03.15
児玉を送る会が今日開かれました
今日、東京・渋谷の「ラ・プラーヤ」で児玉徹を送る会が開かれた。児玉が投稿していたFACEBOOKで開催を知らせたところ、なんと、署名し人だけで120人を超えたそうだ。中にはハワイから駆けつけた人も。児玉の尋常ならざる人脈の広がり、愛され方に深く驚いた。私が身罷った時、さて、何人ぐらいが駆けつけるのだろう? 一桁? それともかろうじて二桁に乗る? ま、私はすでに死んでいるのだから、どうでもいいが。
私もこの会に参加するはずだった。ところが妻女殿の体調がおかしくなり、桐生を出るはずだった14日金曜日朝には
「これから前橋日赤に電話する。なんとか診察してもらう」
という事態になった。ところが担当の医師が超多忙だったらしく、診察は18日火曜日に延びた。この状態では、妻女殿を1人残して桐生を離れるわけにはいかない。死者は病から解放されているが、生者は病に付き纏われる。放っておくわけにはいかない。死者より生者を重んじなければ、と参加を断念した。児玉も理解するはずだ。
なお、この児玉徹を送る会を企画したのは、我が長男である。小学生の頃から我が家にたびたび泊まりに来て酒を飲む児玉に、父の友人以上の思いを持っていたようである。ひょっとしたら、父である私からは得られないものを児玉の中にに見出していたか。とすれば、児玉は我が息子の、第2の父親だったことになる。
いずれにしても、この会を思いつき、企画を立て、実行した息子を、我が子ながらよくやった、と褒めてやりたい。このようは息子を持てたことは我が誇りである。
ここからは、前回の続きである。
✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️
合成の誤謬、という言葉をご存じだろうか?
100人の集団があって、100人がそれぞれに最も合理的と思われる選択をした。全員が合理的な選択をしたはずなのに、集団全体としては全くおかしな方向に進んでしまった。
などという場合に使う。主に経済学で使われる言葉である。
この言葉を解説するのによく使われるのは、映画館の例である。
一番前の列に、たまたま座高の高い客が座った。おかげで、その後ろの席の客はスクリーンの一部が見えない。しばらくは我慢していたが、業を煮やして立ち上がった。これならスクリーンがよく見える。その人にとってはきわめて合理的な行動である。
あおりを受けたのが、そのまた後ろの席の客だ。この人も仕方がないから立つ。その左右の席の人も、立たないとスクリーンが見えないから立つ。
こうして、数分もすると、映画館の観客の大半が立ったまま映画を鑑賞していた……。
代々木公園3日目。
私は、合成の誤謬をこの目で見、この体で確かめることになった。
連休の初日。利口な人間は考える。
「今日は連休の初日だもんな。連休になったら出かけようと待ちかまえているヤツらが腐るほどいるから、今日の人出はすごいぞ。今日だけは出かけずにじっとしていて、明日出かけるのが利口ってもんだ」
連休2日目。利口な人間は考える。
「今日も一応パスだぜ。昨日は別のところに出かけた馬鹿な奴らが、今日なら空いてると期待して続々とおしかけるに違いない。通は3日目に出かけるものよ」
なるほど、一見合理的な判断である。
テレビで見ても、連休初日の高速道路の混み具合はすごいの一言である。渋滞した車の列が30km、40kmと伸びる。毎年恒例の渋滞なのに、周知の事実であるはずなのに、それでも、連休初日、渋滞の列に飛び込もうという覚悟を持つ人間が、よくもこれだけいるものだと感心させられる。もう一歩進めていえば、よくもこれだけたくさん馬鹿がいるものだと思わずにはいられない。
連休2日目がこれに次ぐ。
だから、初日を避ける。2日目は様子を見る。3日目に行動に移す。
納得できる。
でも、多くの人が初日を避け、2日目に様子を見、3日目にイベント会場に出かけたらどうなるか。
そう、絵に描いたような合成の誤謬が発生するのである。
前日と同じように、9時半頃、掘っ建て小屋に入った。前日と同じような朝だった。
材料を取り出して、仕込みをする。前日の来客数から見て、夜までに800食程度作れば足りるはずだ。昼食で出るのは500から600食か。だったら、この程度切りそろえておけば、あとの作業はスムーズに運ぶ。
2日目ともなると、1日の作業全体を見通せる。先を見通して、仕事の流れを段取りする。万物の霊長たる人間にしかできない高度で知的な作業である。
万物の霊長が、間違いから自由であると考えるのは間違いである。多くの生き物が採用する「その場しのぎ」の手順であれば、能率は上がらなくても間違いは少ない。しかし、高度な作業には、当然のことながら高度なリスクが伴う。
リスクが顕在化したとき、人はいう。
「お前、見通しが甘かったんちゃうか?!」
確かに、見通しが甘かった。
この日、第1号の客が姿を見せたのは、前日と同じ10時半前後である。できたてのパエリアを紙皿によそい、レモンスライスとプラスチックのスプーンを添えて渡し、
「1000円いただきます」
と頭を下げる。
前日と同じ朝だった。
違った風景が見えてきたのは、しばらくしてからだった。掘っ建て小屋の中から外をふと眺めると、前日と違ったものが見えた。
人の列である。まだ11時にもなっていないのに、我が掘っ建て小屋の前に人の列ができはじめた。カウンターでは、アルバイトの女子学生が、一所懸命にパエリアを紙皿によそい、客に渡している。
が、列は短くならなかった。逆に、どんどん伸びた。
「おい、今日は調子いいなあ。朝から客がいっぱい来るぜ」
「1000食行くかもしれんねえ」
畏友「カルロス」と私は、勇み立った。我々が作り、1食1000円也で売っているパエリアを、列を作ってまで求めたいという人が、そう、その時点でざっと40~50人いた。料理人冥利に尽きる光景である。これで勇み立たない料理人は、料理人ではない。勇み立たない商売人は、商売人ではない。
「おい、1枚目がそろそろなくなるぜ。2枚目は大丈夫か?」
「任せんね。もうすぐできるばい」
畏友「カルロス」は、50人用の大鍋を3枚用意していた。1枚は店で使っているもの、あとの2枚は、このイベントのために買ったものである。それが、いま生きる。
できあがった鍋は、カウンターのそばのガス台で湯煎しながら客に売る。残りの2枚の鍋は、調理用の2つのガス台に乗り、いい香りを立て始めている。
1枚目がなくなった。すかさず私が流しに運び、洗う。同時に、できあがったパエリア鍋を畏友「カルロス」がカウンター横のガス台に運び、女の子が紙皿によそう。客に渡す。
列がさらに伸びた。もう、少なくとも100人はいる。好調である。
「鍋洗うたらすぐこっちに持ってきてくれんね」
「分かった」
呼吸はぴったり合っている。
が、客足が、我々の呼吸を上回り始めた。
「おい、列をまっすぐにしていたんでは具合が悪いぞ。折り曲げよう」
「あんたがやってくれんね」
「わかった」
私は掘っ建て小屋を出て店の前に回り、客の列の整理にかかった。店のカウンターに並行して並ばせ、店の端まで行ったら折り曲げる。反対の端まで達したらまた折り曲げる。折り曲げていたら、掘っ建て小屋の中から大声が飛んできた。
「大道さん、タマネギの足らんと! タマネギば切ってくれんね。ついでに、鶏肉も少のうなっとる。鶏肉も用意して!」
「わかった!」
混乱が始まった。パエリアを、作っても作っても、客が減らない。
思い出してほしい、50人用の大鍋でパエリアを作るのに、おおむね1時間かかる。1時間かかって作ったパエリアを紙皿にとりわけ客に渡すのに、そう、10分とかからない。
3枚の大鍋を用意して、2枚を同時に作るシステムだったから、1時間かかって作ったパエリアを、20分足らずで売り切ってしまう状態である。ということは、残りの40分は、客に待ってもらうしかない。
列はどんどん伸びた。何人が並んでいるのか、目で追っても分からないほど長くなった。店の前は人の波であった。
最前列に並び、間もなくお腹に収まるべきパエリアができるのをいまや遅しと待ちかまえる人々は、必然的に調理途中にあるパエリアをのぞき込む。のぞき込みたくなるほどいい香りが漂うのだから仕方がない。
こういうとき、畏友「カルロス」はサフランの入った広口瓶を小脇に抱え、客の前に進み出る。
「これがサフランです。サフランというのは『畑の金』ともいわれるほど高価なもので、1gで1600円もします。いま、金は1g1300円ぐらいですから、金より高いわけですね。で、このサフランをこうして……」
とひとつまみのサフランを、調理途中のパエリアに放り込む。なかなかの役者である。ショーマンである。商売人である。
売り切れた鍋を洗い場に運んだ私は、まず、金属製のヘラで鍋の底にこびりついたお焦げをそぎ落とす。
何を隠そう、パエリアの中で一番美味しいのは、このお焦げである。
パエリアは、充分にダシの出たブイヤベースの中に生米を入れて煮込み、具のエキスを米に染み込ませる料理だとは、以前に書いた。
エキスにも重量がある。重量があるということは、重力に引かれて下に落ちるということである。
つまり、パエリア鍋に入れた米の中で、一番多く具のエキスが染み込んだ米は鍋の底にある。鍋の底にあるから、お焦げになる。
お焦げが一番美味しい理由である。
最初は子供だった。
「ね、君、これを食べてみない? 美味しいぜ」
カウンターの前で列を作っている人々に、このお焦げを配り始めた。
最初は両手を後ろに回し、後ずさりながら上目遣いに私を見ていた子供も、私の、人を魅了してやまないつぶらな瞳に、深い信頼感を持ったのであろう。おずおずと手を伸ばし、紙皿に入れたお焦げを受け取った。お焦げを口に頬ばり、にっこり笑った。天使の笑いであった。笑って駆けだした。
何人かの子供が、私の前に寄ってきた。
「おじさん、僕にもお焦げちょうだい」
「私もお焦げを食べたいの」
続々と天使たちがやってきた。世間の常識とやらに染まりきっていない分、天使たちは素直である。欲しいものは欲しいという。自らの欲求を素直に行動化する。大人であると自負する大人たちが、
「何か裏があるのではないか?」
「他人の目に己がどのように写るだろうか?」
などと、うじうじと行動をためらっているのとは大違いである。
いつまでも少年の心と瞳を持ちたい。が、それだけでは複雑きわまりない現代社会を生きるのには心許ない。あわせて大人の総合力と判断力を磨いていきたい。それが私の願いである。
子供たちが一巡すると、これまでためらっていた大人たちが動き始めた。通常、「おばさん」と呼ばれる、中年過ぎの女性たちである。
「これ、もらえるの?」
「ああ、いいですよ。美味しいお焦げですから、どうぞ召し上がってください」
かくして、あちらからもこちらからも手が伸びてきた。お焦げは、たちまちにして売り切れた。
「えーっ、もうないんだーぁ」
「なによ、あんたが早く並ばないから間に合わなかったんじゃん!」
「だーってぇ、あっちの店も美味しそうだったんだもん」
目を上げると、20歳前後の、小ギャルと呼ぶにはちょっとばかり行きすぎた女性の3人連れだった。
「あーっ、ごめんね。もうなくなっちゃった。ほら、あそこの鍋が売り切れたら、またお焦げがとれるから、待ってる?」
いいながら、私は心の中でつぶやいた。
(おお、これは立派なおばさん予備軍である!)
いかん。人を見て楽しんでいるうちに、また客の列が伸びた。どこまで行ったら途切れるのか、目で追っても分からない。人の後ろに人がいて、そのまた後ろに人がいて、ずーっと目で追うと人の渦がそのあとに続く。カオスである。
鍋を洗い上げて、ふと掘っ建て小屋の中に目を戻すと、畏友「カルロス」が鶏肉を切っている。足りなくなったようだ。
よし、それじゃあ、私がパエリアを作る方に回ろうではありませんか。ポジションを入れ替えた方が、リズムが変わって楽しめるに違いない。
洗ったばかりの鍋をガス台にかけ、火をつける。残っていた水が蒸発しきったのを確認してオリーブオイルを入れる。ニンニクを包丁の腹でつぶしてみじん切りし、鍋に放り込む……。
前からは、大群衆の雑談が集団となって、つまり単なるノイズとして襲いかかってくる。
後ろからは、畏友「カルロス」が鶏肉を切る包丁の音がリズム感を伴って伝わってくる。おや、リズムが変わったな? イカでも切り始めたんだろうか?
右手からは、アルバイト女学生の売り声が聞こえてくる。
「はい、おいくつでしょうか? 3皿ですね。ちょっとお待ち下さい……。はい、ありがとうございました。次のお客様は……、1皿でございますか」
火事場の騒ぎである。
「ちょっと、お兄さん」
目を上げると、中年の女性が立っていた。
「これねえ、黄色いんだけど、やっぱり辛いのかねえ?」
はあ? パエリアが辛い? そんなぁ……。待て待て、このようなときに、「田舎者」と決めつけてはならない。そうかあ、この人、パエリアは初めてなのか。
「いえ、全く辛くありません。これはドライカレーではありません。スペインの料理で、大変美味しいんですよ」
この答えで納得してくれたのかどうか。彼女は我が面前から去った。
さて、最後は米を入れなければならない。米を取りに行こうとした私に、また声がかかった。
「ちょっと、あんた。これさあ、生煮えじゃない。お米に芯が残っているよ。だめだよ、こんなんを売っちゃあ」
ふっ、こんな抗議も来るか。田舎者め!
「いえ、お客様、この料理はお米をアルデンテの状態に仕上げて食べる料理です。アルデンテとは、ほんの少し芯が残っている状態で、この芯がなくなるほど煮てしまうと、歯ごたえがなくなって美味しくなくなるのです。スパゲティもアルデンテに仕上げるのは、もちろんご存じでしょ?」
最後に、「もちろんご存じでしょ?」と付け加えて、逃げ道を塞いでしまう。意地の悪い答弁である。が、そうでもしないと、2の矢、3の矢の質問、反論が飛んできて、仕事にならない。
「この鍋、もう終わりましたぁ。次の鍋はまだですかぁ?」
アルバイト女学生の黄色い声が飛んできた。
「ちょっと待ってな。見てみるから。うーん、あと20分!」
この掘っ建て小屋で、私は完全な戦力であった。私がいなければ、仕事全体が動かない状態だった。これがプロである。
だが、プロとは疲れるものである。
列を作る客が、目で数えられるほどに減り、やがてポツリポツリと途切れるようになった。
時計を見た。午後3時半近かった。そういえば、我々は、まだ昼食をとっていなかった。大急ぎで鍋のパエリアを紙皿によそい、水で胃袋に流し込んだ。夜に備えなければならない。
この日は夜までに、50人用大鍋で28枚を完売、29枚目に至ってやっと半分近く残った。
50×28=1400
なんと、1400食を1日に作り、売った。
商売人でもある畏友「カルロス」は、アルバイト女学生に「軽め」の給仕を言いつけていた。とすると、50人用大鍋1枚、ひょっとしたら60人分のパエリアとして売っていた可能性もある。だとすると、
60×28=1680
なんと、1700食を1日で作り、売ったことになる。
It’s been a hard day.
であった。
お読みいただいたように、このイベント、申し訳ないことに、まだまだ終わりそうにない。いましばらくおつき合い願う。
✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️ ✖️
ということで、明日もコピペ原稿をお読みいただきます。もちろん、細部には手を入れますが。