09.02
あなたは延命治療をして欲しいですか?
「延命治療をするかしないかって先生に聞かれた」
入院中の妻女殿から突然電話がかかってきた。
延命治療? どうしていまごろ、そんなことを聞かれる? だってこれからの治療はカテーテルを使ってのものだから、植物人間になるリスクがあるとは思えないが。
「で、どうしたらいいと思う?」
と聞かれても困る。私は延命治療を受ける気はない。植物人間になって生命だけを繋いで何の意味があろう。
しかし、いま問われているのは私の死ではない。
「問題は、俺がどう考えるかではない。俺にそれを決める権限はない。自分のことなのだから、お前が自分で結論を出すしかない」
とは、当然の答である。
『そう思って、延命治療はしないって答えた」
それならそれでよい。私はお前の結論を尊重するだけだ。しかし、珍しく意見が一致したな!
だが、カテーテルを使った治療をするのに、手術に比べれば身体への侵襲度は低い治療だというのに、そんなことまで確認するのがいまの病院なのか?
担当医と話した。一度会ったが、まだ28,9の若い医師である。
「手術かカテーテルかという話をした時、カテーテルの方が身体への侵襲度が低いといいましたよね。それは手術に比べればリスクは少ないということだと理解しましたが、それでも植物人間になるリスクが残るのですか?」
若い医師は、正面から答えてくれた。
『カテーテルを使った施術でも、全身麻酔をかけ、人工呼吸器に繋いで生命を維持します。我々は最善を尽くしますが、このような施術ですから100%安全とは言い切れません。だから、患者さんにはこのような質問にお答えいただいています」
万が一に備えるということか。
ついでに聞いておきたいことがあった。
「今回の件は、自己抗体の攻撃目標が、これまでは主に腎臓だったのから心臓まで広がったということですか?」
これである。妻女殿はなにゆえに突然死してもおかしくない心臓を持つに至ったのか。
「いや、これまでの症例では、自己抗体の攻撃目標が心臓に向かった時、大動脈弁が肥大するということは聞いていません。ですから、膠原病とは関係なく、加齢によるものだと思われます」
加齢。しかし、妻女殿はまだ74歳である。加えて、彼女の両親は極めて健康であった。父が亡くなったのは90ウン歳。母に至っては高齢になるとほとんど外出せず、屋内で日々を過ごした。それも、家事を懸命にこなすこともなく、しかも太り気味であった。血液循環を促す暮らしぶりではない。心臓に負荷がかかってもおかしくない。それでも母は、90を過ぎるまで生きた。その間、心臓に病が見つかったという話は聴いていない。こんな両親から生まれた妻女殿が、74にして、加齢による大動脈弁膜症……。納得しがたいが、それが現実なら受け入れるしかない。
だが、そうなると気がかりなのは治療費である。膠原病が引き起こした病なら、難病に指定されているから公費でまかなえる。しかし、そうでないとすると、治療費のすべてを負担しなければならない。ここは高額医療補助制度に頼るしかあるまい。
それでも、結構な金が出て行くよなあ……。
という問題を抱えた今日、黒澤明監督の「赤ひげ」を見た。現在、黒澤作品を制作年順に見ているところである。
何度見ても素晴らしい映画である。立身出世主義に凝り固まった保本登(加山雄三)が、医の倫理、哲学の権化のような新出去定(三船敏郎)に最初は反発し、やがて心酔していく様は人格教育の粋だろう。
みじめな暮らしの中で誰も信用できなくなって心が縮こまっているおとよの心を解きほぐす保本と新出に、医療だけでなく、人と人との関係の理想型を見るのもこの映画の楽しみだ。
まこと、医者とはこうありたい、いや人間とはこうありたいという理想像を黒澤監督はスクリーンに映し出した。