07.22
2012年7月22日 まつやは終わった
20日金曜日は、予告したとおり、朝から東京に行って妻女殿の野暮用を済ませてきた。1回だけではすまないのがこの野暮用の困ったところで、次回は9月13日である。
また、休みを取って東京まで出かけねばならぬ。面倒臭いことである。
こんな野暮用を作ったあいつをリンチにかけたいが、法治主義の現代ではそうもいかぬ。
野暮用で指定された時間は午後1時半である。野暮用ではあるのだが、遅れてはならぬ。午前8時半に桐生を出た。途中渋滞しても時間までには行き着けるよう配慮したのである。
ま、首都高はいつものように渋滞してた。それでも、11時過ぎには東京に入ることが出来た。これで遅れることはない。
「昼飯、何を食う?」
とりあえず専属運転手である私だが、妻女殿の腹具合を配慮するのも仕事のうちである。蕎麦、ということで車を神田に向けた。
まつや? 藪?
どちらにしようかと思案しながら向かった。到着すると、まつやのまえの路上パーキングが空いている。
「じゃあ、まつやにするか」
私は盛りを3枚、妻女殿は1枚を注文した。
19分で食べ終えて店を出た。
「不味い」
と私。
「あれ、半分以上小麦粉じゃないの?」
と妻女殿。
2人の意見がこのように一致するのは希有のことである。蕎麦の名店といわれ続けたまつや。行くたびに不味くなる。それでも客足が途切れないのが不思議だが、そろそろ歴史的使命を終えたのではないか。
少なくとも私は、2度と足を向けることはない。
とんぼ返りした金曜日、夜は客を迎えて飲み会。最近、飲むと疲れるようになった。これも年齢のしからしめるところか。
それとも、腰痛のために服用を続けているロキソニンの副作用か。飲むと、酔う前に胃がムカムカしてくる。次回、医者にいったら相談してみよう。
独断と願望による私診では、加齢によるものではなく、ロキソニンの副作用に決まっているのだが、素人の見立てだけに、専門家の裏付けが欲しい。
土日は音楽三昧。我が家には相変わらず「頭脳警察」ブームが蔓延しており、先週新たに購入したCD5枚を聞く。聞くだけでなく、我がギターで再現しようと取り組み、
・万物流転
・裸にされた街
のコピーに成功する。といっても、コード進行を割り出せただけで、あの、独特のリズムの刻み方はなかなかに難しい。演奏だけなら何とかなるが、歌をのせようとするとリズムが乱れる。
しかし、PANTAの書く詩は意味深である。というか、何を意味しているのか、もうひとつ掴みづらい。
万物流転
鏡の中から叫ぶ おまえの声 聞こえない
移り変る時代(とき)を捨て 唇も凍えてる
森の木々は朽ち果てて 季節まで売りつくし
獣は生血を求め 街路樹に身体(み)を隠す
風が咲かす炎(ひ)の花に 香(かぐ)わしく 目を閉じて
おまえは霧の中にまで 釣糸を垂らしてる
形も色も匂いも 何もかも ないものと
戯れてるおまえを見て 哀しさを殺してた
神話をさまよう unicorn(一角獣)みたいに
Ah 転げ落ちていくよ どこまでも どこまでも
Ah 水を掴むように やるせなく そう万物流転(パンタ-レイ)
コード進行は
G-Em-C-G
G-Em-C-D-G
が基本で、サビの部分は
Am-G Am-D-Dsus4-D-Dsus4-D
となる。
裸にされた街
何事もなかったみたいだ 街を行く人の顔は
あれほど深かった傷跡も消して 季節のよろめきに身をまかす
闇の中を子供の群れが 松明を片手に進む
百、二百、三百と死に場所を求めて 誰一人 声も立てずに
裸にされた街に 乾ききった風が砂埃(すなぼこり)まいたて
愛しすぎてた街に色とりどりの朝がまた来る
コードは
C-Em7-Am-Am on G F-G-C-C7
Dm7ーGーEm7ーAm Dm7ーGーC
C-Em7-Am-Am on G F-G-C-C7
Dm7ーGーEm7ーAm Dm7ーF-G
が基本。サビは
CーEm7ー Em7ーE♭m7-Dm7-G
CーEm7ー Em7ーE♭m7-Dm7-G-G7
である(と思う)。
以上、ひょっとしたらいらっしゃるかも知れない頭脳警察ファンのために。
そうそう、
「河原ノ者・非人・秀吉」(山川出版社、服部英雄著)
を読了した。退屈な論文が続き眠い目をこすりながら格闘していたら、413ページから始まる「サンカ考」から俄然面白くなり、525ページからの第2部、「豊臣秀吉」は堪能した。
秀吉の実の父は誰だか分からないという。つまり、秀吉のお袋の不義密通で出来た子か、あるいは強姦まがいに犯されて身ごもったのが秀吉であった、ということが資料に基づいて証明されている。
それ故秀吉は幼くして家を出、針を売りながら放浪する。その途上で、被差別民衆と深く接触して命をつないだというのが著者の結論である。
次いで、秀頼は秀吉の実子ではなかったという証明に取りかかる。前提は、秀吉は無精子症であった、ということだ。
確かに、天下人になり、よりどりみどりに女を抱き続けた秀吉なのに、淀君以外に子が出来たことがない。どうして淀君だけに2人も子が生まれたのか。
当時、子が授からぬ夫婦は、神仏に頼った。著者の見解によると、いや、そんなことを頼まれても神様や仏様は困ってしまうので、実は人間が神仏に成り代わって子種を授けたのが実態であった。
つまり、子供が欲しいと願う婦人は、どこかにこもって祈り続ける。そこに、誰とも知れぬ男が忍び入り、子供が出来ることをしてやったというのだ。
なるほど、当時の不妊治療である。
ただ、やることがやることだから、そこには宗教的な陶酔が必要だった。自分の上で腰を動かしているのは人間ではなく、神様だ、仏様だ、と信じる必要があった。そうでもしなければ、単なるヤリマンになってしまうからだ。中には、そんな女もいたかも知れないが。
当時の人であった秀吉も、淀を側室にしたとき、この手を思いついた。一人目はこうして生まれた。鶴松である。織田の血を引く子供が自分の後継者になる。秀吉は喜んだ。喜ぶと同時に、淀の近くにいた連中を殺す。恐らく、秘密を守るためであろう。
ところが、鶴松は間もなく死ぬ。
「惚れた女の体をほかの男に任せてまで生ませた子なのに」
絶望した秀吉は、姉の子秀次を養子とし、自分の後継者に指名する。ところがその後、後の秀頼が誕生する。こうして混乱が始まり、やがて秀次は殺されてしまう。
秀頼を作ったのは淀の独断というのが著者の見方だ。秀吉が喜んでいないからである。それを資料に基づいて証明する手際は鮮やかである。
さて、本日、私は2つのお誘いをしました。
頭脳警察を歌ってみよう!
「河原ノ者・非人・秀吉」(山川出版社、服部英雄著)を読んでみよう!
実行される方は、どれぐらいおいでになるのだろう……。
あ、老婆心ながら、「河原ノ者・非人・秀吉」は2940円もするので、お近くに図書館があればそこでお借りいただく方がいいと思います。