2024
09.15

長女一家が来た

らかす日誌

四日市の長女一家4人が昨日、やって来た。入院中の妻女殿の見舞いが目的である。同時に、旦那の両親に大学生になった啓樹を見せに行くのも狙いだったようだ。

午後5時半頃、我が家に到着した。我が家に上がり込んで、啓樹が最初に手にしたのは私のギターである。いつか書いた記憶があるが、カスタムメイドのMartinである。このギター、早くも我が長男と啓樹の間で争奪戦が起きている。いくら争奪戦を繰り広げても、私が身罷るまでは私のものである。そこで私があれこれ考えることになる。

8月下旬にやって来た長男は

「啓樹には渡さない」

と宣言した。このギターが欲しくて仕方がないらしい。
私は肩を壊して以降、このギターにはほとんど触れていない。ギターを演奏する才能が備わっていないことを自覚したのも、ギター演奏から遠ざかった一因である。だから、このギターが我が家にあっても宝の持ち腐れである。そこで長男に提案した。

「分かった。このギターはお前に譲る。その代わり、時が来たら、お前から啓樹に譲ってくれ」

これが提案の第1である。

「ただ、ギターにはあまり触らなくなったが、でも、そばにギターがないのは寂しい。ふと触りたくなることもあるからだ。だから、お前が適当だと思うアコースティックギターを買ってくれ。中古でもいい。できればMartin。それと交換しよう」

これが提案の第2である。
さらに、もう一つ提案した。

「ギターの才能は、啓樹がピカイチだ。だから、啓樹がステージでアコギを演奏する時は、このギターを啓樹に貸す。それが条件だ。なんなら、いまこのギターを持っていってもいいぞ」

まだ件のギターは我が家にある。そのうち長男がギターを交換しに来るはずである。

と書きながら、ふと思った。これ、私の終活

それはそれとして、私のギターを手にした啓樹は開口一番、

「これ、いいわ。持っただけで良さが分かる!」

おい、弾きもせずに分かるのか?

「分かるんだよなあ。この手触り、弾きやすいよこれ」

といいながら、Eric Claptonの「Key to the Highway」を弾き始めた。上手い! 私の孫なのに、なんでそんなに自由自在にギターが弾けるんだ?

啓樹にはこのギターの承継順を説明した。まずおじさんのものになる。おじさんがもういいわと思ったらお前のものになる。ただし、お前がステージでアコギを弾く時は、このギターを貸し出すようにおじさんい言ってある。

ま,啓樹としては不満が残るかも知れないが、啓樹ももう19歳である。昨夜はビールもウイスキーも一緒に飲んだ。私としてはそうするしかないことは理解してくれたと思う。

5人での夕食は焼き肉だった。JR桐生駅近くに昨年12月開店したばかりの店に行った。「たけ内」という。もと高校球児が店主である。

「おい、この店には行ったことがない。だから味は保証できないぞ」

といいながら向かったが、懸念は無用だった。この店、いい肉を使っている! 不満は、ビールはアサヒだけしか置いていないことである。だって、アサヒビールは数あるビールの中で、私が最も不味いと信じて疑わないビールだからである。
数回通って親しくなったら

「サッポロ系のビールを置いてくれ」

と頼んでみることにする。

長女たち4人は今朝、旦那の実家である高崎市吉井町に向かった。旦那の両親と昼食を共にするためである。
妻女殿の入院先で午後2時に待ち合わせした。無事合流して妻女殿の病室へ。10分か15分の滞在だったが、まあ、見舞いとはそんなものだろう。

終えて長女曰く、

「お父さん、お母さんに『頑張れよ』ぐらい言ってあげなよ」

私曰く、

「そんな歯の浮くようなことを言えるか」

我が家はそのようなファミリーである。