2024
06.12

連載を終えて

らかす日誌

やっと終わった、というか、とうとう終わってしまったと書くべきか。
昨年5月、ふと思いついて始めた私の半生記、「私と朝日新聞」が8日付で最終回を迎えた。ほぼ毎日書き続けた、私としては珍しい、限りない根気を要する連載だった。確か、何日か抜けたと思うが、それはお許し願いたい。この場で、つまらない思い出話を読み続けていただいた方々に深く感謝する

書き終えて、気が抜けて、3日間原稿を書かなかった。いや、「私と朝日新聞」の原稿を書かなくてよくなった分、ほかの原稿に時間を割いた。どこかで書いたが、桐生市の不動産会社のHPで連載している「きりゅう自慢」の次の原稿である。
アマチュアの郷土史家を取材しているのだが、この方の話、まとめるのがなかなか難しいのである。桐生の郷土史に新しい光を当てていることは確かだと思うのだが、このアマチュア史家、史料に基づいて郷土史を再編成するというより、ひらめきが先にあるタイプなのだ。そして不思議なことに、そのひらめきに、後になって史料が追い付いていくる。それをこの方は「セレンディピティ」(思いもよらなかった偶然がもたらす幸運)と表現される。
そんなだから、できるだけ正確な原稿を書きたい私は、

「確実な史料によって確定できる史実と、あなたが『乞うに違いない』と考えていることを分けて話してください」

とお願いするのだが、5分もすると

「いや、これはこうに決まってるんですよ」

という話になる。取材者泣かせである。

それでも、これまで調べ、考え詰めてきた郷土史が、文章になってインターネットで公開されることを心から喜んでいらっしゃるらしいことは言葉の端々、その表情から読み取れる。次の取材は来週17日、である。

さて、桐生がどんな新しい昔の顔を見せてくれるのか。7月8日には第1回をアップしなければならないのだが、それまでに原稿が間に合うか? 間に合わなくても困る人はいないのだが、筆者である私には、いま最も気になっていることである。

後期高齢者になって半月あまり。このごろ、

「なるほど。年が寄るとはこのようなことか」

という体の変化に日々ぉづかされるようになった。これからの「らかす」はあなたが後期高齢者になった時の自分を思い描く伝手になる話が増えそうである。

できるだけ密に原稿を書こうとは思っている。あまり期待されずにお付き合いいただければ、この上ない幸せである。