10.02
2014年10月2日 この週末
私は四日市へ行く。明日桐生を出て横浜で一泊、土曜日に新幹線で向かう。
ことは、1ヶ月ほど前の啓樹の電話で始まった。
「ボス、あのさ、僕さ、お祭りで馬に乗るの。だから、見に来て」
啓樹は、運動会だから見に来て、とはいわない。ピアノの発表会だから来て、という電話も寄越さない。それが、
「馬に乗るから見に来て」
まあ、そりゃあ、去年の夏、啓樹、瑛汰と3人で九州は阿蘇まで足を伸ばし、2人を馬に乗せた。非常に立派な馬であったが、啓樹も瑛汰も、楽しそうに馬の背にまたがり、トロットまで楽しんだ。2人ともあれが乗馬初体験だったと思うが、ということは、すでにして乗馬経験者でもある。
「だから選ばれたのか?」
「うーん、分からないけど、見に来て」
そこまで懇請されてすげなく断る神経を、私は持ち合わせていない。
「わかった。行く」
その祭りが、今週末にある。
「でも、どういう祭りで、啓樹は誰に扮するんだ? 四日市は確か幕府の直轄領だったはず。領主もいなかったわけだから、扮するといっても……」
ほぼ毎日のように四日市の娘と電話で長話をされる妻女殿にお伺いを立ててみた。
「知らない」
このすげなさはいつものことである。すげない言葉に
「あんなに無駄話をしているのに、どうして肝心の話を聞いてないんだ?!」
と激怒したら、数日間、口をきいてもらえなくなる。いや、口をきいてもらえなくても実害は何もないのだが、口をきかなくなった妻女殿は、いかにも体調が思わしくないようなパフォーマンスを展開される。笑いが健康の元だとすれば、渋面は病の始まりだ。元々持病をお持ちなのだから、できればそれは避けた方がよろしかろう。
というわけで、ひとりネットで調べてみた。
あった、あった。この土日に催されるのは四日市祭という。何でも、織豊時代末期から江戸時代初期にかけて始まったらしく、一度中断したが1997年に復活した。古いような新しいような祭りである。
で、啓樹は馬に乗る。さて、馬に乗る行事は……。ん、これか? 富士の巻狩り。建久4年(1193年)5月、源頼朝が富士の裾野付近でやった巻狩り、つまり狩猟をテーマにしたものだ。だから、四日市の祭でも猪が出て、それを源頼朝、北条時政、曾我時致(この人、聞いたことがないなあ)が狩るらしい。
でも、富士の裾野で行われた狩猟が、どうして四日市に伝わる? 少なくとも今のところ、私にはよくわからない。分からないが、市指定の無形民俗文化財というから、それなりのものではあろう。でも、頼朝と四日市ねえ……。
「で、啓樹、お前は誰なるんだ?」
今日の夕方、啓樹に電話をした。
「ん? 頼朝だよ」
「えっ、それって、一番偉い人じゃないか」
「そうなの?」
啓樹の母である我が娘によると、毎年の祭りで、頼朝役は地元の旧家、名家の子どもに割り振られてきた。それが、旧家でも名家でもない、マンション住まいの啓樹に降ってきたのは
「どうも、たまたま、旧家にも名家にも、適齢期の子どもがいなかったらしいのよね」
なるほど。私は旧家、名家なんて屁とも思わないが、とすれば、啓樹は強運の持ち主である。加えて、旧家、名家以外には沢山適齢期の子どもがいるにもかかわらず、啓樹が選ばれたということは、よほどご近所の方の記憶に残る
「いい子」
であるのか。
忘れ物をして、テストでは名前を書き忘れて、いくつも眼鏡を忘れて、壊して、いつもママに叱られている啓樹であるのになあ。
啓樹が馬に乗るはずの日曜日は、予報によると台風の影響で雨模様らしい。
「だからね、少しの雨だったら馬に乗るけど、大雨だったら馬には乗らないから」
ああ、そうか。大雨でも祭りはやるんだ。で、その時は馬に乗らずにどうするんだ?
「あ、えーっ、うん、中止になるかも知れないけど、少しぐらいの雨なら馬に乗るから」
鎧甲に身を固めて馬に乗り、庶民を睥睨する。啓樹はよほど楽しみにしているらしい。写真を沢山撮ってこなければなるまい。
にしても、である。
心肺停止、って何だ?
御嶽山の噴火で、
「死者○○人、心肺停止○○人」
という報道が相次いだ。最初に耳にしたのはNHKのニュースで、
「ああ、また国営放送がバカな言葉遣いをしている。いまやバカの集団だな」
とせせら笑っていたら、すべての新聞が同じ言葉を使って報道をしていた。心肺停止って、何だ?
恐らく、心臓が動きを止め、肺も呼吸機能をなくしていることをいうのだろう。漢字から、その程度のことは分かる。でも、だとすれば、心肺停止って、死んだってことじゃないのか? どうして、死者と、心肺停止になった人が区分けされてるんだ?
加えていえば、心臓が停止しても、肺が呼吸しなくなっても、人間がすぐに死ぬわけではない。仮死状態になるだけである。そこから、適切な蘇生措置をすれば、生命を呼び戻せる。
という程度の知識はある。だから、心臓も肺も機能していない状態を心肺停止というのだろうという想像はつく。
だが、だ。心臓と肺が止まって仮死状態に陥った後、人はいつまでも生きているわけではない。数分もすれば脳細胞は栄養不足に陥り、壊れ始める。そして、放っておけば、確実に死ぬ。心配機能が停止した後は、いかに速やかに蘇生措置をとるかが、生きるか死ぬかの分水嶺となる。
だから、だ。噴火して丸1日以上たって
「心肺停止」
であるということは、すでに死亡していることと同じなのではないか? それを、どうして死者と分けて数えるのか?
それが私の疑問であった。
無論、捜索隊が発見した直後に心肺停止に陥ったケースもあるだろう。だから、その時点で、蘇生の可能性がある人を心肺停止、と表現することはあり得る。だが、今回の御嶽山の噴火では、心肺停止の人をなかなか医療機関に運ぶことができなかった。運べないまま、でも、心肺停止者の数は変わらず、確か昨日になって、突然その人たちが死者となった。
科学的にはありえないことである。
無事を祈る家族、知人に気を遣ったのか?
だが、いずれ「死亡」と表現せざるを得ない被害者を、いたずらに言葉の上だけで「蘇生できるかも知れない人」にするのは、本当の気遣いか? 生きて帰ってきてくれるかも、という期待を長引かせるのが、本当の親切か?
家族から突っ込まれるのをいやがった役人が、その場の難を避けようと遣った「心肺停止」を、何も疑わずにメディアが垂れ流した、というのが本当のところではないのか?
言葉遣いまで当局に左右される。それは、朝日新聞の誤報、虚報以上に恐ろしいことだとの自覚を持つ記者さんは御嶽山には行かなかったのかな?
などと悪態をつきながら、明日からの旅行に備える私である。