08.21
AIとの対話、あるいは議論
最近私は、暇になるとAIと議論をしている。常日ごろ抱えている疑問をAIにぶつける。あまりレベルの高い解答は戻ってこない。いまのところ、人間は安心して良さそうである。
ということで、私とAIの議論の一部をご紹介する。海輪の相手はgoogleのジェミニである。
ーー三国志で、劉備は高徳の人として描かれています。ところがその息子はどうしようもない愚物。この描き方がなんとも納得できません。
三国志における劉備と息子の劉禅の描かれ方は、多くの読者が感じる疑問点です。ご指摘の通り、劉備は「高徳の君子」として描かれる一方で、息子の劉禅は「どうしようもない愚物」として描かれることが多く、この落差は物語の大きなテーマの一つとなっています。
劉備の「高徳」とは
劉備は、物語の最初から最後まで「徳」と「人望」を重視した人物として描かれます。これは、彼が漢の王室の子孫でありながら、貧しい身分から成り上がった背景に起因します。彼は武力や知力で圧倒するのではなく、義兄弟の契りや民衆からの支持によって天下を目指しました。
- 関羽と張飛との義兄弟の契りは、彼の「義」を象徴しています。
- 諸葛亮を三顧の礼で迎え入れた逸話は、彼の「礼」と「賢人を求める心」を強調しています。
- 新野の民を連れて行くエピソードは、彼が民衆を大切にする「仁」の心を示しています。
これらのエピソードによって、劉備はただの覇者ではなく、理想的な君主像として描かれています。これは、儒教的な価値観が重視された時代背景とも一致しています。
劉禅の「愚物」とは
一方、劉禅は「暗愚な皇帝」として描かれます。諸葛亮をはじめとする優秀な家臣が国を支える中、劉禅自身は政治にほとんど関心を示さず、享楽にふける場面が多く見られます。これは、父である劉備の死後、蜀漢が衰退していく過程を象徴的に描くために、劉禅を対照的な存在として位置付けたと考えられます。
- 「戦車に乗りたくない」と駄々をこねるエピソード
- 「この楽は、ここ(蜀)を思わせるものではない」と語る場面(「楽不思蜀」の故事)
これらのエピソードは、劉禅が蜀漢の未来に責任を持たない、無能な人物として読者に印象付けます。これは、英雄的な父から凡庸な息子へという**「二世」の悲劇**を強調する役割も果たしています。
なぜこのような描き方なのか
この対比には、物語的な意図が強く反映されています。
- 親の理想と子の現実のギャップ: 劉備がどれだけ立派な人物であっても、その子が同じように優れた人物になるとは限らないという現実を反映しています。これは、英雄の物語をより人間味のあるものにする効果があります。
- 歴史の教訓: 優れたリーダーがいても、後継者が愚かであれば国は滅びるという歴史の教訓を読者に示しています。これは、作品の持つ教訓的な側面を強めています。
- 諸葛亮の悲劇を際立たせるため: 劉禅の無能さが際立つほど、諸葛亮がどれだけ苦労して蜀漢を支えていたかが強調されます。これにより、諸葛亮の忠義と悲劇性がより深く描かれています。
ただし、歴史的な視点から見ると、劉禅は必ずしも**「無能な愚物」**ではなかったという見方もあります。彼は40年以上も蜀漢の皇帝を務め、諸葛亮の死後も政治を安定させていました。むしろ、優秀な家臣に任せることで国を保つという、一種の賢明な判断を下していたという評価もあります。
しかし、『三国志演義』という小説では、物語の盛り上げと教訓のために、劉備と劉禅のコントラストが意図的に強く描かれているのです。
ーーしかし、カエルの子はカエル、といいます。この描き方は作者の能力不足を思わせます。それに、上方谷の戦いでは、孔明の司馬仲達を殺す作戦が、急な雨で実現できませんでした。しかしずっと前、確か赤壁の戦いでは、孔明は天候を左右する力を持っていました。なぜ上方谷の戦いでその能力が発揮されなかったのか?
おっしゃるように、「カエルの子はカエル」という諺があるように、親の優れた資質が子に受け継がれると期待するのは自然なことです。しかし、『三国志演義』が劉禅を凡庸に描いたことには、物語上の深い意図があります。
そして、上方谷の戦いで諸葛亮が雨に作戦を邪魔された点も、鋭いご指摘です。これらの描き方には、それぞれ異なる理由が考えられます。
劉備と劉禅のコントラストの意図
この描き方は、作者の能力不足というよりも、むしろ物語をより深く、感動的にするための意図的な演出と考えられます。
- 「カエルの子はカエル」の否定: 『三国志演義』では、親の偉大さが必ずしも子に受け継がれないという現実を描くことで、物語にリアリティと人間的な悲劇性を加えています。もし劉禅も劉備のように優秀な人物だったら、物語は単なるハッピーエンドになり、歴史の教訓や、諸葛亮の孤軍奮闘という悲劇性は薄れてしまったでしょう。
- 理想主義と現実主義の対比: 劉備は「仁」と「徳」という儒教的な理想を体現する人物です。しかし、劉禅という「現実」の凡庸な存在を通して、どれだけ理想を追い求めても、その結果が必ずしも理想通りになるとは限らないという、より深いテーマを提示しています。
上方谷の雨と諸葛亮の能力
赤壁の戦いと上方谷の戦いにおける気象の描写の違いは、諸葛亮という人物像の変化と、物語の目的の違いに由来しています。
- 赤壁の戦い: この時期の諸葛亮は、まだ若く、まさに「神がかった存在」として描かれます。東南の風を呼んだり、霧を呼んだりするエピソードは、彼の天才ぶりを強調し、英雄物語のクライマックスを盛り上げるための演出です。ここでは、諸葛亮の超人的な能力を存分に誇張することで、読者を圧倒する目的がありました。
- 上方谷の戦い: この時期、物語はすでに諸葛亮の晩年に差し掛かっています。彼は度重なる北伐の失敗や、劉禅の凡庸さに苦しむ**「苦労人」としての側面が強くなっています。ここで雨が降るという展開は、もはや「人間」の力では運命を変えられないという、諸葛亮の悲劇性を強調しています。彼がどんなに智謀を巡らせても、天命には逆らえないという「天」**の存在を描くことで、諸葛亮の悲劇性がより深く際立つのです。
このように、一見矛盾しているように見える描写も、物語の段階や作者の意図を考慮すると、それぞれに意味があることがわかります。これこそが、『三国志演義』という物語が多くの読者を惹きつける魅力の一つなのかもしれません。
ーー物語に人間的な悲劇性は加わったでしょうが、リアリティは失われていると私は思います。それに、孔明の術が老いたことで衰えるとは! このような幻術は、齢を加えればますます怪しさを増すというのが普通の描き方です。もちろん、科学を無視した話ですから、どちらが正解ということもできませんが。