03.14
私がこだまの手足になった話
今回は、私がなどや在勤中の、児玉との最大のトピックスを紹介する。ゴールデンウィークにフジテレビが代々木公園で開いたイベントにまず児玉が担ぎ出され、私が児玉に駆り出された話である。
「らかす」を長年ご愛読いただいている方には、これだけで中身がお分かりになるかもしれない。そう、「グルメらかす」の中でくわあしく書いているからだ。
しかし、最近読み始めれれた方はご存知ないだろう。それに、かつて書いたといっても、21世紀に入ったばかりの頃である。お読みになった方の記憶からは概ね消え去っているだろう。
というわけで、その原稿をコピペして皆様にお読みいただくことにした。手抜き? いやいや、読者サービスであります。
なお、コピペと言いなが、一部手を入れるかもしれない。悪しからず。
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ゴールデンウイークを目前に控えた4月下旬、畏友「カルロス(児玉徹)」から電話が来た。
「大道さん、あんた、ゴールデンウイークはどげんすっと? こっちに帰って来っとかね?」
「あ、うん。名古屋に1人でいても何もすることがないから、帰るつもりだが」
「そやろねえ。ほんなら、ちょっと頼みたかこつのあっとばってん」
畏友「カルロス」は、攻撃性が衣を着て歩いているような人間である。それが、頭を低くして頼み事をする。警戒を要する構図である。
攻撃に勝る防御なし。
先制攻撃に限る。
「金はないぞ!」
「なんば言よっと。金の話じゃなか。ちょっと仕事ば手伝うてほしかっちゃもんね」
仕事?
畏友「カルロス」はレストランのオーナー・シェフである。その畏友「カルロス」が仕事を手伝えという。客に売る料理を作る手伝いを私にしろということである。
我が腕は、とうとうプロも一目置くところにまで到達したのか。達成感が、ジワッと体内に広がった。ん? あいつが俺の作った料理を食ったことがあったっけ?
が、私は頼まれる立場である。強い立場にあるのである。安請け合いをしては、せっかく築いたこの位置が崩れてしまう。交渉は、出し惜しみから始めるに如くはない。
「ん? 仕事ってなんだ? 場合によっては考えないこともないが。ま、俺もいろいろと忙しい体なんでね」
「なんば出し惜しみしよっと! 連休ちゅうたら、どうせ家でごろごろして本ば読んどっとやろが」
ピンポーン! 流石だ。付き合いが長くなると、心の内まで読まれてしまうらしい。当たりである。しかし、ここで認めては、我が優位な立場が瓦解してしまう。
「君、馬鹿を言っちゃいけない。これでもね、あれこれ片付けなければならない仕事がたまっているし、それに、本を読むといったって、人間としての最低限の知性と教養を身につけるための貴重な行為ではないか。仕事に追われるいつもと違って、連休はまとめて本を読む絶好の機会なのである。普段からあまり本を読まない君にいわれる筋合いではない」
「なーんば、ぐちゃぐちゃ言いよっとね。しぇからしか。オリが困っとるけん、助けてくれんねっち頼みよっとやろが!」
困っている。助けてほしい。
私が聞きたかった、待っていた言葉である。畏友「カルロス」がこの2つの言葉を吐き出した瞬間、私の優越的地位は確固不動のものとなった。
足場は固まった。そろそろ、話を聞いてやらねばなるまい。
畏友「カルロス」の話は、おおむね次のようなものであった。
ゴールデンウイーク期間中、フジテレビが東京・代々木公園でイベントを打つ。毎日、朝から夜までぶっ続けでやるので、イベント会場内に食事の施設がいる。
そこで、在京テレビ局の担当者は考えた。イベントの一環として食事施設を作る以上、グルメで行きたい。
食事設備を「ミリオンキッチン」と銘打った。イベント担当者が自分の口で食べて「美味い!」と思った店に出店を頼んで回った。その1つが、我が畏友「カルロス」が経営する「ラ・プラーヤ」だった。
たいした金にはなるまいが、客の頼みとあっては断り切れない。やむなく引き受けた。50人用の大鍋でパエリアを作り、客に出すのである。
「で、アルバイトも使うとっとばってん、どげんしたっちゃ人間の足らんと。そっであんたに頼みよっとよ。ほら、ある程度分かったヤツに頼まんと、仕事にならんやろが」
ここまで膝を屈して頼み込む相手にすげなくするのはこの上ない快感だろう。それが分かりながら、悪意に凝り固まった人間になれない私の性分が残念である。が、あくまで最後までポーズだけは決めておきたい。
「うーん、これでゴールデンウイークの連休はパアかよ。しょうがない、手伝うわ。連休初日に横浜に帰るから、翌日からでいいな」
「助かるわ」
イベントは、連休の2日前からスタートしていた。まず、天下国家が休日にならなくとも休みが取れる暇人どもを集めて前景気をあおろうというのが、主催者の意図だったのであろう。
連休初日、朝6時頃車で名古屋を発った私は、東名高速をひたすら東上し、お昼前に横浜の自宅に着いた。
畏友「カルロス」を手伝う約束は、明日からである。今日は、日頃の過酷な労働の疲れを癒し、長距離ドライブで緊張しっぱなしであった神経に休息を与え、翌日からの労働に備える、計画だった。
が、昼食を食べながら、何かが引っかかった。どことなく気分が落ち着かない。
いま考えれば、虫が知らせたのかもしれない。
「おれ、ちょっと代々木公園まで行って来るわ。仕事の段取りも知っておきたいし。晩飯までには帰る」
見通しが甘かった。晩飯までに帰るなどは、夢物語にすぎなかった。
まだ入場パスのない私は、正規料金(いくらだったか忘れたが、1000円内外はしたように思う。畏友「カルロス」は「800円たい」と断言した)を払って入場した。ミリオンキッチンを探す。
あった、あった。バラックの掘っ建て小屋が30~40、軒を接して立ち並んでいた。というより、棟続きの長屋に入居していた。ふむ、ミリオンとは長屋の集合体の別称であったか。
「そうか、これが明日からの我が職場か」
足を踏み込んだ。広島のお好み焼きがある。大阪のお好み焼きもある。博多ラーメンがあれば、札幌ラーメンもある。トルコのドネルカバブもあればカレーもあり、ピザ、フィッシュ&チップス、アサリラーメン、ハンバーガー、中華がゆと並ぶ。いろいろあるものだ。
探し求めるのはスペイン・アンダルシア料理の店、「ラ・プラーヤ」である。どこかいな、と。
あった、あった。見ーつけた!
午後3時近い時間であった。表から店内をのぞき込む。誰もいない。そうか、客足のとぎれる時間帯か。
裏に回った。おお、いた、いた、畏友「カルロス」が、店の裏に座っていた。
「よう!」
「ん、ああ、あんたね。もう来たつかね。明日からと思とったばってん。ばってん、ありがたか」
畏友「カルロス」が気怠そうに顔を上げた。おかしい、どこか変だ。表情が死んでいる。ゾンビである。そういえばこいつ、地面にへたり込んでいる。
「えらく元気がないが、どうかしたのか? 客足が伸びないんで参ってるのか?」
「そりがたい、客の来すぎてから、もう初日から目の回るごたる忙しさで、今日も、いまやっと一服しよっとこたい。きつかっちゃもんねえ。疲れたっちゃもんねえ」
なるほど、疲労感が全身からあふれ出している。覇気がない。
畏友「カルロス」の特徴が、ものの見事に消え失せている。これなら、我が妻が右手の人差し指でちょいと押しただけですってんころりと転んでしまいそうである。棺桶に入る一歩手前である。
「そんなに疲れたのか」
「もーう、滅茶苦茶たい」
こうして私は、その時点から畏友「カルロス」の店を手伝う羽目に陥った。
この「ラ・プラーヤ」の出店には、アルバイトの女性が2人いた。学生であるそうな。が、彼女らに調理はできない。50人用のパエリア鍋からパエリアを紙皿によそって客に渡し、代金を受け取るのが役回りである。
作るのは、鍋の後始末をするのは畏友「カルロス」しかいなかった。そして、今日からは私を入れて2人になる。
この日は、もっぱら「カルロス」が調理にあたった。私は、中身が売り切れた鍋を運び、きれいに洗いあげたうえで薄くオリーブオイルをひいて錆止めとする。「カルロス」の命令で米を運び、「カルロス」の命令で鶏肉や玉ねぎを切る。まあ、調理の補助役である。補助役をしながら、仕事の流れを頭に入れなければならない。
掘っ建て小屋風の店を出たとき、時計の針は午後8時を回っていた。当然、空腹である。何かを食べねば帰れない。酒を飲まねばとがった神経が休まらない。
2人で渋谷の街に食い物を探した。2人とも、自称グルメである。美味いものを食いたい。特に、畏友「カルロス」はプロである。自称「遊び尽くした」男でもある。店探しは「カルロス」に任せた。店に入り、ビールを飲み、酒を飲み、食い物を腹に入れた。
結論を急ごう。渋谷で我々の口にあうものを探すのは、木によって魚を求める努力に近かった。
そんなこんなで、自宅に着いたのは11時近かった。
私の仕事は、翌日から本格化した。
朝8時半には自宅を出て、9時半頃代々木公園に到着する。掘っ建て小屋にはいると、直ちに下準備を開始する。
ここで、読者のみなさまによりよくご理解いただくための一助として、図を使うことをお許しいただきたい。私たちがパエリア供給作業に従事した掘っ建て小屋の平面図である。
簡単に解説しよう。
正面側は、腰の高さから上が全てオープンになっている。客は、店の中を全て見通せる。スッポンポンである。我々の作業の進み具合を全て鑑賞できるのである。
「全部見せちゃう!」
舞台に立ったストリッパーの心境である。
その正面側の店内には、ガス台を置くテーブルがあり、ガス台が3つ置かれている。主催者側で用意したもので、熱源はプロパン。我々は、うち2つを調理用に、接客カウンターに近い1つを、できあがったパエリアが冷めないように湯煎するために使った。
掘っ建て小屋のほぼ中央部には、長さ2m、幅1mほどのステンレス製の作業台が居座る。ここで材料を切り分けるほか、最盛期には切り分けた材料を置いておく場所としても使われた。
図の右側にあるテーブルもステンレス製。物置台である。のちに、このテーブルが重要な役割を果たすことになる。
左側の流し台には、ガス湯沸かし器が取り付けられていた。
背面側の冷蔵庫は、食材が傷まないように保管しておくためのものである。
米置き場、とあるが、別に特別な設備があるわけではない。すでにご存じのように、パエリアには大量の米を使う。このため、ビニール袋にはいった米を積み重ねておいた場所である。この米の山は、時には、疲れた体を休めるために座り込む、椅子代わりにもなった。
この限られた空間で、初日の朝の、私の作業は次の通りであった。我が舞台は、図に中のセンターテーブルである。
冷凍された鶏肉を、一口大に切り分ける。
冷凍されたイカを流水で解凍し、骨と内臓を取り去って短冊状に切る。
玉ねぎの芯をとり、皮をむき、ざく切りにする。
ピーマンを輪切りにし、種を取り去る。
ニンニクの皮をむく。
レモンを32分割する。あなたは1個のレモンを32分割したことがありますか>
と書くと簡単そうだが、いや、それがあなた、確かに5~6人前なら、どうということもない。しかし、ここに店を出しているということは、前日までの実績を元にしても500人前、600人前、商売として売り上げを伸ばす希望を付け加えれば、1000人前の材料を切りそろえるということである。
並大抵の作業ではない。
鶏肉は、冷凍状態ではきわめて固い。包丁で切り分けるには相当の力がいる。溶け始めると、鶏肉はグニャグニャした物体に変わり、これも包丁で切るのはなかなかの作業である。
イカはどうか。こいつはまず足の部分を掴み、力一杯に引っ張ると内臓がゾロゾロと出てくる。こいつは捨てて、残った筒状の本体に包丁を差し込み、切り開く。内臓の残りをきれいに取り去り、平らになったイカ本体を包丁の先っぽで短冊状に切っていくのだが、包丁を押しつける力が弱いと皮が残り、短冊状になってくれない。かなり力のいる作業である。
玉ねぎは、まず先のとがった小さな包丁を根の出ている部分の近くに、中心に向けてグサリと突き刺し、玉ねぎをぐるりと回す。円錐状になったものが玉ねぎ本体からポロリと落ちる。落ちたら玉ねぎをひっくり返し、包丁を芽の出ている部分に同じように突き刺して玉ねぎをぐるりと回す。
ここまでは楽な作業である。この後、茶色くなった薄皮を剥かねばならない。これが、力はいらないが面倒くさい作業である。椅子に座り、足元に不用になった段ボールの箱をおいてゴミ箱とし、黙々と皮を剥く。
この程度で充分だろう。とにかく、朝から辛気くさい作業を黙々と継続する。
日本の庶民には、朝食抜きでイベント会場に駆けつける方々が結構おいでになるようである。朝食抜きの暮らしは肥満につながることすら知らない連中なのであろうか。イベント会場の門が開くのは午前10時だというのに、10時半には
「パエリアちょうだい」
という客が必ずいる。
そんな客に対応するために、私が材料を切りそろえている傍らで、畏友「カルロス」は50人用のパエリア鍋を前に、粛々とパエリアを作り始める。
鍋をガス台に置き、オリーブオイルを注ぐ。皮を剥いてあるニンニクを2、3片とって包丁の腹でつぶした後みじん切りし、鍋に放り込む。タマネギ、ピーマンを加え、さらにアサリ、鶏肉、エビを入れてしばらく炒め、トマトピューレ、短冊に切ったイカを投げ込んで、全体に火が通ったら湯をはる。
といっても、なにしろ相手は50人分である。やかんなどで湯を入れていたのでは間に合わない。瞬間湯沸かし器からきれいに洗ったポリバケツに湯を入れ、運ぶのである。
沸騰してきたら塩で味を調え、サフランをホンのひとつまみ、加えて大量のターメリックとパプリカ、オレガノを振りかけ、やがて米を入れる。米はビニール袋のまま運び、口を開けてそのまま鍋の中にぶちまけるのだ。
50人分となると、作り始めてできあがるまでに1時間はかかる。この掘っ建て小屋に到着すると同時に調理に取りかからないと、最初の客を待たせしてしまう。プロにはあるまじき失態である。
前日までと違い、作業に分担ができた。私が下準備をし、畏友「カルロス」が作る。手がすいた方が、中身が売り切れてからになった鍋を洗う。
その日は、午後8時の閉店までに、600~700食が売れた。50人分の大鍋で12~14枚作った計算である。
作業は順調に進んだ。分業というシステムは実に生産性が上がる。資本主義の初期段階で分業、流れ作業のシステムを作りだした米国の先達、ヘンリー・フォードに感謝した。
店を閉め、酒と夕食を求めて渋谷の街に出た。相変わらず納得できない食べ物しかなかったが、この日の2人は確信にあふれていた。
「ほんなこて楽になったばい。昨日までとは疲れ方も違うごたる」
「でもなあ、やっぱり、1日1000食ぐらいは出てほしいよな。それくらい出てくれないと、仕事をしていて張り合いがないし、お前の利益も違ってくるもんな」
「ああ、明日からが本番ち、本部の連中も言いよったけん、明日はもうちっと来るとやなかろか」
「楽しみやな」
その日も、自宅に着いたのは11時を回ってからだった。そのまま布団に入った。やや疲れてはいたものの、肉体労働に従事した後の安らかな眠りだった。
しかし。
我々の見通しは甘かった。
我々は、地獄の入り口にいることを知らなかった。
我々は、嵐の前の静けさの中で酒を飲み、眠りについた。
地獄の釜の蓋がが開き、風速60mの嵐が襲ってきたのは翌日だった。
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1回目はここで終わっています。そうか、クライマックスはもっと先か!
明日以降もコピペを続けます。