2010
10.02

2010年10月2日 エリート

らかす日誌

証拠改ざん事件で、検事が3人逮捕された。彼らはこれまで、国民を拘束する権限を与えられた検察という組織で、功成り名を遂げてきたエリートばかりである。遙か雲の上にいたヤツらが、突然肥だめに落ちて藻掻く。
それだけでも胸がすっとする。ざまー見ろ!

事件の構図に唖然としながら、そんな快哉を叫びたくなるのも私である。

恐らく彼らは起訴され、有罪判決を受けるのであろう。何しろ日本の検察が起訴した事件はほとんどが有罪となる。世界有数の有罪率を誇る。

そうなれば、検察官としてはとどまれまい。いや、法曹資格だって失うのではないか。これまで検事という仕事しかしたことがなかった彼らは、これからどうやって生きていくのか? 生活資金はどこで稼ぐのだろう?
身から出た錆とはいえ、可愛そうでなくもない。

そこで、提案したい。
3人を検察官として残したらどうだろう?

彼らはいま、検察官として得難い体験をしている。被疑者を取り調べて有罪を立証する仕事しかしなかった彼らが、いまは逆に、被疑者として取り調べを受ける立場だ。こんな経験を持つ検察官はいないはずだ。

この得難い体験で、彼らは、怖い検察官の前に座らされた被疑者の気持ちが分かる。突然の呼び出し、長時間の聴取。すべて検察官のいうなりになるしかない。
本当のことをしゃべっても取り合ってもらえず、どっかで勝手に作られたシナリオが押しつけられる。

「それって、違うんですけど」

と抵抗しても、

「そんな馬鹿なことがあるか」

と一喝される。
かと思えば、

「供述に矛盾がある」

と突っ込まれる。そんな、自分のやったことだっていったって、細かいところまで覚えているわけはないジャン。突然、何月何日の何時にどこにいた、っていわれたって思い出せるわけないだろ? 昨日の朝飯に何を食べたかだって思い出せないのに。
などという真実も、一切取り合ってもらえない。

じゃあ、どうしたらいいのよ!

という被疑者心理が分かって取り調べにあたれば、冤罪発生率は激減するはずである。

いや、積極的な理由もある。
逮捕された3人のうち、上司だった2人は犯罪を否認しているという。つまり、取り調べている検事と対立しているわけだ。優秀な頭脳をフル回転させ、自らの無罪を認めさせようと必死なはずだ。
同時に、自分の立証のウイークポイントも、自分たちが一番よく分かっているはずである。それが頭脳の優秀さの証でもある。
であれば、再び取り調べる側に回れば、被疑者の主張の泣き所をいち早く見つけることができるのではないか?

罪のない人を罪人にせず。罪ある人を確実に有罪に持っていく。3人は、そのような理想的な検事なるための体験を、いましている。
こんな人材を使わないのは、あまりにもったいないのでは?
検察庁よ、勇気を持って3人の雇用を継続せよ!

 

にしても、だ。
罪なき人を、証拠を改ざんしてまで罪に陥れようとした男、それをもみ消そうとしたという男達が、いま罪に問われようとしている。彼らの胸に、いま去来するものは何か?

悪いことをした。初めての反省か?
ドジった。失敗への悔いか?
何も悪いことはしていない。開き直りとファイティングスピリットか?

にしても、である。
実行犯の前田に関しては、改ざんしたフロッピーディスクが証拠品としてある。ところが、上司に2人については、彼らが事件をもみ消そうとした証拠はない。どんな報告を受けて、どう判断したか、が罪に問われているわけで、すべては口頭でのことだ。そんな会話を録音しているはずもないので、客観的証拠はなく、唯一の証拠は被疑者の供述、ということになる。なにやら、この事件の発端になった厚生労働省元局長の事件と似ていなくもない。

厚生労働省元局長の事件は、検察の証拠改ざんが明らかになる前に無罪の判決が出た。物証があてにできないまま2人を逮捕した最高検は、本当に有罪に持ち込めるのかな?

今日は、あまりまとまらない日誌であった。ごめん。