04.18
2008年4月18日 芸術
まず、昨夜の出来事から。
オペラを見に行った。「アイーダ」。場所はオーチャードホール。
そんな趣味があったかって? もちろん、ありません。社内に3万2000円(!)の招待券が転がっていて、
「仕事と思って行ってくれ」
といわれての、渋々の渋谷行きだった。でなきゃあ、雨の中、あんなところに出かけません、って。
で、どうだったかって?
居眠りするんじゃないかと恐れながら着席した。幸い、居眠りは避けられた。字幕を見ていないとストーリーが分からなくなる。アイーダが何たるものかぐらい知っておきたい。そんなスケベ根性が入眠を妨げた。
でも、私の隣に座ったおばさんは、しっかりと船を漕いでいた。この人も招待券組だったのだろう。自分の財布から3万2000円出して、雨の中駆けつけて、寝る人もいないだろうからなあ。
解説によると、たくさんの歌い手が舞台上に上がり、一大スペクタクルとして演じられることが多かったが、今回は新しい演出で演じたのだそうだ。舞台にあるのは白い壁、天井と、赤い布を書けたソファだけ。すべてのシーンがこの部屋の中で演じられる。実にシンプルな演出である。
粗筋はウィキペディアをご覧いただきたいが、それほど複雑な話ではない。だから、豪華絢爛な舞台ならそれなりに楽しめるかも知れないが、ほとんどを削ぎ落としたシンプルな演出は何らかの狙いがあったのだろう。
それは何? 私には分からなかった。やっぱり、豪華な舞台の方が楽しかったんじゃないかなぁ。
それに。
エジプトのファラオの娘と、エチオピアの国王の娘に迫られる果報者のラダメスという軍隊指揮官が主役の1人だが、演じたのは洋梨型の体型、つまり細い足の上に膨らんだビヤ樽を乗せたような体型のおじさん。歌は上手かったが、
「どうしてこんな男に、王女様2人が惚れてしまうの?」
という違和感が、最後まで消えなかった。それで面々と愛の歌を歌われてもねえ。
私は、芸術には無縁の男らしい。
家に帰り、テレビをつけた。報道ステーションをやっていた。何か懐かしい言葉が出てきた。
クラスター爆弾。
そう、らかす日誌「2008年4月8日 豪雨」で読んだ朝日新聞社説(これはもうリンクが切れています。読みたい方はメールをください。ワードのファイルでお送りします)のテーマではないか。
そうか、報道ステーションでも取り上げるか。ぼんやり画面を眺めていて、やがて呆然とした。
日本の自衛隊が、クラスター爆弾を持っている! 石破茂防衛大臣、自衛隊の幹部が画面に登場して、防衛のための兵器として所有している、ってな説明をしていた。
まあ、クラスター爆弾が防衛のための兵器か、それとももっぱら攻撃に使う兵器か、に疑義はある。だが、私は別のことを考えていた。
あの日の朝日新聞社説、自衛隊がクラスター爆弾を持っている、つまり日本はクラスター爆弾保有国であるなんて、一言も書いてなかったぞ!
だって、クラスター爆弾を持っている国が、クラスター爆弾禁止条約に無条件で賛成できるわけないだろが!
あの社説を書いた人、自衛隊のことは知らなかったのか?
日本はクラスター爆弾保有国である。だったら、まず自衛隊がクラスター爆弾を放棄せよ、と書くのが日本の新聞の社説ではないか? 自国の保有に言及せずにクラスター爆弾放棄を訴えても、誰も本気にしないと思うけどなあ。
今日も雨。それも酷い雨になるらしい。川崎まで車。帰りは川崎から車。いま、その車は川崎の地下駐車場にある。
で、今日の朝日新聞社説。
【イラク判決―違憲とされた自衛隊派遣】
確かに、驚きの違憲判決である。勇気のある裁判官も、まだいるんだなあ。
でも、勇気ある裁判官に感心するより、
「自衛隊が活動する地域は非戦闘地域」
なんていうデタラメ発言を繰り返した小泉元首相を責めきれなかった野党、新聞・テレビなどのメディア、それにそんな首相に衆議院での絶対多数を与えた有権者に思いを馳せないと、現実は変わらないと思う。
野党はいま、参議院で勢力を得て、是非はともかくとして役割を果たしている。
メディアは、何か反省してる? 朝日新聞はペンの非力さを嘆くだけか?
有権者は?
そんなことを考えてしまった。
【米の脱温暖化策―世界を読めない大統領】
臆面もなく、自国の国益を世界に認めさせようとする国。アメリカ、中国、インド。
ご近所迷惑であることは、社説の書く通りである。
「脱温暖化がテーマとなる洞爺湖サミットには、大統領をめざす候補たちも呼ぼうではないか」
という提案は皮肉が効いて面白い。実現するとは思えないが。
世界のCO2排出量の4分の1を占める大国アメリカは変わるのか、変わらないのか。相手は超大国。首根っこを押さえつけて変身を強いるわけにも行かないからなぁ……。
(注)
注を書くのもだんだん面倒になって……。