03.24
児玉はなぜ私になついたのだろう?
しばらく他のことでバタバタしていて日誌が途切れた。同時に、私の中に残っている児玉の思い出もほぼネタが尽きたようで、あとは断片的な記憶があるだけだ。
しかし、と思う。児玉はなぜあれほど私に懐いたのだろう?
始まりはスペイン料理屋の店主とその客である。店主がいくら客と入魂になっても、客の家にしばしば泊まりに行くことはない。
しばらく店に通っているうちに、出身が同じ九州であり、大学も同じ九州大学だったことがわかったからか? しかし、同郷、同窓だからと言ってしばしば泊まりに行くか? 私にはそんな付き合いは他にない。児玉だけである。
なぜ児玉とそれほど親しくなったのだろう? なぜ児玉はしばしば我が家に宿泊し、あるときは材料を持ち込んで料理の腕を振るい、あるときは妻の料理を喜んだ。大量に酒を飲んで酔っ払ったのだろう?
我が家の食卓は2階にあり、児玉に用意した寝所は1階のリビングだった。ある日、児玉は
「酔っぱらったけん、もう寝るばい」
といって2階のダイニングから1階に降りて行った。と思ったら大きな音がした。何事ならんと見に行くと、階段を転げ落ちた児玉が、1階の廊下で大の字になっていた。肘か頭を壁にぶつけたらしい。大きな穴が空いていた。確か、救急車を呼んで病院に運んだのではなかったか。
どうして児玉は、我が家にこれほど愛着を持ったのだろう?
ある夜、我が家で酔った児玉がボソッと言ったことがある。
「あんたはよかもんね。あんたの奥さんはあんたば愛しとらす。やらやましかもんね」
ん、こいつ、何を言いたいのだ? その場は
「何を言ってる。そんなことがあるもんか。それに、お前の奥さんだってお前が好きだからお前と結婚したんだろう?」
との私の言葉で会話が途切れた。私は児玉の言葉をあまり重視しなかった。私に対するおべっかかな、と思った程度である。
児玉があまり幸せでない子供時代を送ったとは、彼が死んでから知った。父の後妻との折り合いが最悪だったと聞いた。児玉が大学に入り、過激な学生運動に身を投じたことには、そんな背景——住みにくいこの世の中を叩き潰したい——という衝動があったのかもしれない、と考えたのは、その話を聞いてからである。
そして、奥さんとの関係もあまりよくなかったようだ。
そんな背景を知ると、児玉は私の家族に救いを見出していたのかなあ、とも思う。俺はこんな家庭で育ちたかった、と思ったか。こんな家族を持ちたいと願ったか。
といっても、我が家は人に羨まれるような立派な家族ではないと思う。とりあえず私がいて、妻がいる。子供3人も普通に成長した。どこにでもある親子5人のファミリーである。児玉が頻繁に我が家に来たころは、息子は中学生から高校生のころで、上の娘が小学生から中学生、下の娘は小学生だったと思う。3人の子供は児玉によく懐いた。
「今日は児玉の店に行く」
と口にすると、下の娘は
「お父さん、生ハムもらってきてね」
と必ず注文した。それほど、「児玉さん」は、我が家の自然であった。
飲みながら、児玉とはよく議論をした。元はと言えば2人とも左翼学生である。児玉は過激派、私は穏便派との違いはあるが、議論の出発点は似たようなものである。
ところが、学生を終えてからの人生が2人は違った。児玉は欧州を放浪した後、帰国してスペイン料理店を始めた。付き合いの幅はほぼ店に客に限られる。客とは議論はしないのが店主である。私は記者だった。空理空論で済んだ学生時代とは違い、現実の世の中を這い回った。勢い、学生時代には知りもしなかった、あるいは知ろうともしなかった事実が目の前に次々に現れ、学生時代の考えを修正、あるいは放棄せざるを得なくなった。理念より現実を重んじるようなった。
そんな2人だから、途中までは
「そうだよなあ」
とお互いにエールを交わしながら、あるところからは道が分かれた。そこで議論が始まる。ほとんど、私が児玉を論破した。論破された児玉は
「あんたは朝日の記者やけん、そげん考えるとたい」
と逃げを打った。私は
「ちょっと待て。俺は朝日の記者としてお前と議論しているのではない。俺個人として議論している。俺の言ってることが違うと思うなら、きちんと論理を展開しろよ」
と追い詰めた。
いま思えば、児玉はそんな議論を楽しんでいたのではないか。おそらく児玉は、学生運動から離れてからは、そんな議論をする場を持っていなかったはずだ。私の家に来て酒を飲めば、私と議論ができる。信頼できる相手との議論は、言い勝とうが言い負けようが、知的興奮を呼び起こす。そう、楽しいことなのだ。
だから児玉はしばしば我が家に泊まりに来たのか?
児玉は、私が持っているものを欲しがった。いや、私からもらおうというのではない。同じものを自分でも持ちたいというのだ。
クリスキットの話は前に書いた。もう一つ児玉が欲しがったのはパソコンである。Macだ。
「なんか、それ、よかねえ。俺も買おうかな」
こうして児玉もMacユーザーになった。
それからしばらくしての話である。児玉から電話が来た。
「大道さん、あの、Webの履歴、ちゅうのはどげんしたら消えるとかね?」
履歴を消す? そんな必要はないだろう。自分が訪れたサイトの記録をなぜ消さねばならない?
ピンと来た。
「お前、Hサイトを見たな!」
しばらくいモゴモゴ言っていた児玉は、やがて白状した。
「そげんたい。ばってん、そんままにしといたら、家族が見るかもしれんやろが。どげんしたら履歴は消えるとね?」
見られてもいいじゃないか、とからかった記憶はある。だが、家長として己の権威を守りたいというのは男ととしては当然のことだろう。妻や娘、息子に
「うちの親父は色狂い!」
と思われるのは嫌だもんな。
ただ、私も履歴を削るなどということはやったことがなかったので、自分のMacでやってみて、
「こうすりゃ消えるぜ」
と教えてやった。
私と児玉は、いま思えば、児戯にも類する付き合いを続けたようである。
とりあえず、児玉追悼の日誌は今日をもって終わる。ただ、児玉は私の記憶の中に生き続けている。書き漏らしたことを思い出したら、そ都度書くことにする。