2025
03.12

児玉が名古屋に遊びに来た

らかす日誌

1990年代の初め。私は2度目の名古屋経済部勤務を命じられた。我が家では長男が高校に入学したばかりである。とてもじゃないが、家族を伴っての赴任は無理だと判断した。初めての」そして唯一となった単身赴任である。

私は生まれてからこの時まで、料理なるものをほとんどやったことがない。さまざまな素材を切り刻み、組み合わせ、ものによっては熱を加え。香辛料を混ぜ込み、形を整えて食卓に現れる料理というものは、私には魔法に思えた。

だから、単身赴任の間は全て外食で済ますはずだった。朝は会社まで行き、食堂で食べる。平日の昼と夜はいずれにしても外食である。加えて休日も3食外食。料理ができないのだから、やむをえざる選択だ。

しかし、2、3ヶ月経つと、大変なことに気がついた。外食はとてつもなく金がかかるのだ。朝、昼はまあいいとして、夕食はどうしても酒が欲しくなる。ちょっとした店で酒を飲み、食事をすると4000円〜5000円は少なくともかかる。そのため、見る見るうちに、財布が軽くなるのだ。

そもそも、世帯が2つに分かれると何かと金がかかる。その上に飲食費が乗れば、我が家の家計が破綻するのは目に見えている。

「これはいかん」

と、私は自炊の道を探り始めた。朝食は魚の干物に味噌汁、漬物、それにほうれん草のおひたしなど一品添える。毎朝そんな調理はできないので、休日に1週間分の出汁をとってペットボトルに入れ、冷蔵庫で保管する。米は1週間分たき、1食分づつに分けてこれも冷蔵庫に入れる。ほうれん草も湯掻いて、1食分づつラップでくるみ、冷蔵庫に保管する。
こうしておけば、朝することはご飯を電子レンジで温め、ペットボトルから味噌汁1杯分の出汁を鍋に入れて加熱する。一方で魚の干物をに火にかけ、味噌汁の具を刻んで鍋に放り込む。あとは味噌を溶入れるだけである。5分もあれば朝食の支度が整う。

ここまでは自分の才覚でプランニングし、実行した。しかし、自分でできないこともある。
ある休日の昼食にバジリコパスタを作ろうと思い立った。湯掻いたパスタをニンニクで香りをつけたオリーブオイルをはったフライパンで加熱しながらオイルと馴染ませ、皿にとって大葉の千切りを上からまぶす。まあ、料理としては単純きわなりない。

作り始めて、ふと気になった。バジリコパスタにまぶされている大葉は、細く千切りされている。あれ、どうやって切ったらいい? 何枚か重ねて包丁で丁寧に千切りするのか? やりにくそうだな‥‥。
こういう時は文明の利器を使うに限る。

「児玉、今ちょっといい?」

分かないことを専門家に聞くのは新聞記者の得意技である。

「バジリコを作ってんだが、あの、大葉の千切りはどうやって切ったらいいんだ?」

「なーんね、あんた、自分で料理ばしよっとかね」

「ああ、そうしないと金が飛んでいくんでな」

「スパゲティの基本は、たい。まず、パスタを茹でるとき、少しだけ多めの塩を入れる。人間の舌というのは、ほんのちょっぴり塩味が強い方が美味しいと感じるんだわ」

「だけど、体に悪いだろう」

「そりゃそげんたい。ばってん、外食をするのはハレの日だろが。普段は塩分控えめの家庭料理を食べる。たまに外食でちょっと塩味が強いものを食べて美味さを楽しむ。ま、そげんなっとっとたい」

「なるほどな」

「もう一つ教えとくたい。あんた、パスタやったらニンニクば使うやろ」

「そりゃあ使うわな」

「ニンニクはまず、包丁の腹で押しつぶすと。そぎゃんすっと、ニンニクの細胞が壊れて香りが立つとたい。それに、皮も剥きやすくなる」

「なるほどなあ。やっぱりプロの技というのはあるんだな。ところで肝心の大葉の千切りは?」

「簡単たい。7、8枚重ねてまず茎を切り落とす。そして葉っぱだけをくるくると巻くとたい。そぎゃんすっと切りやすくなる」

「なるほどね」

児玉は私の料理道の師であった。何度助けられたか。まあ、それでも私は不詳の弟子である。少し多めの塩を入れて湯掻いたはずのパスタが塩辛すぎ、とても食べられなくて何度ごみ箱に捨てたか。そんな日はやむなく、インスタント焼きそばでお腹を満たす私だった。

「大道さん、名古屋に遊びに行ってよかね?」

児玉から電話があったのはいつだったろう? もちろん、私に否はない。

「ああ、いつでも来いや。歓迎するぞ」

児玉が来た。確かJR名古屋駅まで迎えに行った。
生まれつき敏感な舌を持つ児玉は当然グルメである。せっかく来てくれたのだ。美味いものを食べさせたい。
ご存知かも知らないが、名古屋は「お得感」を大事にする街である。同じ料金なら盛りがいい、コーヒーがつくのが「お得」だ。朝喫茶店でコーヒーを頼むとトーストが付いてくる。その「お得感」で客を呼ぶ。味は二の次の店が多い

そんな名古屋で、さて児玉に何を食べてもらったら良かろう?
今池の「加納」にした。ちゃんこ料理の店である。後にトヨタ自動車社長になる渡辺捷昭さん(当時は取締役)を初めてお招きしたのもこの店だった。
もう亡くなったとおもが、当時の店主はカウンターの中で包丁をふるい、刺身を頼むと

「ほら、いい魚でしょう!」

とカウンター越しに魚を持ち上げて客に見せた。自分の目で選りすぐった魚しか客には出さない、という演出である、そして、確かに魚は美味かった。

「いや、親父さん、私も料理人の端くれですが、いい魚を選んでますね。これは美味い!」

店での児玉は上機嫌に見えた。ああ、この店を選んで間違いはなかったようだ。

が、店を出た児玉は一変した。

「確かに、いい魚は選んどるとばってんねえ‥‥」

何か言いたそうである。私は先を促した。

「白身の魚の刺身が2つ出たやろ」

「そうだったなあ」

「白身の魚というのは、あまり個性がないんだわ。味が似通っとる。だから料理人は、白身の魚を2つ出すときは切り方に気を使うんよ。一方を厚切りしたら、もう一方は薄切りにしてポン酢で食べさせる。そんくらいの工夫ばせんと、客は同じもんば2皿も食べさせられたと思いかねんけんねえ」

なるほど、料理とはさようなものであるか。児玉はそこまで神経を行き届かせて調理しているのか。
料理道は奥行きが深そうである。私はこの日、児玉に尊敬に似た思いを抱いたのであった。