2025
05.16

long time no see, you

らかす日誌

ずいぶん長い間日誌を書かなかった。なかなか書く気にならなかったのである。まもなく私も76歳。重ねた齢が執筆意欲を鈍らせていないのならいいのだが。

私はいま。2種類の定期刊行物を購読している。毎月初めに送られてくる「選択」と、毎月10日発売の「文芸春秋」である。自ら取材をすることがなくなったいま、世の動きと何とか接点を持っておきたいと思うからである。
だがこのところ、記事内容への不満が少しずつ大きくなっている。

なるほど「選択」は、ほかのメディアではお目にかからないようなデーデータ、分析が数多く並んでいる。記憶によれば、かつての「選択」は確かに面白い記事が多かった。なるほど、世の中はそのように動いているのかと蒙を啓かれる思いを何度もした。
しかし、記事のレベルが徐々に下がっていると感じるのは私だけだろうか? いまでもほかのメディアでは手に入らない情報は確かに多い。しかし、その分析に首をかしげることが多くなった。「選択」の中国情報を読み続けている私からすれば、「選択」を信頼する限り、中国経済はとうの昔に破綻しているはずなのだ。習近平は政権の座に留まれなかったはずだ。それなのに経済成長は続き、習近平の中国共産党は君臨している。
中国経済関連の記事は

「習近平は一刻も早く政権の座から降りるべきだ」

という正義感を持った記者が、習近平失脚につながるのではないかと思われる経済動向だけを集めて書いているのではないか、と邪推したくなる。
そりゃあ私だって、トランプ、プーチン、習近平に振り回される世界はごめんである。習近平氏には出来るだけ早く権力を失って欲しい。それは中国経済の記事を執筆する記者と相通じているのかもしれない。だが、だからといって、自分の主義主張に沿うデータだけで記事を書かれたら、読んでいる私は正確な認識が持てないではないか。

それでも「選択」の購読を続けるのは、朝日新聞の敬愛する先輩、河谷史夫さんが「本に遭う」という読みごたえのあるコラムを書き続けているからである。この連載が終わったら、購読を打ち切ろうと思っている。

「文芸春秋」もこのところ、

「何だかなあ」

になってきた。たとえばいま店頭に並んでいる6月号。表紙には

「トランプ危機をチャンスに変えろ」

という赤い文字の見出しが躍っているが、中身は期待外れである。4人の論者がそれぞれ自説を開陳しており、知らなかったトランプ政権の内幕も知ることが出来るのだが、私の読解力の不足なのか、どうしても

「トランプ危機をチャンスに変える」

方策が読み取れない。
日本はどうすべきなのか?

・関税問題でへたな譲歩はすべきではない
・TPPの中核国である日本は、他国も巻き込んで自由貿易を守るよう主張すべき
・アメリカのアキレス腱を日米で真剣に語りあいアメリカの弱点を日本が補い、日本の弱点をアメリが補うという対話をすべき

いや、これらの提案に反対する気はない。至極もっともな指摘である。だが、これらは

「トランプ危機をチャンスに変える」

提案だろうか?

次に出てくるのは、アメリカの造船業界が壊滅状態だという指摘だ。2023年の世界シェアは中国が51%とダントツで、次いで韓国26%、日本14%と続き、アメリカはなんと0.1%しかない。
だから、と話者はいう。

「造船はアメリカを裏切ることのない日本で建造するし修理もして差し上げますよ」

と提案したらどうか?
というのだ。

最後に来るのが、これだ。
いまトランプのハチャメチャな施策で世界のルールが刻々と変わっている。こんな世の中ではビジネス環境が突然変動しないとか、契約の遵守、注文しても大外れがないといった「安定性」の評価が上がる。ここは日本が強みを発揮できるところで、石破政権は日本の持つ安定性を強みにかえていく方向へ導くべきだ。

以上が、私に読みとれた

「トランプ危機をチャンスに変える」

方策である。だけどねえ、これ、表紙で踊っている見出しに対応しているか? 羊頭狗肉の類いではないか? そろそろ文芸春秋も見放すべきか? 私が好きだった「記者は天国に行けない」の連載も終わったしなあ。

だが、である。そこまで切ってしまうと、私の情報源はテレビのニュースと朝日新聞だけになる。これが頼りにならないんだよなあ。

「文芸春秋」6月号の「新聞エンマ帖」によると、4月15日の朝日新聞朝刊は石破政権のいまを探る大型記事を掲載した。1面で「低支持率、それでも首相は笑顔」と書き、2面で石破政権の現状をレポートしていたとある。わが家にも朝日新聞は来ているが、気がつかなかった、というか、読む気にならなかったのだろう。全く記憶にない。

その2面の記事がとんでもなかったというのである。記事は3つに分かれ、最初のパートは「派閥退潮、奇妙な安定」の見出しがついていた。派閥は消え、残った麻生派も力は弱まっている、と書いてあったそうだ。
しかし2つ目のパートは、党内の様々な動きを書いて

「やっぱり派閥はなくならないよ」

で閉められ、最後の3つ目のパートの結末は

「派閥は本来、党内で競い合う装置だったが、近年は強者がより強くなる仕組みなった」

だったという。エンマ帖は

「1つ1つのエピソードに気を取られ、木を見て森を見ずの典型の構成だ。(中略)大学1年生のレポートよりひどい

と切り捨てている。なるほど、と頷かざるを得ない。

この記事を書いたと思われる政治部は、朝日新聞では経済部の上を行くエリート集団だったはずだ。それなのにいまの政治部はこんなひどい記事しか書けない記者、まとめられないデスクばかりになっている? おいおい、どうしたんだ、朝日新聞の後輩ども! お前たちの頭は空っぽになったのか?

確かに、毎日届く朝日新聞に私は「衰え」を感じる。毎朝、見出しだけはざっと目を通す。だが、見出しを見て中身を読もうという気になる記事が皆無なのだ。だから、毎朝ほぼ5分で新聞は読み終える。時間の節約にはなるが、毎月4000円前後の金を払う見返りとして、これはまっとうではない。

だから、なのだ。世の中の動きを知るには、どれほど不満が募ろうと「選択」なり「文芸春秋」なりに頼らざるを得ないのである。

私が現役だった頃の朝日新聞はこんなではなかった、というのは老いの繰り言、かな?