01.04
2011年1月4日 新年
元日夕に瑛汰一家が去り、2日朝に長男夫婦がやってきた。
2人は午後、瑛汰の真似をしたのでもなかろうが、連れだって市内の温泉「ゆらら」に出かけた。午後1時半頃のことである。
湯に浸かる。まあ、30分も浸かっていれば相当に茹で上がる。2時半か、遅くても3時には戻ってくるはずだと踏んだ妻女が、息子嫁を買い物に誘った。
「じゃあ、戻ってきたら、隣のスーパーに一緒に買い物に行かない?」
ほほう、という返事が戻ってきた。
「私、温泉に行くと長いんです。2時間半ぐらいかかるかも」
長男はいった。
「俺は15分ぐらいで終わるんだけどね」
2人の力関係からして、帰宅は恐らく午後4時前後になるであろう。そう読んだ私は、妻女を車に乗せて買い物に出かけた。
「風呂上がりに買い物に出て風邪でもひかれたらことだからな」
2人が戻ってきたのは、やはり午後4時過ぎだった。私の読みは恐ろしいほど当たる。宝くじでも同じ確率で当たればいいと思うのだが、世間はそれほど甘くない。
酒を飲んで、食事をして、寝た。
翌朝起きて、食事をして、2人は去った。
「帰省ラッシュで混むからね」
長男の車を見送って、妻女にいった。
「おい、あいつら、酒飲んで、飯食って、寝て、ほかに何した?」
かくして我が正月は終わった。
子どもたちがバタバタとやってきて、バタバタと去る。それを迎え、歓待し、いなくなれば気が抜ける。
「正月ぐらいはどこか温泉にでも」
妻女にはそんな思いもあるらしい。が、私にはまったくない。温泉旅行など、退屈で困る。だから、時間つぶしに読む本を大量に抱えて行かざるを得ない。湯に浸かって、ありきたりの温泉料理を目に前に並べられて、酒を飲み、本を読む。それぐらいなら、自宅にいた方がましである。本も読める。撮り貯めた映画を見てもいい。ギターの練習だってできる。
それなのに、何でわざわざ金まで払って退屈な思いをしに行かねばならないのか?
正月は自宅で子どもたちを迎える。久しく聞かなかった家族たちの声を聴く。それが私のいつもの正月である。何か問題ある?
で、一夜明けた今日は仕事始め。
とりあえず出かけた。といっても、年明けは全く仕事にならないのは毎年のことである。世の中が普通のリズムを取り戻すのは恐らく週明けであろう。
が、まあ、アリバイ作りのために出かける。
出かけても暇だから、朝から市内を散策した。腰痛でしばらく散歩もしていない。たまには歩かねばなるまい。
歩き出して、左脚に違和感を感じた。
右足はいつものようにふわりと着地する。なのに、左脚はバタンという音を出す。何歩歩いても変わらない。
「何故だ?」
探求心が頭をもたげた。右足の着地と左脚の着地をしばらく比べた。そして、分かった。
足がソフトに着地するには、まずかかとが地面を捕らえ、それから時間をかけて地面を踏みしめる足の裏が指先の方に移る。足裏が弧を描き、その一方の端であるかかとが着地したら、弧に沿って着地面が移動し、最後につま先にいたって地面を蹴る、とイメージすれば理解しやすい。
右足はそのような動きをしている。ところが、左脚は足裏全体が一時に着地してしまうのである。左脚が弧を描けていない!
立ち止まって、まず右足のかかとを支点にして足先を持ち上げてみた。楽に上がる。では、左脚は? 持ち上がらない! 持ち上げようとしても力が入らないのである。
「ありゃ、これは何だ! いったい何が起きた?」
さらに、よくよく観察すると私は左脚を引きずり気味に歩いているではないか。道路の段差も右足は楽々と乗り越えるのに、左脚は引きずりあげなければならない。
左脚に異変が起きている!
そういえば2,3日前から、左腰から左のお尻のくぼみにかけて、何ともいえぬ嫌な感じがあった。これは腰痛に端を発した神経障害か?
念のために、腰痛で飲んでいる薬の副作用を調べてみた。
ミオナールという筋弛緩剤は、まれに下肢のしびれが起きるとある。
私の診断は2つである。
座骨神経痛を発症した。
ミオナールの副作用が起きた。
さて、このいずれであろう?
明日、腰痛でかかっている整形外科に行ってみよう。
歳をとると、いろんなことが起きるものである。面白い。
今日はこれから、町内の新年会である。いまの場所で初めて正月を迎えた昨年、乞われて出た。やはりご近所付き合いは大事だろうと考えたからだ。郷に入れば郷に従え、である。
町内のじっちゃん、ばっちゃん、それに少数のオッちゃん、おばちゃんが集まっての飲み会だった。カラオケ付き、である。
「えっ、またあの集団で飲むの?」
と考えると気が重い。
が、行かずばなるまい。別に選挙に出るわけではないが、ご近所付き合いは大事にしておかないと、なんといわれるか分からないからなあ……。
おっと、間もなく開始の時間である。そろそろ出かける準備をしなくっちゃ。