05.23
思わぬお誕生日会
昨日、子供新聞コンテストの打ち合わせかがあった。3回目になる今年のコンテストの準備をそろそろ始めなければならない時期になったのだ。呼びかけ人は例のO氏である。
「19日からの週でやりたいんだけど、いつがいい?」
と電話があったのは確か先週のことだ。
といわれても、私にはその週、全く予定が入っていない。
「いつでもいいよ」
こうして、昨日22日に開くと聞いたのは今週の月曜日、19日だった。それだけのこと、のはずだった。
参加者は8人。O氏と私を除く参加者は群馬大学理工学部長のI氏、鷗友学園学園理事(だったと思う)のMa氏、桐生市内で花屋を経営するKo氏、元小学校教諭のKaさん、元中学校長のHa氏、グラフィックデザイナーのMi氏。8人での寄り合いである。
酒を飲まない、飲めないMi氏が午後5時半ごろ車で迎えにきてくれた。その足でMa氏を迎えに行く。その車中でMi氏が話しかけてきた。
「大道さんとMaさんは今日が誕生日なんですって? 同じ誕生日って、珍しいですよね」
ああそうだった。忘れたいから忘れていたが、確かに5月22日は私とMa氏の誕生日である。この日、私は76歳に、Ma氏は71歳になった。しかし、珍しい? そうかあ? 確率計算をすれば、365×365が分母にきて分子は1だから、13万3225分の1だぞ。つまり、13万3225人いれば1組は同じ誕生日の人がいるわけで、そういえば桐生市の人口はさきごろ10万人を割り込んだから、多少珍しいといえるかもしれない。私の計算式と計算が正しければ、だが。
「だけどねえ、O氏の子息も同じ誕生日なんだよ」
とは私が付け加えたことである。こうなると、確率は4862万7125分の1になるから、相当に珍しい。もっともO氏の子息は桐生市には住んでいないが。
しかし、なぜ誕生日の話が出る? その疑問はMa氏を車に乗せた瞬間に氷解した。
「いやあ、女房がさ、家にいても祝ってもらえない誕生日なんだから、みんなで祝ってもらいなさいよっていって、この手作りのケーキを持たせたんだわ」
えっ、ということは、開催日を22日にしたのはO氏の企みか? やっと自分と同じ年齢に達した私(O氏は早生まれで、学年は私より1つ上、つまり私より先に76歳になった)をネタにして笑い飛ばそうと仕組んだのか?
会場であるO氏宅に着いて、企みはますます明らかになった。
O氏が語る。
「群大のI先生に電話をしたら、22日は夕方かから前橋で会議があるので行けそうにないというんだわ。それでね、『大道さんの誕生日でもあるんですけど』っていったら、『えっ、それじゃあ何としてでも行かなきゃ。少し遅れますが必ず行きます』だって」
ほうほう、そういう仕込みかい。
30分ほど遅れて、そのI氏が到着した。見ると、大きなケーキ箱をぶら下げている。開けると
「おたんじょうびおめでとう だいどうさん」
「おたんじょうびおめでとう Maさん(もちろん、実物は実名)」
のチョコレートプレートがついているではないか
そして花屋のKaさんは3本のバラの花束を用意してくれていた。そのバラを
「これ、チューリップ?」
といって笑われたのは私である。
私とMa氏に花束を手渡したのは、その場で唯一の女性、Ka元先生だった。
さらに、
Happy Birthday
の大合唱。
この日が誕生日である私とMa氏の2人が、徹底的にもてあそばれた日であった。
もっとも、酒を交えた宴会になる前、会議は粛々とやった。校長会に出す文書、協賛団体に出す文書。議論は進む。そんな議論を聞きながら、なぜか年齢が気になり始めた。そうなのだ。皆にいじり回されたが、私は今日76歳になったのだ。今年で子供新聞コンテストは3回目を迎えるが、実行委員兼審査委員である我々は1回目からほとんど同じである。そしてみんな年寄りではないか。おいおい、これから何年、体と頭が正常に動くのだ? 5回目までは多分出来ると思うが、第10回の時、私は83歳。できるか?
いかん。子供新聞を酒の肴に爺が酒を楽しんでいる場合ではない。
そんなことが突然頭に浮かんだ。そして口に出ていた。
「若い後継者を探さないと、このコンテスト、突然終わるぞ」
しかし、子供たちが懸命に作った新聞を審査する役割は誰にでも出来るものではない。文章を書いた経験、子供たちを導いた経験、自分の思いを文章で人に伝えた経験、様々な「経験」と実績が必要だ。誰にでも頼めるものではない。
「思い当たる若い人材はいる?」
結論は出ないまま、我々は酒を飲み始めた。11時近くまで盛り上がった。
しかし、私も自分の年齢を自覚し始めたらしい。若い人たちに、早く追いつき、追い抜いて欲しいと思い始めたらしい。
私、昨日で76歳になりました。子供からも孫たちからも、1本の電話もありませんでしたが、まあ、世の中そんなものでしょう。私だって、母親の誕生日を電話で祝ったことなんてありませんからねえ。
そう、親とは、祖父とは、そんな電話やプレゼントをもらうより、子供たち、孫たちが健全に自分の人生を楽しんでくれることを望む気高い存在なのであります。
いや、少々御託を並べすぎたかな?