2025
08.05

暑い、いや、熱い!

らかす日誌

伊勢崎市41.8度。桐生市41.2度。NHKが報じた今日の最高気温である。伊勢崎の最高気温は日本一であったらしい。桐生は日本一になるのはかろうじて免れたが、差といってもわずか0.6度。桐生も十分に暑かった、いや、かった。
もっとも、iPhoneで見ると、今日の桐生の最高気温は38度である。3.2度も違う。Appleは気象庁のアメダスを使わず、民間の会社と契約しているためらしいが、まあ、41.2度にしても38度にしてもとてつもなく暑いことに変わりはない。

そんな日でも、私は1日に2回、屋外に出てパイプをくゆらしながら本を読む。朝食後と昼食後である。異常気象のピークのような今日も、そのリズムを変更することはなかった。

今日、朝食後はまだよかった、日中に比べればまだ気温は高くなく、時折吹く風が涼しくさえ感じられた。
だが、昼食後の一服は厳しかった。夏場、外でパイプを楽しむ時は首にタオルを巻くのが私の流儀である。そのタオルが、まだ数回しかタバコをふかさないのに、じわっと湿ってきた。汗が額から、頭皮から次々と流れ出す。頭皮からの汗は首筋を伝ってタオルに吸い込まれるが、額からの汗はそうないかない。タオルの両端で顔の右、左と拭き去らないと、やがてはあごを伝って服に落ちる。
こうなると、私のボディだって発汗する。肌着が湿り、やがて濡れる。
私はどのような環境下で、しゅくしゅとパイプをくゆらすのである。

それでも今日は耐えがたかった。何とかならないか? 突然閃いた。水を撒けばいいのではないか? 駐車場のコンクリート面に撒かれた水は時ならずして気化し、気化熱を奪っていくはずだ。それで私を取り巻く空気はいくぶんか冷やされ、体感気温は下がってくれるのではないか? 水を撒かれた地面の上を吹き渡ってくる風は、少しは冷たくなるのではないか?

5分ほどかけて私の周りを水浸しにした。水を撒き終えた事実に満足した私は、デッキチェアに座ってパイプをくわえ直し、本を開いた。現在読んでいるのは、「三国志」である。岩波文庫で全8巻。すでに8巻まで読み進んだ。諸葛孔明はすでに身罷り、死せる孔明に走らされた司馬仲達がヒーローとなる局面である。

いや、読書の話はどうでもよろしい。問題は暑さである。撒き終えてデッキチェアに座った私は寸時、満足した。何となく体感気温が下がったような気がしたのである。ああ、これが労働の対価として得られた果実なのかと、水を撒く工夫を思いついた己を褒めた。
ところが、である。

「あれ、何であそこは白っぽいんだ?」

本から目を転じて水を撒いたコンクリートの地面を見た私は想定外の事実を見た。先ほど濡らしたコンクリート面がもう乾いている! どんだけ水を撒けば涼しくなるんだ?

まあ、本当に体感気温が下がったのかどうか。あれは

「働いたのだから見返りがあるのは当然」

という勝手な思い込み、プラシーボ効果ではなかったか?

と反省はしつつ、私は明日も、快適にパイプをくゆらすために水を撒くはずである。

「そんな思いをするのなら、パイプをやめたら?」

という当然の疑問は多くの方が持たれていると思う。だが、それに従う気はない。バカにつけるクスリはないと見放していただきたい。