2025
03.09

3本で300万円のワインの話

らかす日誌

蜜月。具体的には、我が家への児玉の度重なる来訪という形で現れた。月1回ほどのペースではなかったか。来れば必ず泊まって行った。中でも私が名古屋に単身赴任した3年半は、私が横浜の自宅に帰省すると、必ず児玉が泊まりにきた。来れば酒である。我が妻女殿の料理に舌鼓を打ち、隣に住む義父が漬けた白菜漬けを

「うわー、こら美味かー。じいちゃんは名人たい」

と口に運んだ。
それだけではない。材料持参で料理もしてくれた。

「今日はフグのよかとのあったけん、買うてきた。天然のトラフグばい」

と持ってきた包を解き、台所に立つこともあった。

「フグ? お前、フグの調理免許は持っとっとか?」

児玉と話すと、どうしても奥に訛りが出る。そこはお許し願いたい。
だが、フグである。美味いが、毒を持つ魚である。お前、免許はないだろう。俺たちを毒殺するつもりか?

「なーんば言いよっとね。俺も料理人ばい。任せとかんね」

こうして3匹の天然トラフグは、刺身になり、ちりなって我が家の5人と児玉の胃袋に収まった。

またある時は、児玉の提案でわが家で小宴を催した。

「ワインば3本持って行くけん、あいつらば呼んどかんね」

あいつらとは、私と児玉を結びつけた朝日新聞のアルバイト、Kaくんとその仲間である。

「今日のワインは3本で300万円やけん、ちーっと楽しみにしとかんね」

この話はかつて書いたような気がするが、まあよい。どうせ記憶していらっしゃる方などおられないだろうと勝手に決めつけて、もう一度書く。

児玉が持ってきたのは1982年のボルドーワイン、1964年のリオハ(スペイン)のワイン、1955年の同じくリオハのワインだった。

「こん1955年が200万円たい。他の2本が合わせて100万円!」

私は、1本のワインに5万円も10万円も出す人の気が知れない。もちろん、気があっても金がないのが現実だから、飲みたい気持ちを押さえつけているとも言える。しかし、3本で300万円? 1本で200万円? 正気の沙汰ではない。私の懐が傷まないのが救いではあるが。

児玉の教えによると、複数のワインを飲むときは、新しいものから栓を抜く。だからこの日は1982年のボルドーから飲み始めた。児玉によると、これも1本数十万円のワインである。徒や疎かには扱えない。
が、呑兵衛とは、酒が入れば他のことに神経を取られることなく、重っったことを国血出す種族でもある。

「おい、このワイン、まだ熟成してないぜ。酸味が強すぎるし、何だか舌がピリピリする感じがする」

時価数十万円といわれるワインも、私にかかるとこの扱いだ。

「何ばいいよっと。これがボルドーの味たい。ワインば飲むとなら、それぐらい知っとかんね」

やがて2本目を抜いた。1964年のリオハだ。
リオハはピレネー山脈を挟んでボルドーと向かい合う地域だ。ある年、ボルドーの葡萄の木が病にかかり、ほとんど全滅しかかった。これはいかんとボルドーの人たちは健康な葡萄の木を疎開させた。その疎開先の1つがリオハであり、もう1つがカリフォルニアだった。リオハとボルドーは近い。気候の差はあまりない。だから、リオハではボルドーとほぼ同じ品質のワインができる。ところが、ボルドーが圧倒的なブランド力を誇るのに比べ、リオハは知る人ぞ知るワインの産地でしかない。そのため、同じ品質のワインが、ボルドーの3分の1の価格で手に入る。とは、児玉が教えてくれたことである。

その2本目のワインは美味だった。

「ほら見ろ。1本目と全然違うやないか。この絶妙のバランス。これが、お前が教えてくれたワインだろう。1本目はダメだ!」

ま、これもリオハ産にして数十万円だから、美味いのは当たり前と言えば当たり前である。しかし、金を払う必要がないのだから、これは他の何者にも影響されない絶対評価でもある。

やがて3本目、1955年産のワインを飲む時間になった。適量ずつ、全員のグラスに注ぐ。
私の前にあるグラスを持ち上げ、口に運んだ。200万円のワインが口中に広がり、喉をから胃に流れ込んだ。

「‥‥‥」

絶句した。本当に言葉が出てこなかった。これは、美味いなどという月並みの表現で表すことができる味ではない。しかし、口に運ぶものについて私は、美味い、以上の表現を知らない。これを、この味をなんと表したらいいものか。

1人、

「うわー、美味ぇ!」

と奇声をあげる男がいた。Ka君である。

「カルロス、このワイン、すごいよ。美味いよ。こんなワインもあるんだね」

ひとしきり感想を述べると、Ka君は1955年ワインのボトルを引き寄せ、思いっきり自分のグラスに注ぎ始めた。あ、お前がそんなに飲んだら、俺たちの飲む分がなくなるじゃないか。
杞憂ではなかった。本当に1955ワインがなくなった。私が飲んだのは、最初にグラスに注いだ分だけである。思い出すとKaをぶん殴りたくなるが、殴ったところであのワインをもう一度飲めるわけではない。いまだにKaを殴らない私である。

ところで。

「児玉よ。200万円もするワンをどうやって手に入れたんだ? 買ったのか?」

話のついでに聞いてみた。児玉が200万円のワインを自費で買い、それを我々に振る舞うとはとても思えなかったからだ。

「あー、それがですね」

児玉の話をまとめるとこうだ。
児玉は駐日スペイン大使館で料理の腕を振るう機会があった。駐日大使がどこで耳にしたのか、児玉を招いて調理させたのである。その際、駐日大使と雑談をした。児玉は娘が生まれたばかりで、「マリア」と名付けたと話した。すると太子が大喜びした。大使の娘も「マリア」だというのだ。

「これはマリア繋がりだ」

と大使が言ったかどうかは知らないが、喜んだ太子が、児玉の「マリア」誕生祝いだといってくれたのが、あの200万円ワインだった。

それから10数年経って、デジキャスに出向中の私に、児玉から電話があった。

「大道さん、覚えとる? あの200万円おワイン?」

「ああ、もちろん覚えてるさ。美味かったなあ」

「それでね、あのワインを俺の店でも出したくなったのよ」

「お前、原価が200万円だぞ。お前の店で出したら1本250万円? 300万円? そんな金を払う客がいるのか?」

「いや、それもそうだけど、出したくなって調べてみたのよ。あれ、1本いくらだったと思う?」

「200万円じゃないのか。それとも、値段が上がっていた?」

「それがさあ、なんと1本10万円なんだわ。ガクッときたよ。ま、1ダース仕入れたけどね」

あの、最高の味をしていたワインが10万円? 私にとってはそれでも手が出ない価格ではあるが、200万円の触れ込みが蓋を開けたら10万円? だったら、2本まとめて100万円だったはずのワインは、いったいいくらなんだ? 味は、10万円のワイン最高だったぞ!

児玉と私の楽しい思い出である。