07.11
2007年7月11日 シリーズ夏・その6 金鷲旗
金鷲旗(きんしゅうき)全国高等学校柔道大会といっても、ご存じの方は限られているに違いない。毎年7月下旬に福岡市で開催される高校生の柔道大会である。
私は高校1年から3年間、この大会に正選手として出場した。
いや、私が柔道の才能に恵まれていたわけではない。「 とことん合理主義 – 桝谷英哉さんと私 第5回 :たこ焼き先生 II」に書いたような次第で、私は高校入学と同時に柔道部員となった。柔道着を見たのも着たのも高校生になってからという私が、入部からわずか4ヶ月足らずで栄えある金鷲旗大会に正選手として出場したのは、入部した柔道部が弱小と呼ぶほかない状態にあったからに過ぎない。
出場者は大会前日、福岡市内に宿を取る。荷物を宿に置くと、まず会場の下見である。3年生の先輩に引率されてゾロゾロと会場まで出かけた私は、異様なものを見た。
カミソリで剃り上げたようなツルツルの頭。すり切れて、赤ん坊の産毛程度にまで減ってしまった眉。できの悪い粘土細工のようにゴツゴツに膨れて固まった耳。それらの付属品が、柔道着に包まれた岩石と見まがう体の上にちょこんと申し訳程度に乗っかる顔を作り上げている。
お化けの集団である。
「あら(あれは)、何ですか?」
とこわごわ聞く私に、3年生の先輩が答えた。
「ああ、あらぁシード校の○○高校たい」
私は柔道というスポーツの過酷さに打たれた。そうか、シードされるほどの強豪になるには化け物になるしかないのか。
私の美しく整った顔、均整の取れた体を思いやった。強くなるには、この美術品をあのような無様な物にしなければならないのか?
決して強くはなるまい。私は固く心に誓った。
いや、今回書きたいのは、そのような枝葉末節の見聞録ではない。私が身をもって体験した、悲惨な夏の夜の出来事である。
宿に帰ると夕食だ。体は大人以上でもそこは高校生の集団である。晩酌の酒で盛り上がるわけではない。テーブルに並ぶのは自宅での夕食とそれほど変わりはない。たくさんの飯と、たくさんの飯を胃に収めるためのおかずである。
だが、つい数時間前に見たお化けのショックにもかかわらず、座は盛り上がる。所詮高校生なのだ。親元を離れて旅館で一泊する。なにやら気分が沸き立って浮き浮きするのは3年生も1年生も変わりない。気分は修学旅行である。
食事を終えると、翌日に迫った試合に備えてたっぷりと休養を取る。休養の取り方を体験したまま書き記すと、部屋ではしゃぎ回る。いや、はしゃぎ回るのは最上級生の3年生で、1年生ははしゃぎ回る上級生のお世話係に過ぎない。
「おい、大道!」
キャプテンが呼んだ。その命令は絶対である。
「ちょっと、背中ば指圧せーや」
キャプテンはすでに布団の上にうつぶせになり、私の指を待っている。
「分かりました」
1年生に反論の自由、拒否の自由はない。キャプテンの背中に馬乗りになり、背骨に添って親指を押しつける。
「おーい、いっちょん効かんばい。力ば入れんか。練習ばちゃーんとせんけん、力の付かんとやろが」
俺はお前の奴隷ではない。お前の雇われ人でもない。ましてや、プロのマッサージ師ではない。初めて人の背中を指圧しているのだ。初めからうまく行くわけがないではないか。
こみ上げてくるむかつきを抑えるのも、お世話係の仕事である。
「もうよか」
とキャプテンが言ってくれるまで、20分かかったろうか、30分だったろうか。
やっと苦役から解放されたと安堵した瞬間、次の声がかかった。3年生の永江先輩である。
「俺くさ、陰金田虫持ちやもんね。こりからタムシチンキば塗るけん、お前、うちわで扇げ」
はっ、 陰金田虫? 無論、私にも多少の知識はあった。何日も洗濯しない柔道着で練習を繰り返す柔道部員の股間に、かなりの高率で襲いかかる皮膚病である。
(注)
股の部分に出来る白癬。股部白癬。湿度、温度ともに白癬菌が繁殖しやすい環境になりやすく、強い痒みを伴うため掻破行動により悪化することも多い=MeDic医学用語辞典より
ご多分に漏れず、私も何度か罹患したことがある。罹患して、密かに治療をした。なにしろ、患部が患部なのだ。陰金田虫ができるのは股間である。股間には、みだりに人目にさらしたのでは男の沽券に関わりかねない部品が2つも付いている。できることなら、最後の最後まで他人様の目から隠したい秘所なのだ。
なのに。
これからタムシチンキを塗るから扇げ? 俺の目の前に、あんな物をさらすのか?
「何ばしよっとか! はよ来んか。ほら、団扇ば持て。よかか!」
そういうなり永江先輩は、下着をさっと脱ぎ去った。あまり長くない左右の足が一体化するところに患部はあった。赤くなった患部を背景に、黒々とした森が広がり、だらしなく垂れ下がった袋と、お世辞にも大きいとはいえない一物が垂れ下がっていた。
「大道、よー聞いいとれ。使わん時は小そうおさまって、使う時に太なっとがよかチンポたい。いつでんダラーっと長ごなっととはろくなもんじゃなか。俺んとが一番よかチンポたい。よー見とけ」
といわれたって、1000円もらったって、見たくなる代物ではない。1万円くれるのなら見てやらないこともないが。
「そげなもんですか。ほんなら俺んとはあんまりよーなかとですかね」
この皮肉が通じたかどうか、確認はできなかった。すでに永江先輩は股間からぶら下がる付属物を左手で持ち上げつつ、タムシチンキをたっぷり含ませた脱脂綿を右手で患部に押しつけていたのである。
「アチッ、チッ、チッ、チッ。こら、扇がんか! 染みるやなかか。ほら、扇げちゆうとろが!!」
手にした団扇を必死で動かした。ばさばさと音が出た。右手が疲れると、左手に持ち替えて扇いだ。
「痛ててててて。扇げ、扇げ」
永江先輩は、団扇が生み出す風をできるだけ多く患部にあてんがために、股間の付属物を両手で精一杯上に引き上げ、患部を私に近づけた。赤くなった患部と永江先輩の両手の隙間から顔をのぞかせる、彼の自慢の一物が、私の視野いっぱいに広がった……。
高校1年の、忌まわしき夏の思い出である。
「シリーズ夏」なんて思いつかなかったら、こんなおぞましい記憶は、我が記憶装置の片隅でお茶を引いていたはずなのになぁ。
えっ、翌日の試合はどうなったかって?
見事に初戦で敗退しました。まあ、前夜が前夜だからなあ……。