2025
09.21

Paul McCartneyの2002年日本公演

らかす日誌

前回の原稿から1週間以上が経った。屋内ネットワークの乱れに振り回され、一方では書かねばならない原稿があり、とてもではないが「らかす」までは手が回らなかった。いや、書く気になれなかったというのが正しい。

原稿は、お金をいただいて書いているものである。だから、何とかして書かねばならない。やっと今日、ひとつの原稿を仕上げた。明日はもうひとつの原稿を書くための取材をしなければならない。

その一方で、我が家のネットワークは乱れっぱなしであった。一度はつながったネットワークプレーヤーが突然ネットワークから消え去り、チャットGTPの薦めでプレーヤーの頭脳であるマイクロSD カードを作り直し、何とか生き返らせることができた。まだNAS(音楽ファイルを貯蔵しているネットワーク上のHDD)がプレーヤーにつながらず、やむなくもうひとつのHDDをプレーヤーに直結して聴いている。NASを何とかつなげようとチャットGTPの教えを請いながら取り組んだのは確か3日前。どうしてもつながらず、

「では、SMB マウントを試してみたいですか?」

という問いかけに、

「明日にします」

と答えて放ってある。何だか気力が萎えたのである。とてつもなく面倒に思えてきたのだ。いずれは取り組まねばならないとは思うが…。

というわけで、今日は音楽ビデオの話である。
このところ、撮りだめていた音楽ビデオを毎晩観ている。

「よくもまあ、こんなにため込んだものだ」

とわれながら感心するほどたくさんあり、それをAerosmith、B.B.King、BEE GEES…と見続け、いまはPaul McCartney編である。48枚もある。今日は2002年の日本公演のDVDだった。

Paul McCartneyの日本公演は何度か見に行った。1回目は東京ドームの音の悪さに辟易し、10分ほどで出たくなったのだが、それでも何度か足を運んでいるのだから、ファンとは仕方がないものだ。
調べてみると、Paul McCartneyの日本公演は1990年、1993年、2002年、2013年、2015年、2017年、2018年に開かれている。ということは、私が出かけたのは1993年2002年ではなかったか。
その2002年の映像記録を今日見ながら、思い出したことがある。ひょっとしたら私は、この講演の裏方になったかもしれないのだ。

「大道、お前は確かPaul McCartneyにファンだったな」

と私に問いかけたのは、朝日新聞からテレビ朝日に転籍した先輩だった。当時私はデータ放送局・デジキャスに出向中だったから、テレビつながりでこの先輩とはしばしば顔を合わせていた。

「まあ、ビートルズの流れでCDは全部持っていますが、どうかしたのですか?」

「いや、今度さ、テレ朝がPaul McCartneyの日本公演を買うことになったんだ」

「ああ、そうなんですか。でもPaulも声帯が衰えてきたように思うんですが…。ふーん、それをテレ朝が買うんですか。いくらなんです?」

「東京、大阪合わせて5公演で30億円(29億円だったかも)だよ」

あぜんとした。ということは1公演6億円! もうすでに大金持ちだろうに、たった5回のステージで、日本から30億円もの金をふんだくっていくってか!
まあ、それがビジネスかもしれないが。

「それでさ」

と先輩は続けた。

「お前、公演の裏方をやらないか?」

!! 何と、私がPaulのコンサートの裏方をやる! そんな名誉な仕事が私に降ってくる?! 人生、まんざら捨てたものではない!

「やります、やります。是非やらせてください!」

ひょっとしたら、丸谷才一の小説「裏声で歌え、君が代」ではないが、声がひっくり返っていたかもしれない。
まだ、朝日ホールの総支配人をやる前である。いや、そんな仕事を私がすることになるなんて頭の片隅にもなかった時である。つまり、コンサートの裏方とはどんな仕事をするのか知るはずもないのである。
だが、そんなことはどうでもいいではないか。いざコンサート会場に赴いて、あれやれ、これやれ、といわれても意味が分からず、裏方チームのお荷物になって白い目で見られてたって気にしなければいいのだ。何しろ私は、ビートルズの生き残りの1人のすぐそばに行けるのだ!
気分が沸き立った。

しばらくして、またその先輩に会った。

「ああ、大道、この前の話、忘れてくれ」

忘れろ? Paulに会えると興奮しているのに、忘れろ?

「あれさあ、他の招き屋にかっさらわれちゃった。99%決まっていたんだが、最後の最後でその招き屋がどこかのスポンサーを見つけて3億円上乗せしたんだ。うちはとてもそこまでは出せないから降りたんだ」

私は「シネマらかす LET IT BE - 5人目になりきった」で書いたように、映画館の片隅で5人目のビートルズになった経歴を持つ男である。50歳を過ぎてやっとやって来た、ビートルズに接近するチャンスは、こうして脆くも崩れ去った。

2時間半に及ぶPaul McCartneyの2002年日本公演のDVD(これ、海賊版で、客席から盗撮したものです。どこで手に入れたのかは忘却の彼方。画質、音質ともに決して褒められてものではありません)を観ながら、しばし懐旧の情に浸った私であった。

それにしても、NASがつながるのはいつだろう?