07.04
やっと続編が書けます。森山副市長が辞職しました
物書きとはおかしなものである。先月21日、桐生選出の相沢崇文県議が逮捕されたことを書いて以来、何となくこの事件に縛られてきた。この事件が一段落するまでは、ほかの原稿を書く気になれなかったのである。何か、この事件についての連載でもしているような心持ちだった。
そして今日、事件が次のステップに進んだ。桐生市の森山享大副市長が辞職したのだ。朝、荒木恵司市長が記者会見し、森山副市長から辞表が提出され、受理したと発表したそうだ。森山副市長は
「市政に混乱を招いていることの責任を強く感じている」
とし、退職金は自主返納するのだそうだ。森山副市長は市庁舎建て替え工事の入札価格や技術評価点などを審査する指名選考委員会の委員長だった。落札した関東建設工業に有利なようにルールを変えたのだとしたら、この委員会が変えたのである。そのトップである以上、責任は免れないだろう。
そして、これで事件の構図が浮かび上がった。逮捕された相沢県議が桐生市の指名選考委員会に働きかけ、あるいは圧力をかけ、ルールを変えさせた。これが警察が描く図なのだろう。森山氏もそのうちお縄になるのだろうか?
さて、これで思い出話を書くことが出来る。
私は2016年8月末で朝日新聞の再雇用期間が終了し、最終的に朝日新聞を離れることになった。翌9月1日になればもう新聞記者ではない。単なる一市民である。立つ鳥跡を濁さず、ともいう。これまで取材でお世話になった、あるいは迷惑をかけた先には挨拶をしなければならない。
その時、森山享大副市長は桐生市議会議長だった。あまり取材した覚えもお世話になった覚えもないが、肩書きに挨拶をしないわけには行くまい。私は議長控え室のドアを叩いた。
「そうなんですか。もう新聞記者じゃなくなるんですか。まだお若いのに」
森山議長は私の挨拶に、そんな反応を示した。そこまででとどめていれば、私の強烈な一言を浴びることもなかったろう。
森山議長はいったのである。
「大道さん、まだお若いし、これからどうされるんですか? 良かったら市議会議員になりませんか?」
私はなぜか
「市議会議員になりませんか?」
という一言にカチンときた。そもそも、私は政治家になろうと思ったことはない。なる資質も備わっていないと思う。
いや、それはどうでもよろしい。朝日新聞記者ではなくなった。仕事がなくなるのだから暇である。だったら暇つぶしに、あるいは収入を確保するために、市議会議員にでもなってみたらどうです、ってか? 市議会議員とはそんな動機でなるものなのか?
私はたいした正義感は持ち合わせてはいない。だから桐生市議の年収が800万円程度であり、年金に加えてその収入があれば落な暮らしが出来る、程度の計算はする。しかし、もう一度書く。市議会議員とはそんな動機でなるものなのか?
とっさに言葉が出た。
「いや、俺はあなた達と同じ種族だとは思われたくないもので、お断りするわ」
相当にきつい一言である。その瞬間、私は抑制を忘れたとしか言い様がない。が、それが市議会を取材しての実感でもあった。こんな人たちの仲間にはなりたくない。
あの時、森山議長派何を感じたのだろう? 私を嫌いになっただろうなあ……。
もう1つの話を書く。まず、この年表をご覧いただきたい。
2011年5月17日、荒木恵司氏、桐生市議会議長に就任
2013年6月9日、相沢崇文氏、桐生市議会議長に就任
2015年4月26日、森山享大氏、桐生市議会議長に就任
私の頼りない記憶によれば、この3人は市議会で同じ会派に属していた。その会派が最大会派だったから、議長の椅子を周り持ちするのもあながちおかしくはない。
ただ、ここで先輩ー後輩の関係が3人に成り立っていることは頭にとどめておいてもいい。そして議長の職権を振り回す悪習が伝授されたという市職員もいる。
2019年の統一地方選挙で、当時県議に転じていた荒木恵司氏が桐生市長選挙に立候補、当選した。ここまでは普通の政治過程といえる。
だが、この統一地方選挙で、おかしなことが起きた。森山享大氏が市議選に立候補しなかったのある。この時、私はすでに朝日新聞を離れていた。だから市長選、市議選の取材をしたわけではない。だが、自然に耳に入ってきたのだ。
「なぜ森山が立候補しない?」
「荒木と手を組んで、荒木が市長になったら副市長にするという密約があると聞いたぜ」
いや、本当にそんな密約が合ったのかどうかは、部外者である私が知るわけもない。だから、市長選が終わり、荒木氏の当選が決まった後、たまたま顔を合わせた荒木氏に私は一言ご注意申し上げた。
「市議選に立候補しなかった森山君の件で、あなたとの密約、つまりあなたが当選したら副市長になるという密約があるという噂が私の耳にも届いている。本当かどうか知らないが、もし、そんな副市長人事をしたら大変なことになるよ。それだけは胸に納めておいて欲しい」
荒木氏は答えた。
「はい、じっくり考えさせていただきます」
その答えを聞いて、私は安心した。噂はでたらめだろう。そんな人事があるはずがない。森山氏は何か個人的な事情で市議立候補を見送ったのだろう。
その思いが裏切られるのに長い時間はかからなかった。それから3ヶ月ほど後の市議会に森山氏を副市長にする人事案件が出て可決された。翌9月10日付で森山副市長が誕生した。
そもそも、どれほど仲が良かろうと、市長に当選する前から
「俺が当選したら、君を副市長にするから」
などという約束をするか?
言われたほうは、だったら、と市議選への立候補を取りやめるか?
おかしい。実におかしいのである。荒木氏の当選はほぼ確実と見られていた。だとすれば、1人の市議の選挙応援が欲しかったはずはない。とすれば、森山氏の話を受け入れざるを得なかった何事かが2人の間にあったのではないか?
真偽のほどは分からないが、そう考えざるを得ない副市長人事だった。だから私は
「そんな人事をしたら大変なことになる」
と荒木氏にいった。その忠告は受け入れられなかった。ますます怪しいと思わざるを得ないのだ。
そして、今回の事件の構図である。関東建設の要望を聞いてまず動いたのは相沢県議だろう。その相沢県議が桐生市に働きかけた。働きかけの先は指名選考委員会だったに違いない。そして、そのトップだったのは、桐生市議会議長の後輩、森山副市長だった。その上、荒木市長は相沢県議、森山副市長の、市議会議長としての先輩である。
なんだか出来すぎの構図のように思うのは私だけだろうか?
その荒木市長は記者会見で、自分には任命責任があり
「捜査の進展を見守りながら自身の進退について判断したい」
と語ったそうだ。
そうなのである。無理筋を通して森山氏を副市長に迎えた責任は重大なのである。
桐生市ではすでに、次の市長を模索する動きが出始めている。