2025
08.13

とりあえずの近況報告

らかす日誌

このところ「らかす」の更新が滞っている。といっても、

「どこが具合でも悪くされましたか?」

と私の体調を気遣った問い合わせが来るわけでもない。ま、「らかす」とはそのようなものである。

実は、仕事としての原稿がなかなか書けず、「らかす」に取り掛かる気分的なゆとりがない。なんだか、その辺まで書かなきゃいけない原稿がやってきているような気がしながら、いざ書こうとすると書けないというのはなんとも表現しがたいストレスである。やむなく、パソコンでゲームなどをやりながら時を過ごす。頭を空っぽにすれば何か浮かぶさ、と期待するのだが、期待は裏切られるためにある。

書こうとしているのは、スマホを使った地方都市向けの配車アプリが桐生で生まれたという話だ。それをMiTTという。そんなもの、都会で使われているGOアプリを使えばいいだろう、というのは安直な考えで、GOアプリは地方都市では使いにくいのだ。
都会のタクシーは流し営業が主体である。GOアプリはこれにあわせて設計された。客がGOアプリでタクシーを呼ぶと、客から一番近いところにいるタクシーに情報が伝わる。その車が客のところに駆けつけるから使い勝手がいい。
ところが地方都市ではタクシーの流し営業は許されていない。タクシーは定められた待機場所で客を待つ。たとえば3つの待機場所にそれぞれ5台ずつのタクシーがいるとする。そこに客がアプリでタクシーを呼んだ。客から1番近い待機場所には5台のタクシーがいる。どの車を客に向かわせるか、GOアプリは判断できないのである。だから

「地方都市専用の配車アプリが必要だ」

と考えたタクシー会社の社長が桐生にいた。そして、作ってしまったのである。

当初、雑談交じりに相談された。

「予算はいくらぐらい?」

と聞くと、

「さあ。1億ぐらいかかりますかね」

といわれて仰天した。そんなにかかるの?
群馬大学に繋いだ。大学の研究としてアプリを作れば国から研究費も出るのではないか? そうすればコストが下がる! だが、がうまくいかなかった。
それをこの社長、見事にクリアして、なんと、東京から桐生に引っ越してきたIT会社に発注、見事にでき上がったのだ。しかも、当初想定した金額の3分の1以下で、実に使い勝手がいいというから、これは取材をして原稿にしたいのである。

すでに3、4回取材をした。全体の流れを決めるため、とりあえず1回目の原稿を1500字程度で書きたいというのがいまの私である。ところが今日は、原稿を書くどころか、まずタイトルで挫折した。どう考えてもいいタイトルが浮かばない。

・桐生発 地方タクシーの革命
・桐生がタクシーIT化を牽引
・タクシーのIT革命 桐生から

そんな言葉がちらちら浮かぶが、決定打に欠ける。今日はその挫折で1日が終わった。

話は変わるが、いま夜のテレビ鑑賞は岡林信康に辿り着いた。岡林さんは大学生時代から傾聴してきたシンガー・ソングライターである。私の子どもたちには、ビートルズと岡林を聞かせて育てた。次女の名前は岡橋さんのお嬢さんの名前をいただいた。だから、ネットワークオーディオ用のNASには50枚近い彼のCDデータが入っている。
ところが最近、彼の歌声にしばらくご無沙汰していた。それが、録り貯めた映像資産をまずは一通り見なくてはというプロジェクトが岡林のところまで行き着き、数日前から岡林ミュージックに浸っている。

やっぱり、いいものはいい! そして、改めて驚くのは彼の詩人としての資質である。

例えば、「自由への長い旅

♪いつのまにか私が 私でないような
枯葉が風に舞うように
小舟がただようように
私がもう一度 私になるために
育ててくれた世界に別れを告げて旅立つ
信じたいために疑いつづける
自由への長い旅をひとり
自由への長い旅を今日も

この道がどこを 通るのか知らない
知っているのはたどりつく
ところがあることだけ
そこがどこになるのか そこで何があるのか
わからないままひとりで 別れを告げて旅立つ
信じたいために疑いつづける
自由への長い旅をひとり
自由への長い旅を今日も

例えば、「私たちの望むものは」。

♪私たちの望むものは 生きる苦しみではなく
私たちの望むものは 生きる喜びなのだ

私たちの望むものは 社会のための 私ではなく
私たちの望むものは 私たちのための 社会なのだ

私たちの望むものは 与えられることではなく
私たちの望むものは 奪いとることなのだ

私たちの望むものは あなたを殺すことではなく
私たちの望むものは あなたと生きることなのだ

今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ

私たちの望むものは くりかえすことではなく
私たちの望むものは たえず変わってゆく ことなのだ

私たちの望むものは 決して私たちではなく
私たちの望むものは 私でありつづける ことなのだ

今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ

私たちの望むものは 生きる喜びではなく
私たちの望むものは 生きる苦しみなのだ

私たちの望むものは あなたと 生きることではなく
私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ

今ある不幸に とどまってはならない
まだ見ぬ幸せに 今跳び立つのだ

私たちの望むものは
私たちの望むものは…

「信じたいために疑いつづける」

「私たちの望むものは あなたと 生きることではなく 私たちの望むものは あなたを殺すことなのだ」

彼は20代でこんな詩を書いた。どうやったらこんな素敵な言葉が紡げるのだろう? 残念ながら、私にはこんなにエッジがきっちりと立った言葉を紡ぐ能力はない。ただただぼう然として聞き入るだけである。

そういえば私が津支局員だった頃、岡林の「俺らいちぬけた」の歌詞を原稿に使った。

♪ところが町の味気なさ
砂漠のようで
コンクリートのかけらを
食っているみたい
死にたくないから
町を出るんだ
ニヒリズムの無人島
こいつもいちぬけた

の一節だったと記憶する。

岡林信康。偉大なシンガー・ソングライターであることを再確認しつつあるここ数日である。