03.30
2015年3月30日 BMW
「大道さん、BMWに乗ってるんですね」
昼間尋ねた福祉施設で、職員から声をかけられた。
最近、この施設に加わった中年の男性である。これまでまともに言葉を交わしたこともなかった。なのに、この質問。よほど車が好きなのか。が、声をかけられたら声を返すのが礼儀である。
「ええ、好きで。でも、もう9年乗った中古ですけどね」
すると、彼はこう返してきた。
「ボクも乗ってたんですよ。750っていうヤツに」
ん? BMWの750? それって、1000万円を越す、超高級車だぞ!
「もう20年ぐらい前のことですけどね」
にしても、だ。よほど有為転変の人生であったに違いない。聞くと、
「ええ、昔浜松の会社で働いていて、独立してバイクショップを持ったんです。でも、母親の具合が悪くなり、介護のため店を閉じて故郷に戻ったんですわ」
ふむ、そのような人が介護施設で働いているか。
さらに話を続けると、店をやめたとき、どうしても手放したくないバイクを30台ほど引き連れて桐生に戻った。うち20台ほどはその後売り払ったが、いまでも、ドガッティやヴェスパ(オードリー・ヘップバーンの「ローマの休日」で有名です!)など10台ほどを納屋に保管しているとか。
「最近はエンジンをかける暇もなくて。バイクに申し訳ないんですけどね」
思わぬところに思わぬ人がいる。人生とは意外性の連続である。
という話では、今日はない。
以上は、単なる前書きに過ぎない。
ここからが本文である。
「いやあ、BMWっていいですよね。私、よく東名高速を250㎞でぶっ飛ばしたんです。気持ちよくて」
250㎞? それって、完全に違反じゃないですか。
「知ってました? 250㎞で走ると、オービスにひっかからないんですよ」
知るわけがないだろ!
オービスとは、ドライバーの敵、自動速度違反取締装置である。どうしてもスピードが出そうなところに待ち構えているカメラだ。
だけど、高速道路のオービスは、時速130㎞をこした車を撮影するものだと思っていた。だから、その手前で125㎞程度に速度を落とすのがいつもなのだが、それが、250㎞で走る車を取り締まらないとは、どういうこと?
「車の方が早すぎるんです。カメラが『速度違反の車が来た。写真を撮らなくては』って準備しているうちに通り過ぎちゃう。時速150~160㎞で走ってると、確実にやられますけどね」
知らなかった。250㎞まで速度を上げるとオービスの作動が間に合わないとは!
「パトカーだけは恐かったですけどね」
そうか。じゃあ、次に横浜に行くときは、250㎞で走ってみる? だが、同じBMWとはいえ、彼が乗っていたのは750、私のは320である。250㎞なんて出るのかね?
それに、せいぜい160、170㎞ぐらいまでしか速度を上げたことがない私は思うのだ。
「時速250㎞って、それだけで恐くないか?」
安全に運転できる速度を保つにこしたことはない。
皆さん、くれぐれも彼の真似をしないように!
群馬大学付属病院での腹腔鏡手術で8人の患者なが亡くなって唖然としていたら、今度は千葉県がんセンターで11人が亡くなっていたことが分かったそうだ。
「お前ら、殺した患者の数を競い合ってるのかよ!」
と突っ込みを入れたくもなる話である。
どちらもあまり経験のない医師が、病院の許諾を得ずに勝手にやっていたというから、これはほとんど殺人である。警察は何をしているのか。
私に考えられる原因はひとつだけ。
担当医師の名誉欲である。
腹腔鏡手術のゴッドハンド
と呼ばれることを夢見たのではないか。
それには、練習がいる。卓越した技術は数多くの失敗を乗り越えて始めて身につくのではないか?
無論、野望を持つことは悪いことではない。が、他人を犠牲にしてでも達成しようとする野望は、暴虐と呼ぶしかない。
どうして担当医師は、経験の深い医師の指導の下に腹腔鏡手術の経験を積もうとしなかったのか? それでは、ゴッドハンドと呼ばれるまでに時間がかかりすぎると考えたか?
野望の道程に敷き詰められた狂気。殺された患者たちは、辻斬りにあったようなものである。
「まるで患者はモルモットだな」
夕食時、妻女殿にそう申し上げたら、珍しく賛同していただいた。
医師は、懸命に患者を救おうと日々を重ねる。それが、狂気にとらわれたごく一部の医師のために、医師全体が不信の目で見られる。ほとんどの医師にしてみれば、この2人は殺しても飽き足らないだろう。いったい、何ということをしてくれた!
そういえば、オウム真理教のサリン事件も、本当の動機はいまだに分かっていない。先日は、高齢の女性教師が見も知らぬ男にとつぜんのしかかられ、ナイフで殺害された。秋葉原で突然7人が刺殺された事件も、記憶に新しい。凶悪事件全体は減っているのだろうが、理解が届かない事件は増えているのではないか?
一葉落ちて天下の秋を知る
我々の生きる社会は病み始めているのだろうか?