2010
03.24

2010年3月24日 滑り込み

らかす日誌

終わりよければすべてよし、という。
今回、母の米寿で九州に帰った旅は、そんな言葉で表現するしかない。
順を追ってご説明しよう。

20日
九州に旅立つのは21日である。だが、朝9時50分発の飛行機なので、当日、桐生から羽田に向かうのは時間的に無理だ。いや、多少無理をしたとしても、途中で渋滞にかかったりすれば飛行機に乗れなくなる。前日から羽田空港の近くに身を寄せるしかない。
幸い私には、 現在次女一家に無料で貸し出している家が横浜にある。これを使わない手はない。
当然、使う。が、使うとなると、もう一つの要因を考慮に入れなければならない。あの瑛汰が待ち受けているのだ。現在3歳8ヶ月。いたずら盛りである。

土曜日は瑛汰と遊ぶ。いたずら盛りのガキと遊ぶのが楽しくないわけがない。そう思い定めて、桐生を午前8時半に出た。順調にいけば10時半、遅くとも11時には横浜に着く。少し瑛汰と遊んで、昼飯でも食いに行くか。

東北道までは順調に流れた。お巡りさんにはいいたくない速度での快適なクルージングである。この旅の行く末を暗示するようではないか。なにしろ、バッグの仲には松井ニットのシルクストールが入っているのだ。悪い旅になるはずがない。ん、意味不明か?

見通しの甘さを思い知ったのは、東北道を出て間もなくのことだ。カーナビが渋滞を警告し、やがて、車が進まなくなった。止まる。ノロノロと動く。そしてまた止まる。その繰り返しである。都心に近づくに連れて渋滞は激しさを増した。渋滞の先にまた渋滞が待っている。

「瑛汰、車が混んでるから、瑛汰のところに着くのが遅れるわ。ママに言っておいて」

途中で瑛汰に電話をした。次女の携帯に電話をすると瑛汰が出るのである。

「どうして? どうしてボス、早く来ないの? 瑛汰、待ってるよ。ママ、ボス、遅くなるんだって。ねえ、どうして?」

電話の向こうで瑛汰が言っている。いまはすべてが不思議に感じられる年頃だ。いや、ボスも早くつきたいのは山々なのだが、これでは11時も無理だろう。11時半には何となると思うけど。瑛汰、待ってろや!

ならなかった。横浜に着いたのは12時を回ったからだった。

すぐに瑛汰と次女を車に乗せ、ラゾーナに向かった。今回の瑛汰のリクエストは、ボスとラゾーナに行き、たこ焼きを買ってアイスを食べて、紙芝居を買うことだと事前に聞いた。ならば、と桐生からエレキギターを持参した。買って1年半。ラゾーナの島村楽器で調整してもらう。

まず4階の島村楽器にギターを渡し、1階に向かった。もう1時近い。昼食だ。
瑛汰は、念願のたこ焼きで昼食をすませた。私は、純連のみそラーメンを食べてみた。不味い。札幌で食べた純連のみそラーメン、こんな味だったか? 同じ屋号でも、ラゾーナの純連は札幌とは関係ないのか? いずれにしても、不味い。2度と食べない。心ある皆様も、このラーメンは避けられた方がよい。
紙芝居と絵本、それにディズニーのDVDを瑛汰に買い、家に戻った。アイスクリーム? 瑛汰が忘れているのに、わざわざ食べさせる必要はない。

ボスが来て、瑛汰はご機嫌である。お気に入りの、足で蹴って動かすアンパンマンカーを持ち出すと、部屋中を高速ドライブし始めた。この車を買ってやったのは、もう2年ほど前のことだろうか。それ以来、最もお気に入りの玩具の1つで、使い込んで技量も磨いてきたらしい。

「えっ、瑛汰、格好いい!」

思わず口に出した。両足で床を蹴って高速で移動しながら、瑛汰が急ブレーキをかけたのだ。もちろん、この車にブレーキなどついてはいない。何と瑛汰は、車の後輪をスライドさせ、車の向きを90度変えて止まったのである。そう、スキーのテールを滑らせ、エッジを雪面に食い込ませながらブレーキをかける、あのやり方と同じなのだ。
瑛汰、いつの間にそんな技を身につけた? 今年はスキーに行くか?

瑛汰との散歩は「わんちゃん公園」である。私がまだ横浜に住み、「リン」が元気だった頃、次女と一緒に我が家に来た瑛汰とリンを連れて散歩に行った場所だ。夕方になると近隣の愛犬家が犬を連れて集まる。それを見て瑛汰が名付けた公園である。
瑛汰は忙しい。わんちゃん公園に着くと、よその犬と遊ぶ。隣の公園で遊んでいた子どもたちのところへ行く。少し年上の男の子と滑り台で遊び、彼らが帰宅すると、また犬と戯れに行く。

「瑛汰、帰るぞ!」

瑛汰をその気にさせるのに、さて、何度声をかけたか。

夜は長男夫婦に声をかけ、次女、瑛汰と一緒に川崎で焼き肉を食べた。支払いは、残りのメンバーほとんどの発祥の源である私である。雀の涙ほどの給料と年金で暮らす身ではあるが、その程度の見栄は持ち続けなければ格好が付かない。
店の隣に小さな書店があった。また瑛汰に絵本を買わされた。私は、本が欲しいと言われれば拒絶できない。瑛汰、お前はねだり方がうまい。

夜、瑛汰が泣き出した。ママが一緒に寝てくれないからだ。

「ボスと寝なさい!」

と強く言われた瑛汰は、

「ママがいい!」

と泣きじゃくった。あと数ヶ月すれば、次女はお産で入院する。それまでに瑛汰は、ママなしでも寝付けるようにならねばならない。

泣く瑛汰を抱き、私の布団に連れて行った。やがてあきらめたのか瑛汰は泣きやみ、本を読んでくれと言い出した。寝る前の恒例行事である。

「いっぱいだよ」

布団を抜け出した瑛汰は、絵本を5冊抱えて布団に戻ってきた。読み終えると、私の腕枕で寝息をたてはじめた。10時。私の寝る時間ではない。が、瑛汰の寝息を聞いていたらいつの間にか夢の世界に入っていた。

21日
朝8時半、川崎駅で長男夫婦を拾った。私の車で羽田に向かう。車は羽田の駐車場に入れ、翌日、私は羽田から直接桐生に戻る。
昼前、福岡空港に着く。地下鉄で天神へ。まずは腹ごしらえだ。博多に来たら、ラーメン。天神の「元祖赤のれん」。

私が通った、正確に言うと籍を置いた大学の近くに「赤のれん」というラーメン店があり、かなり美味しかった。その後店を閉じたと聞き、残念に思っていたが、「元祖赤のれん」? 関係あるのか? 確かに、店から流れ出るスープの臭いは好ましいが。

「はい、あの店を閉めてこちらに来まして」

期待しつつ、昼間からビールなどを飲み、満を持してラーメンどんぶりに向かった。まず、スープをすする。

「ん?」

違うなあ。麺をすする。

「なに、これ」

わざわざ足を向けるほどではなかった。店の前には行列ができていたのだが、博多人の味覚もその程度になってしまったか。

エディー・バウアーでシャツを購入。

「2泊分の着替えを」

という私の話を聞き逃したのか、惚けが始まったのか、バッグには着替えのシャツが1枚しか入っていなかったための緊急避難である。その後、コーヒーの名店、「ミニヨン」を新天町で探したが、その一体は再開発されており、見つからず。時の流れは残酷である。

西鉄大牟田線で大牟田へ。駅まで甥っ子が迎えに来てくれた。
大牟田の実家から、車2台に分乗して玉名温泉へ。そこが米寿祝いの会場だった。母、叔母、母と同居する次男一家、それに私たち全員で記念写真を撮る。母は私が持参した松井ニットのストールを首に巻いて真ん中に座る。
そういえば、俺、これまで母にものを贈ったことがなかったような……。

温泉に浸かって夕食。持病のため参加できなかった妻が次男の嫁に頼んだケーキにロウソクが8本。88歳のばあさんが一息で吹き消す。
足は少し弱ったようだが、まだ、そんなに元気なの?

「ボーリングしたい」

甥っ子のひと言で、弟、その子2人、それに私と私の息子の計5人でボーリング。料金1500円。田舎の温泉地のボーリング場は良心的である。でも、それで採算とれるの?

14ポンドの球を投げる。5人中4位。やってないもんなあ……。ちなみに、トップは弟で、スコアは確か163。ほんの30分前、飲み過ぎて部屋で吐いていた男がトップとは。
弟も酒が弱くなった、と評すべきか。それでもトップとはたいしたもんだと褒めるべきか。
ま、私も翌日、右肩と右手中指の第一関節の異変に年齢を感じたが。

部屋に戻り、甥っ子2人、我が息子、その嫁とビール。12時半を過ぎて布団に入る。

ここまでは、なかなかいい旅だったのだが……。

22日
旅館を出て、父親方の墓と母親方の墓を訪れる。彼岸の墓参りである。

「福岡で昼飯食って帰るから」

という我々を全員が引き留める。

「大牟田でラーメンば食って行けばよかったい。俺が空港まで送るけん」

本当は福岡に出て、「かろのうろん」のうどんを食べたかった。「かろのうろん」の評判を聞いたのは私が福岡を離れたあとで、福岡で5年半も過ごしたというのに1度も行ったことがない。今回こそ行きたかった。
それに、ラーメンは昨日も食った。

「うちの下にあるラーメン屋が美味かったい。久留米系やもんね。それば食ううていけばよかろもん」

そこまで言われては断るすべはない。
と考えたのがまずかった、とは後で考えたことである。

そのラーメン屋に家族全員で行った。満員だった。待ち時間もよく分からないという。

「ほんなら、うどんば食いに行こ」

何しろ、飛行機の時間がある。無限に時間があるわけではない。直ちに転戦した。甥っ子2人が先発隊として先駆け、それを弟の運転する車で追いかけた。

「何てや? 満員? 何人待っとっとや? 18人?」

先発隊からの電話を受けてしばし考えた弟はいった。

「ほんならつるやのラーメンにすっぞ」

再度の転戦である。おいおい、という立場に私はない。私の頭にあるのは、空腹感を訴え始めた胃袋と、飛行機の時間だけである。

で、つるやでラーメンを食べた。こんなものか、という味である。まあ、転戦先だからそれも仕方なかろう。

弟の運転する車で福岡空港を目指し、九州縦貫道に乗った。

「えっ、渋滞?」

時刻は1時半。福岡までは60km強の道のりである。普通なら、40分ほどで着く。なのに、渋滞? いつもガラガラの九州縦断道が渋滞?
いまから西鉄大牟田駅に引き返すか。が、乗れる電車は2時20分発。福岡に着いたときには飛行機は飛び立っている。
このまま進むしかない。弟は、おそらくそう決断した。

高速道路に乗った。渋滞とはいうものの、車はそこそこ流れている。ほほう、九州はこれを渋滞と呼ぶか。これなら何とかなるかもしれない。

「おい、ネットで渋滞情報を調べてみろよ」

息子に言った。えっ、あんただってiPhone持ってるだろう? どうして自分で調べない?
正しい指摘である。だが、親の権威とはこのようなときに発揮するものだというのが私の信念である。息子がそばにいるのに、自分で事務作業をするなんて。
こんな時に親の権威を発動したいから、昨日福岡で食ったラーメンも、昨夜のボーリングも、強の昼飯のラーメンも、すべて私が払ったのではないか?
いや、実は渋滞情報の探し方を知らないだけなのだが。

「柳川の少し先までだって」

それなら何とかなる。
柳川を過ぎた。相変わらずのノロノロ運転だ。どうなってる?

「渋滞情報の更新って、しょっちゅうやってる訳じゃないんだよね。更新されてるかどうか」

うるさい。父の命に従うのが君の役割なのだ。

「あれっ、渋滞、伸びてるよ。久留米の手前までだって」

何のことはない。我々を巻き込んだ渋滞がそのまま先に進んでいる!

ハンドルを握る弟は、焦りの色を見せ始めた。100kgを超す体と焦りは関係ないだろうが、盛んにタバコを吸い始める。
ラーメンで兄貴一行を引き留めたことを後悔し始めたか?

だが、焦っても解決策はない。いまから高速を降りて電車に乗り継いでも、午後3時15分の飛行機に間に合うはずがない。
再び、息子に命じた。

そのあとの飛行機に空きはあるか、調べろ。
今日中に羽田に到着できなければ、翌日からの仕事に差し障りが出る。私は何とでもなるが、働き盛りの息子はそうはいくまい。同じ会社で働く息子の嫁も同じである。今日中に羽田に着けるか?

「うん、空きはあるみたいだね」

この一言で私はすっかりリラックスした。3時15分に乗り遅れても、何とかなる。余分な金はかかるが、それはあきらめるしかない。

久留米を過ぎて、車の流れはスムーズになった。弟は、とばす。が、時計の針は容赦なく進む。2時50分。

「ああ、もうだめだね」

息子が言った。そうかな?
3時5分、到着した。

「おい、荷物は俺が持つから、お前は走れ」

 「走ってどうするの?」

 「すぐにあと2人来るから、搭乗手続きを1分だけ延ばせといえ」

「無理だよ。いまエアラインは駐機時間を削減してコストを削るのに必死なんだから。駐機時間が1分伸びると数百万円余分にかかるんだよ」

小賢しい知識を振り回すのではない。

「いいから、走れ。だめ元だ!」

弟に別れの挨拶をするゆとりもなく、3人で走った。

「お父さん、早く! 大丈夫だって。出発が遅れたんだって」

滑り込み、セーフ
まあ、すべてが恙なく済んだから、いい旅だったのでは?

羽田に着いたのは午後5時半前である。息子たちと分かれて駐車場に向かった。駐車料金5200円。ゾクッ。また財布が軽くなる……。

高速の湾岸線に出て、葛西ジャンクションから東北道を目指す。渋滞。いくら3連休の最終日だとはいえ、東京から出る高速道路が何故混む? 東京に向かう路線が混むのは理解でいるが。
九州縦貫道の渋滞といい、ひょっとしたら景気に薄日が差してきたか?

ナビに従って大回りをして東北道に出る。午後8時過ぎ、桐生の自宅に到着。

23日
以下は、余分な話である。
実は大牟田から、土産を買ってきた。「真がに漬け」。生まれ故郷では、がん漬け、とも、がに漬け、とも呼ぶ。小さなカニをすりつぶし、塩と唐辛子で漬け込んだものである。大変に塩辛く、また辛い。カニの甲羅がそのまま入っているから、噛むとじゃりじゃりする。これをほんの少々、ご飯と一緒に食べると、私には美味に感じられる。ご飯最期の一口、二口、これを食べると幸せになる。
私が幸せになるから、全員が幸せになるとは限らない。我が一族でこの食品を好むのは私だけである。味覚に鋭い長男を含めて、ほかの家族は見向きもしない。
しばらく前までは、横浜のそごうで売っていた。ある時買いに行ったら、もうないといわれた。入荷の予定もない。そうか、この食品を好む人が少なすぎ、陳列棚に並べてもむだなのだな。
かと思うと、川崎のさいか屋でやった九州物産展では、

「すいません。売り切れました」

といわれた。少数ながら、私と同じ食の好みを持つ人が、一部にはいるらしい。

という「真がに漬け」を土産に買ってきた。そして、この日朝から、5人の知人にあげた。

「という次第で、どうやら万人が美味しいと思う食品ではないようだが、私は大好きである。お試しあれ。ほんの少し、温かいご飯に乗っけて食べると、私は美味しいのだが」

というコメント付きである。

さて、5人は食べてみたのだろうか? 食べて、どう思ったのだろうか?
本日=24日になっても、誰からも連絡がない。蓋を開け、臭いをかいだだけで怖じ気づいたか?

「真がに漬け」は桐生では受け入れられないのだろうか?
明日以降、全員に感想を聞いて回ろう。