03.13
児玉と隠岐島へ旅行した
「児玉よ、隠岐島に行ってみる気はないか?」
私が児玉を誘ったのは、私の名古屋単身赴任中のことである。
隠岐島は島根半島の北、約50㎞に浮かぶ島である。後鳥羽上皇や後醍醐天皇が流された島として歴史に名高い。でも、天皇や上皇が流されるぐらいだから、絶海の孤島だろう。なんでそんな島へ?
美味しい仕事が降ってきたのだ。
「大道くん、夕刊で連載している『旅』のコーナーに1本書いてくれないかな」
私は名古屋経済部員である。その私に社会部のデスクが声をかける。あまりないことだ。私の文名は社会部にまで鳴り響いていたか?
「名古屋管内(愛知、岐阜、三重の3県)の旅ですか? それはあまり面白くないなあ」
声をかけられた私に、その程度の交渉は許されるだろう。
「いや、国内ならどこでもいいんだ。ひとつ、やってくれないか」
すべて会社の金での国内旅行である。さて、どこへ行こうか? ふと思いついたのが隠岐島だったのだ。その頃、歴史小説でも読んでいたのか?
目的地を隠岐島に決めたとき、
「ひょっとしたら、児玉も行きたがるのではないか?」
と考えたのは何故だろう? 四方を海に囲まれた島である。釣りたてのピチピチした魚が食えるから児玉も喜ぶだろうと考えたのか? それとも単に人寂しかったのか?
だが、私は社費で旅行するのだが、児玉は全て自費である。朝日新聞はそこまで面倒見のいい会社ではない。名古屋から隠岐島までの旅費だけでなく、東京から名古屋までの往復旅費、現地での宿泊費も全て児玉が払うことになる。
「ま、来ないだろうな」
と思いながらの電話だった。そう思いながら電話をしてしまった理由はよく分からない。
「え、大道さん、隠岐島にいくとね。面白かね。俺も行ったことのなかけん、行こか?」
えっ、来る? ほんと?
こうして我らは隠岐島に旅立った。
どうやって隠岐島に辿り着いたか、しばらく考えたが思い出せない。いまなら名古屋空港から直行便が出ているようだが、あの時は確か大阪まで出て、プロペラ機で島に向かったのではなかったか。それとも境港からのフェリーだったかな‥‥。
旅行の手配は名古屋市内の旅行代理店に依頼した。朝日新聞の夕刊に掲載する「旅」の取材だから、それに相応しい、面白い話が聞けそうな旅館かホテルにしてほしい、と頼んだ。これがのちにとんでもないことを引き起こすのだが、その時の私はまだ知らない。
旅行代理店が手配してくれたのは、リゾート風のホテルだった。案内された部屋はメゾネットになっており、この部屋で私と児玉が寝る。2人ともその種の趣味は皆無だから、安心して眠ることができる。
事件が起きたのは夕食の席だった。山海の珍味、というより、海の珍味がテーブルに並んだ。流石に海に囲まれた島である。
だが、児玉の表序が冴えない。
「どげんかしたとか?」
「うんにゃ。ばってん、こりゃあ何かね? こげな酷いもんば食うためにこんなところまで来たつかね?」
「なんで?」
「見れば、食えば分かろうが。このタコはアフリカからの輸入たい。解凍の仕方が下手やけん、水っぽくて食えん。このエビはアラフラ海やろ。こっちは‥‥。海しかなかとこで、なんで輸入品の魚介を食わされんとでけんと!」
そうか。料理のプロとは、見た目で、舌で、素材の産地まで見極めるものなのか。すごいものである。
「児玉よ、今回は取材だ。腹も立とうが、ここは目を瞑って、穏やかにやってくれ」
それで納得したのだろう。喧嘩っ早い児玉だが、その場は大声を出すこともなく、夕食を終えた。
それだけなら、事件は起きなかったのだが‥‥。
このリゾートホテルの支配人と思える男性が、我々の部屋のドアをノックしたのは午後9時過ぎであった、私たちは、確か食後のウイスキーを楽しんでいたと思う。
「お寛ぎのところ、失礼します」
と部屋に入ってきた支配人は、頭を低くしていった。
「夕食の方、いかがでございましたか? 何か私どもの落ち度や、お気づきになったことがありましたら、ぜひお聞かせいただきたいと思いまして」
何のことはない。きっとこの人は、私が朝日新聞の記者であり、「旅」の原稿を書くために来たことを旅行代理店から聞き知っていたのだ。新聞に掲載される。であれば、このホテルをできるだけ良く書いてもらいたい。そんな下心がなければ、支配人自ら、こんな時間に客の部屋を訪れるはずがない。
私は、
「いやいや、よくしていただいて、本当にもう」
と、相手の下心が見通せるだけに大人の対応をした。
児玉は違った。
「言うてよかですか?」
とまず断った。
支配人の目からは、児玉も朝日新聞の記者である。ご機嫌をとり結ばねばならない。
「はお、もう何事もこれからの経営の参考にさせていただきますので遠慮なくおっしゃってください」
児玉の進む道が決まった。
「だったら言わせてもらいますが、あのタコはアフリカ産でしょう。解凍が下手だから水っぽくて食えたものじゃない、エビはアラフラ産で‥‥。そもそも、隠岐島は海に囲まれとるでしょう。その、地元で水揚げされた新鮮な魚が食えると思ってここまで来たとに、何で輸入品ばっかり食わなきゃならん?」
支配人は凍りついた。たかが新聞記者が、どうしてそこまで食材に詳しいのか? と大きな疑問符を持ったかもしれない。しかし、指摘されたのは全て事実なのである。
「いや、それは‥‥。誠に申し訳ありません。あのー、どうしたたらよろしいでしょうか?」
児玉は答えた。
「この島の港に上がった魚介類を食いたい」
支配人がほうほうのていで部屋を出ていったのはもう10時を回った頃だった。
翌朝、7時ごろに目覚めた私は、外の空気が吸いたくて室外に出た。すると、それを待っていたかのように、あの支配人が近づいてきた。
「あのう、少しよろしいでしょうか?」
はあ、何でしょう?
「今朝1番で、漁港に行ってまいりました。ところが今日は不漁だったようで、上がった魚は3匹だけでした。それを全て買ってまりました。朝食にお出ししてもよろしいでしょうか?」
この人、完全にビビり上がっている。可哀想に。 児玉の話で、
「これは、このリゾートホテルの生死を決める戦いだ」
とでも思ったのだろうか。2人の新聞記者がこのホテルの悪口を書いたら、客足が途絶えると恐れたのだろうか。
無論、児玉が朝日新聞の記事を書くはずはない。そして私は心優しい記者である。児玉が怒った話を文字にするはずもない。ごく普通の旅行記を書いただけである。
児玉が逝っちまって、私の中で生きている児玉を文字にしておきたいと書き連ねているうちに、ふっと思い出した話である。
児玉はいい男だった。