06.21
お騒がせしております。いえ、私ではなくて……
桐生市選出の群馬県会議員が逮捕された。桐生市役所新庁舎建設事業の公正な入札を妨害した公競売入札妨害の疑いなのだそうだ。この入札で工事を落札した関東建設工業の3人も同時にお縄になった。
逮捕された県議は相沢崇文という。私が桐生に赴任した時は桐生市議だったから、取材先であった。だから、まんざら知らない男でもない。
その彼がある日、桐生市役所内の記者クラブを訪れ、
「私、次の統一地方選挙で県議選に出ます」
と発表した。記者でありながら、私は政治には関心が薄い。聞きながら
「あ、そうなの」
と軽く受け流しただけである。その話が一変したのは、確か年明けだったと記憶する。
「大道さん、相沢が市長選に出るんだってよ」
という電話を突然受けたのだ。私は次女の旦那がやっている相模原の歯科医にいた。
といわれても、もともと政治には関心が薄い。わざわざ私に情報を提供してくれた人(なぜか私になついた、選挙のプロを辞任するおじいちゃんだった)には申し訳ないが、半分はありがた迷惑だった。いいじゃない、誰が市長選に出ようと。県議選に出るといってたが、その後考えを変えただけじゃない。
「それがさ、◯◯の社長から、無理矢理市長選出馬を押し付けられたんだよ」
話がこのように流れると、私のやじ馬根性が少し起き出す。
「だけど、市長選に出たって勝ち目はないでしょう」
「そうなんだ。でもな、あいつはあの会社の支援がなければ県議には当選できない。だから、本人は県議選に出たいが、この話を蹴飛ばせば県議選にも見通しが立たなくなる。それで泣く泣く受けたんだ。いや、その場で本当に泣いたと聞いたよ。落選したら、暮らしの面倒は見る、とも言われたらしい」
政治とはそのようなものらしい。
が、それだけでは記事にするのは難しい。市長選への鞍替えが、ある企業経営者の圧力によるものであっても、裏付けを取らねば記事には出来ない。そして、その経営者も、圧力を受けた相沢氏も、取材したって本当のことをいうわけがない。
私は待った。彼は前言を翻して市長選に出るのである。記者会見を開くに違いない。そして、その記者会見が開かれた。
私の関心は唯一、鞍替えの理由である。しかし、相沢氏にしてみれば、絶対に表ざたには出来ないことである。どう質問しても、
「◯◯社長に言われまして」
などとは一言も言わない。内情を事前に聞いていた私にしても、
「◯◯社長から圧力がかかったんだよね」
などとは、裏付けがとれていないのだから言うわけにはいかない。
そこで私はこんな問い方をした。
「あなたは、キングメーカーのいる町に住みたいですか? 私はご免なんだが」
俺は内情を知っているぞ、ということを匂わせる聞き方である。彼はドキッとしたに違いない。だが少しも表情を変えず、この質問を切り抜けた(何と答えたかは記憶にない)のは、さすがに政治家である。
だが、裏の裏を知られるのは政治家として嬉しいことではない。多分、それ以来、私は彼の目の上のたんこぶであったと思われる。
やがて市長選が始まった。私は定型パターンに従って選挙記事を書いた。その中で決定的なミスを犯してしまった。相沢氏の選挙公約の1条を、全く逆に書いてしまったのである。投票日直前の記事だったから、おわびと訂正を出すゆとりもなかった。
あの市長選で、相沢氏に当選の可能性はなかった。当時、桐生で配られていた朝日新聞はせいぜい3000部である。私の誤報が投票に影響したとしても、当落を左右するほどのことではない。
だが、間違いは間違いである。誤報は誤報である。まずは謝罪しなければならない。私は何度も、ある時は早朝からマンションの前で張り込んで、相沢氏との接触を試みた。だが、とうとう謝罪の機会はもらえなかった。
そのため、前橋総局長が登場する。当時の総局長は、確か毎日新聞からのトラバーユ組で、
「あんた、山口組員?」
と口に出そうな風貌だった。警視庁に強い(事件に強い)記者というのが売りで、何かといえば警視庁での人脈の広さを吹聴して部下に圧力をかける男だった。私からすれば、困ったヤツが上に来たな、だった。いや、はっきり言えば
「こんな品のないヤツが朝日新聞にいるとは……」
と呆れ果てていた。つまり、嫌いだった。
それなのに、私の誤報事件は私だけでは解決できなかった。組織としては、部下が解決できなければ上が出るしかない。そして、上に出てもらうには頭を深々と下げるしかない。
「いや、私の不手際でご迷惑をかける。よろしくお願いします」
と頼み込むしかなかった。
私と相沢氏は、このような、どちらかといえばマイナスの縁で結ばれていた。その彼が逮捕された。
ある人は
「桐生の面汚しよ」
といった。
「桐生の今に、この事件。桐生はどうなるの?」
とも。
それは次回に考える。