03.31
2008年3月31日 春
心が浮き立つ物や状況を春という。
初春。「めでたさも中くらゐなりおらが春」の小林一茶も、「なんとなく 今年はいいこと あるごとし 元旦の朝 晴れて雲なし」と読んだ石川啄木も、何故か心は浮き立っていたはずである。
青春。思い起こせば顔が赤らむ話が多いが、でも、未来は自分のためにあると素直に信じられた時代だった。心が浮き立たなかったはずがない。
立春。長い冬が終わり、春。心が浮き立たないはずがない。
春雨。「……じゃ、濡れていこう」と話しかける相手がそばにいる人、そばにいて話しかけられる人の心は浮き立っているに違いない。
春画。これはもう、心を浮き立たせるために見るのである。
売春。…………。
ところが。
私は今年の春は憂鬱だ。
とうとう出たのである。扉を開いてやったわけではないのに。
とうとう来たのである。招きもしないのに。
ずっと他人事だと思っていたことが、我が身にも降りかかったのである。
花粉症。
1週間ほど前だった。何故か鼻がむずむずする。クシャミが出る。鼻水が出る。そういえば頭も重い。おかしいな。春風邪かな? ん、これは「春」を使っているが心が浮き立たないな。
いや、そんなことはどうでもいい。熱を測る。平熱である。喉が痛いこともない。
とすると……。
昔聞いたことがある。
「えーっ、大道さん、花粉症がないんですか? でも、花粉症って、花粉との接触がある閾値を超えると必ず発症するんですよ。大道さんも必ず花粉症になります。いずれ僕と同じになりますから」
デジキャス時代だった。ほとんど顔を覆わんばかりのばかでかいマスクをした若者(私と比較すれば)にいわれた。
「バカ言え。君とは体のつくりが違うのだ。俺は花粉症フリーだよ」
あれから5、6年か。とうとう私も閾値を超したか……。
そういえば、去年の春も鼻がムズムズすることがあったなあ。あれが閾値を超えるか超えないかの境目であったか。
先週末、外出時には薄いナイロン製のジャンパーを着るようにした。セーターなどウール製品が一番花粉を貯め込むと聞いたからである。ついでに、自宅でカーディガンを羽織るときも、このジャンパーを重ねた。暑くて汗をかいた……。
でも、ほとんど効果はない。鼻がつまって寝苦しく、午前2時過ぎまで寝付けなかったのは土曜日のことである。
あ~あ。
今朝会社の喫煙室で、
「俺も花粉症を発症しちゃってさ」
と大きな声を出した。直ちに反応が返ってきた。
「私もね、酷い花粉症だったんだけど、ジムに通って体重を減らしたら症状が出なくなったんです。時折、目がチカチカしたりすることはあるけど、それだけで済んでいます。大道さん、痩せなさい!」
そうか。メタボ対策として体重を減らしたいとは前々から思っている。ために、日々食する白米の量を減らしたり、晩酌のビールを1本にしてあとは焼酎を飲んだり、努力は続けている。それが、花粉症にもいいのか。ということは、花粉症とは過食時代の生活習慣病であるか。
痩せよう!
改めて強い決意を固めた。
決意を固めただけで体重を減らせるノウハウ集って、どこかに落ちてないかなあ……。