2025
11.28

えびす講を書くのを忘れていた

らかす日誌

11月19日、20日は毎年、桐生西宮神社でえびす講が開かれる日である。神も仏も信じない私が、何故か公式カメラマンとしてえびす講を手伝うようになってもう10年ほどになるが、今年のえびす講は

体力の限界!

を思い知らされたえびす講になった。足が動かないのである。
写真を撮る。被写体は向こうからやってきてはくれないので、シャッターチャンスを求めて動き回らねばならない。一度でも桐生えびす講においでになった方ならご存知の通り、西宮神社の本殿に至るには石の階段を上らねばならない。ルートによって少し違うがおおむね60段である。写真を撮るには、この石の階段を何度も上り下りすることになる。

昨年までは、苦ではあったが何となかった。ところが今年、私は何ともならないところに近づいたように思う。行き倒れとはなぜ起きるのか、が何となく分かったのである。

私は喫煙者である。だから、1日に何度かは人ごみを外れたところにあるベンチや石に腰を下ろし、タバコに火をつける。そこまではよい。吸い終わって立ち上がろうとすると、体が何とも重く、

よっこらしょ

と勢いをつけなければ持ち上がらなくなったのは、さて、写真を撮り始めてから何時間後のことだったか? しかも、立ち上がっても、何となく足がふらつくのである。酒など飲んでいないのに。

神社から参道を下ると本町通りに出る。そこにも露店が出ているのでカメラをぶら下げて歩いてみた。神社を出発すると、参道は下り坂だ。ほいほいと歩き、本町通りを露店が切れるまで歩を伸ばし、引き返した。本町通りは平坦なのだが、参道は今度は上り坂である。参道を途中まで歩いて思った。

「俺、この坂を登りきれるか?」

お尻の両側の筋肉が痛みを訴え出したのだ。おいおい、この程度の緩い坂を登れないのか? とは思うが、痛むものは痛む。お尻の筋肉と相談しながら一歩一歩、社殿に向かうしかない。

そんな危機感にとらわれながら動いた19日の歩数は8500程だった。午後9時半ごろ引き上げたが、

「ああ、これが疲労というものか」

と嘆きながらの帰宅だった。そして思った。

「明日、俺の体は動くのか?」

帰宅するとすぐに風呂を沸かし、疲労困ぱいした下半身を暖めた。痛む腰には湿布を張り、布団に入ったのは12時ごろか。

20日朝、それでも何とか体は動いた。であればえびす講に出かけなければならない。9時前に自宅を出て桐生西宮神社に向かい、この日もカメラマンを引き受けた。それでも、この日の歩数は約6500である。それ以上動く体力がなかったのである。

が、それは私だけに起きた現象ではないようである。えびす講の裏方はほとんどが高齢者である。私以上に疲れを感じている方は複数いらっしゃったようで、そのうちの1人から

「ねえ、疲れは取れた?」

と電話をいただいたのは、えびす講が終わって何日目だったか。
不思議なことに、私は1、2日後には元に戻っていた。

「ああ、取れたみたいだよ」

と答えると、

「ああ、そう」

と電話は切れた。彼はきっと、まだ疲れのさなかにいたのだろう。

いずれにしても、私もそんな年齢になってしまった。嬉しくも悲しくもない。ただ現実を受け入れるしかない。

さて私は、2026年のえびす講にカメラマンとして参加できるのか?
きっとそれは、これから1年の精進にかかっているのだろう。でも私、そんな精進ができるか?

人はこのようにして老いていくらしい。