04.02
2008年4月2日 バカ騒ぎ
ガソリン税の暫定税率がやっとなくなった。新聞やテレビは、ガソリン価格を下げたスタンドには車が行列を作った、まだ仕入値が高いガソリンの在庫があるスタンドも、赤字覚悟での値引きに追い込まれた、とはしゃいでいる。起きるべきことが起きただけなのに、何故こんなに騒ぐのだろう? いまの記者連中って、ものを考えないのか?
えっ、これはニュースじゃなくて生活情報だって? にしては、1面やらニュースのトップやらで報じる新聞、テレビばかりなのだが、そこには目をつぶってもいい。でもちょっと待ってよ。
そりゃあ、自分の住まいの近くにあるガソリンスタンドの価格情報が報じられた地域はそうでしょうよ。どのスタンドに行けば安いか、自宅にいて分かるんだから。でも、そこから遠く離れたところのガソリン価格の動きがどうして生活情報になる? どこのガソリンが安いか。一番必要な情報は自分で車のハンドルを持って走り回らないと分からないじゃないか。
そういえば、かつては人間が犬を噛めばニュースだったが、いまは犬が人間を噛まねばニュースではない、と聞いたことがある。それは分からなくもない。だけど、それがニュースなら、新聞やテレビは、さして珍しくもない当たり前のことをこぞってニュースとして報じているわけだ。そんなもの、読む価値も、見る価値はない。
暫定税率の廃止は、日本語に内在する論理が戻ってきたことに最大の価値があるって、どうして考えないかなあ。1月28日の日誌に書いたように、「暫定」という言葉は、中に一定の時間の長さを含む。それなのに、主に政治的理由から、その時間が34年間にまで引き延ばされてきたことが問題なのだ。ガソリン代が安くなるといったって、たかが毎月2000円ではないか。政治もメディアも、どうして本質から目をそらし続ける?
今回の混乱は、正しい言葉で道路政策を語ってこなかったことが原因である。正しい言葉で語っていれば、いま評判の悪い道路整備計画も、ガソリン1リットルあたり25円のユーザー負担も、国民はそれなりに理解して受け止めたはずだ。と考える私は孤独な思索者なのか。
筋道はともあれ、誤使用された言葉がやっと墓に入った、とホットした。ところが政府は、参議院で否決された法案を4月中に与党絶対多数の衆議院で再議決、暫定税率を復活させる腹なのだそうだ。言葉の誤用がゾンビのように甦る。美しい日本語を守り育てていくのも政府の役割の1つである。だが、いまの福田内閣にはそんな基礎的文化政策を主張する人はいないのか。
「大丈夫だよ。いつ総選挙になるか分からないこの時期に、ガソリン代を上げるようなことを政府ができはずがないじゃないの。一度下がったガソリン価格は既得権益だもんね。それを25円も上げようとしたらドライバーが反乱を起こすぜ」
道路族の既得権益に代わって、ドライバーの既得権益が生まれ、それが政治に影響力を及ぼす。なんだか、既得権益の主が代わっただけのような気がしないでもないが、まあ暫定税率の息の根がたたれるのならそれもいいか。
さて、我が家のの近所はいくらになったか? 週末、愛車でぐるりと回ってみようっと。