり壊してしまった。長年にわたる私と児玉の蜜月がこの日から始まったた。