10.03
誰がなっても…
明日は自民党の総裁選なのだそうだ。テレビのニュースで何度も繰り返し見せられた。が、どうにも関心の持ちようがない。
私は自民党支持者ではない。むしろ、アンチ自民、の方である。だが、立憲民主党を初めとする野党のていたらくを見ていると、やっぱり政権は自民党を中心に作るしかないだろうと半ば諦めの心情で政界を眺めやっている1国民に過ぎない。
そんな私から見ると、テレビで流される各候補の政策などから見て、誰がなってもたいした違いはないのだろうと思う。だから関心の持ちようがない。
テレビは
「各候補の主張にほとんど違いがない」
というが、それはどうでもよろしい。なんともやり切れないのは、5人の候補が自民党敗北の原因を特定できていないことである。
私は前にも書いたが、今回の自民党の衰退は、自民党が自らの支持基盤であった中間層を切り崩す政策を取り続けてきたのが原因だと考えている。
1980年代のバブル景気が破裂し、1990年代は
「アメリカ企業の経営を学び直せ!」
と経営者たちがわめいた時代である。これに答えたのが小泉元首相のグローバルスタンダード論だった。日本企業の経営も、今や世界基準に乗っ取らなければならない、という主張だが、一皮むけばアメリカの真似をしろといっていたに過ぎない。そして、日本の経営者たちが
「日本の賃金は高過ぎる。これでは国際競争に勝てない」
とわめくものだから、派遣労働、業務委託、契約社員など、企業を終身の雇用義務から解放し、労働力を安く使うことができる制度を整えた。その結果、40歳になっても派遣社員で給与が安く、結婚などできるはずがないという大量の労働難民を生み出した。
東京・町田市で身も知らぬ老婦人を殺した40歳の男は派遣社員だった。
「人を殺して人生を終わりにしようと思った。人生に絶望感が溢れていた」
とこの男は話したと伝えられている。確かに、この男の身になってみれば人生は絶望に溢れるだろう。だからといって、見も知らぬ人を殺すことは許せないが、こんな人生を多くの人に強いたのが、過去の自民党の政策だった、と私は思う。
そこに気がつかずして、何が「解党的出直し」か。
ま、これはいまのところ、私だけの思いらしい。私が接する新聞もテレビも、そんな視点で今回の自民党総裁選挙を報じたことはないようだ。メデイアもずいぶんと劣化したものである。
ほんと、誰を選ぶのかねえ? どうなるのかねえ、我が祖国日本。