12.20
今日は失敗した
今日は第3回桐生子ども新聞コンテストの表彰式だった。2023年の第1回以来、表彰式ではなぜか私が講評をすることになっている。確かに発起人の1人で審査委員ではあるが、審査委員長ではない。それなのに、毎回私の仕事なのである。
今回は、応募作の総評に加え、言葉の大切さを子どもたちに訴えたいと思った。そして、子どもたちを話に巻き込もうと考えた。それで、こんな風に話し始めた。
「アメリカの経営学者が、経営者になるために大学のどの学部を選ぶのがいいですか、と質問を受けました。さて、この経営学者は何学部だと答えたでしょう? これじゃないか、と思い当たった人は手を上げて」
ここで子どもたちの何人かが手を上げる。そして
「○○学部だと思います」
と答える。それを聞いて私は
「その理由は何?」
と聞き返す。その上で、手を挙げていたほかの子にも答えてもらう。
こうして対話をしながら話を進める。そうすれば、堅い話も子どもたちの頭に入ってくれるのではないか? それが私の作戦だった。
私の問いかけへの答えを先に書こう。文学部、である。デジキャスというデータ放送会社(いまはない)に出向して経営の一端を担わなければならなくなったとき、何かの参考になればと読んだ経営学の本の一説である。ガルブレイスの本だったと思うが、その本はデジキャスの予算で買ったので私の手元にはなく、どうしても確認が取れない。
だが、この「文学部」の一節は明瞭に記憶に残っている。意外だったからだ。文学部? それって日本文学、世界文学の勉強や、歴史の勉強、大学によっては哲学の勉強をするところでしょ? それがどうして企業経営とつながるわけ? 一番ふさわしい学部になるわけ? そんな疑問が湧いてきたのである。
その答えは、
「経営者とは人の話を正確に聞き取り、自分の思い、考えを正確に人に伝えることができなければ務まらない」
という趣旨だった。長いこと、企業や官庁を相手に経済の取材をしながら、全く考えたこともなかった視点から経営者の資格を述べる文章が頭にこびりついたのである。
だから、この話を冒頭に振ろうと企画した。おそらく、「文学部」と答える子どもはいないはずである。誰も正解を出さないのを待って、私が
「文学部なんだよ」
と話しかけ、なぜ文学部なのかを説明する。私が意外の感に打たれたように、子どもたちの頭にもこびりつくはずだ。その上で、私はこんな話をする。
「考えてみれば、言葉が大切なのは社長さんだけではないですね。社員だって、社長の話をきちんと理解できなければ仕事がはかどりません。君たちも、先生や友だちと話すとき、相手のいっていることを正しく理解し、君の考えを正確に伝えるには、言葉に強くなら名なければなりません。そもそも、君たちも私も、言葉で考えるでしょ? 言葉に強くならなければ、正しく考ええることだってできないのです」
決めは、こうである。
「私たちが子ども新聞コンテストを始めたのは、君たちに言葉に強くなって欲しいからです。新聞を作るにはまず取材をしなければなりません。聞きたいことを正確に表現し、相手の答えを正確に理解しなければなりません。そして新聞を書くときは、どんな言葉を使い、どう構成したらあなたの考え、思いが読者に伝わるかを考えなければなりません。だらだらと取材したことを並べても誰も読んではくれません。新聞を作ることで、言葉に親しみ、言葉を考え、表現に工夫を加える人になって欲しいのです」
我ながら、良くできたストーリーだと自負していた。子どもたちの成長の一助になれると思っていた。
ところが…。
誰も手を挙げてくれない。念を押してもだめである。それでは、と後方に座っている保護者にも呼びかけてみた。
「お父さん、お母さんはどう思いますか?」
誰も手を挙げない。仕方なく
「実は、文学部なんですよ」
と話さざるを得なくなったときから、話のリズムが狂った。あれ、これをどうしよう? という思いが先にたち、支離滅裂とまでは言わないが、私が頭で描いていたすてきな講評からはほど遠いものになってしまった。
落ちは、演壇を降りかけて、どうしてもいっておかねばならないことを思い出し、慌ててマイクの前に戻ったぶざまな私の姿である。
ああ、今日は厄日だった!
深く反省しながら、この原稿を書いている私である。


