06.11
落語と現代文
私の文章には落語のリズムがあるのだそうだ。桐生在住の世界的な刺繍作家、大澤紀代美さんに今日いわれた。
「なんだかねえ、トン、トン、トンって気持ちよく読めるの。あ、いいリズムだなって。それでねえ、ふと思いついたのよ。あ、これは落語のリズムだ、って。私、小さい頃から落語を聞いていたし、三遊亭円生さんを上野の鈴本亭で聞いたこともあるのよ。だからかしら、あ、これは落語のリズムたって分かったの」
はあ、私の文章に落語のリズムあがある?
「そんなこといわれたの、初めてですよ。そういえば、1度だけだけど、名古屋の時のデスクに『大道の文章にはリズムがあるんだよなあ』といわれたことはありますけどね。でも、落語のリズムなんて」
「そうでしょ、私が最初に発見したのね」
大澤さんは上機嫌だった。何でも、桐生出身の事業家が、大澤さんの仕事を支えたいといって今日来たのだそうである。聞けばなかなか魅力的なプランで、多分、大澤さんはそのために気分ルンルンだったのだろう。そのルンルン気分が、私の文章に落語のリズムを見つけさせたのに違いない。ルンルン気分が去れば撤回されるかもしれないが。
ではあっても、悪い気分がする褒められ方ではない。何かの本で読み、どこかで書いたような気がするが、こんな話がある。
明治維新直後まで、日本語は書き言葉と話し言葉が違っていた。例えば
「恐れながら申し上げます。敵方の動向、左様に相成っておりまする」
という武士の話し言葉がある。これを書き言葉にすると
「恐れながら申し上げ候。敵方動静、左様相成り候」
となる。
話し言葉と書き言葉が違っていては何かと不便である。この2つを統一できないか、というのが明治初期の言文一致運動だった。はしりは1887年(明治20年)に出た二葉亭四迷の「浮雲」である。20世紀への変わり目ごろには小説や新聞で言文一致が広く普及した。私がこよなく尊敬する夏目漱石の「吾輩は猫である」が出たのは1905年(明治38年)で、いまではやや読みにくいが、これが言文一致を実践した漱石なりの当時の口語体である。
では当時の文筆家たちはどこから口語体を産み出したのか?
落語
なのである。
チャットGTPによると、
二葉亭四迷:『浮雲』執筆の際に、落語の会話表現やテンポを参考にしたといわれる
山田美妙:庶民的な口語文体を模索する中で、落語的表現を取り入れた
尾崎紅葉・幸田露伴:登場人物の台詞に江戸言葉・落語的な表現を多用
夏目漱石:『吾輩は猫である』のユーモラスな会話や独白に、落語の話芸の影響がある
ということになる。
そしてチャットGTPはこんなことも教えてくれた。
「吾輩は猫である。名前はまだ無い」
という「吾輩は猫である」の書き出しは
このような話しかけるような独白は、落語の導入部(枕)のような味わいがあります。
だとすれば、だ。私が書く文章に落語のリズムがあるとすれば、私は夏目漱石、二葉亭四迷の、ずっと遅れて来た弟子なのか?
そういえば、私がデジキャスのHPで駄文を書き始めたとき、
「吾輩は猫である、のような、読んでクスリとするような文章を書きたい」
と思った。あれもどこかで落語とつながっていたのか?
もっとも、浅学非才の私に「吾輩は猫である」のような洒脱な文章が書けるはずもない。まあ、もし私が漱石先生のずっと遅れてきた弟子であったとしても、不肖の弟子であることは万人が認めることであろうが。