2025
05.06

いまの記者は思考力を無くしたのか?

らかす日誌

ゴールデンウィークも今日で終わりである。人ごみであふれ返る観光地に出かけ、行きと帰りに渋滞に巻き込まれながら、つかの間の行楽を楽しまれた方々には心からご苦労様と申し上げたい。
いつもは仕事に追われ、こんな時しか旅行はできない事情はよく分かる。が、この期間に渋滞が起きることはだれしも予想ができ、観光地が人の波になることは火を見るより明らかなのに、それでも出かける勇気と根性は私にはない。ご苦労様というゆえんである。

そう考えると、定年後という時間は豊かである。だってゴールデンウイークも平日も、ちっとも変わらない暮らしである。だから旅行に行きたくなればいつだって行ける。ま、わが家は妻女殿の体調も逢って旅行に出ることはないが。

それそれとして、最近の報道に少々腹が立っている。取材とは、報道とは、真実に迫ることであるはずだ。ところが最近のニュースを書く取材記者に

「ほんとはどうなってんの?」

という探求心が欠けているように思えてならない。

たとえば米問題。政府が備蓄米の放出を始めたのに、店頭での米価格はちっとも下がらない。おおむねの報道は

「今週も値上がりしました」

の連続である。そして、それを報じれば報道であると思い込んでいる節がある。どうして取材の手をそんな手近なところで収めてしまうのか。

米の価格はなぜ上がるのかを解明しようという報道を見かけない。記者ならそこに疑問を持つべきだと考える私は古いのか?

農林水産省が発表した2024年の米の作況指数は101である。作況指数は過去五年の平均を100とするから、2024年は大豊作ではなかったものの、平年並に米はとれた。日本での米の消費量は下降線にあるから、1億2000万人が毎日米を食べても、決して不足するはずがない量の米がとれている。価格は需要と供給のバランスで決まる。だから米の価格がはどう考えても上がるはずはないのだ。それなのに、なぜ前年の倍の価格がつくのだろう? その真相を暴いてやるぞ、というのが記者根性であるはずなのに、どうして、そんな記者が現れないのか?

いや、作況指数は平年並だが、気候変動の影響で良質な米が不作だった、という記事を見た覚えがある。米には人様の口に入る味のいい米と、家畜の飼料用に栽培されている米があり、作況指数はその区別をしていない数字だから人様の口に入る米が不足しているのだという。とすると、人様用の米が減り、その分飼料用の米が増えているのだから、飼料用の米の価格は下がっているのか? そのあたり触れた報道がどこかにあっただろうか? そして、人様の口はいる米は1年前と比べてどれほど減っているのかを数字で示した報道も私が知る限りない。

それに、だ。1年前に2500円ほどで買えた5kgの米がいまは5000円する。では、その差額の2500円は誰の懐に入っているのだろう? 農家に懐に入っているのなら、私はよしとする。農家はもっと報われていい。
米の末端価格が上昇し、一方で米を栽培した農家がいつもと同じ価格で米を手放して一向に豊かになってはいないとしたらどうか。中に立つ誰かの懐が潤っているはずである。農家は豊かになったのか? そこを追求する報道もない。

私が現役で、農政や流通を担当していたら、何とかして記事にしたいテーマなのに、そんなことを考える記者はいなのか?

7月に迫った参議院選挙を前に、国会では食品の消費税をゼロにするか、それとも国民船員に4万円の一時金をプレゼントするかが議論になっているそうである。名目は経済対策だそうで、ある報道番組では

「どちらが平等か?」

みたいな議論をしていた。食品の消費税をゼロにすると、メリットをより多く受けるのは高価な食品を日常的に購入する富裕層であるそうな。それに比べれば、1人4万円の下賜金は、貧困層にはありがたく、富裕層にとってはどうでもいい金額。記憶ははっきりしないが、そんな流れだったと思う。

おいおい、これ、そんな話なのか?
これって、それぞれの政党が、税金を使って、有権者を買収しようという話ではないのか? 私たちは皆さんのため、これだけのものを勝ち取りました! と各政党が競い、いまや過半数割れに陥った政権政党である自民党、公明党がついていかざるを得なくなっている。
税金で有権者を買収する技を政党が競いあう。それっておかしくないか? と考える記者は1人もいないのか?

有権者を買収するために支出された税金は、やがて税金として国民から徴収されるものである。
いや、

「それで経済が活性化すれば、税収は自然増となり、国民にご負担はかけません」

という論理もある。
だが、である。税金を使って有権者を買収する手だてを競い合う政党って、そんなもの、許していいのか?

私は選挙が嫌いである。よほどのことがない限り、投票所には足を運ばない。だからこんな思いを持つのかな?

いまの政治に不満は山ほどある。同時に、どうでいいことを活字にし、映像にするメディアにはそれ以上の不満がある。

アメリカ第3代大統領のトーマス・ジェファーソンは

“Were it left to me to decide whether we should have a government without newspapers or newspapers without a government, I should not hesitate a moment to prefer the latter.”
(「政府のない新聞と、新聞のない政府のどちらかを選ばねばならないとしたら、私は一瞬の迷いもなく、前者(政府のない新聞)を選ぶだろう。」)

といった。しかし、いま「「政府のない新聞」を選ぶ人がいるか?

メディアで暮らしを立てている皆さん、奮起されよ!