04.12
2016年4月12日 新聞
今日、東京大学の入学式があったそうな。
私には無縁の世界であるが(もっとも、同僚や仕事先には結構東大出という方々がいらっしゃった。「あ、そうなの?」だけで終わり、さしたる印象を残さなかった人びとが多かったのはどういうことだろう)、東大学長の挨拶が
「へーっ」
だった。
学長さん、こうおっしゃったそうなのだ。
「新聞をきちんと読む習慣を身につけ、海外メディアにも目を通し、世界で日本がどう見られているかを意識して」
読売新聞の夕刊からひいた。そうか、沢山おっしゃった中から、ここをひくか。読売新聞も読者がどんどん減っているんだな、きっと。
だけど、やばいよな、新聞。だって、東大に入る連中だって、新聞をほとんど読まないからこんなメッセージを学長が発するんだろ? 東大生が偉いわけではないが、勉強をたくさんして、受験勉強の勝者であることは確かである。つまり頭脳が優れている(頭脳が優れているからいいというわけではない、と私は思う。要は、優れ方の問題だ)連中ですら、新聞を読まない。私のように、頭脳がそこそこしか優れていない連中は、多分輪をかけて読まない。
新聞はこれから。何処に収入源を求めるんだ?
と書きながら、私は新聞をながめる人である。何しろ、会社が会社の金で沢山の新聞を我が家に送り届けてくれるから、まあ、お義理にも読んだふりをするしかない。読んだふりをしながら思うのは、
「まあ、読んだってたいしたことはないな」
だから、東大合格者が新聞をあまり読まなくても不思議な感じはない。劣化したのは世の中か、新聞か。
ところが今朝は、珍しく目にとまる記事があった。
「暗闘 農政改革1」
を掲載したのは日本経済新聞の2面である。
日経の記者、よほど小泉進次郎の農政改革がお気に召したらしく、よく取材なされておる。
何でも、小泉の兄ちゃん、農協別の農薬の価格を調べたらしい。それによると、青森では1621円しているのに、山形では860円。何でも、青森や秋田の農家は、べらぼうに高い農薬を買わされているというのだ。
いや、それだけでなく、農機具メーカーは
「補助金があるのだから、700万円じゃなく1000万円のトラクターを買いましょうよ」
と農家に持ちかけているらしい。1000万円のトラクターにはエアコンやステレオが備わっているのだそうだ。
私なら、
「エアコンとステレオで300万円! 自分でくっつけたら20万円もしないだろ」
と蹴っ飛ばすのだが、こんな営業手段が使われているということは、言葉につられて買う農家が多いのだろう。
まあ、仕事は快適にするに限る。私の事務所にはエアコンがあり、自分でステレオも、しかもクリスキット+ネットワークプレーヤーで置いているから、快適な室温と極上の音楽に包まれて仕事ができる。だから、
「農民は、何も考えず、ひたすら汗を流して働け!」
などというつもりは毛頭ない。自分の労働環境をよりよくしたいのは、誰しも同じである。
だけど、補助金が出るからって、300万円も使ってエアコンとステレオをトラクターにつけるか?
という実話がてんこ盛りで、我等が進次郎が、党内外の守旧派から圧力を受けながらも改革に取り組む姿を描く。
うん、私見では、日本の農業は世界に誇る産業に成長できる素地がある。それを阻んでいるのが、このような利権まみれの守旧派であるのなら、進次郎を応援するしかないのではないか、と思わせるに十分な記事だ。こんなのに出会うと、読んでも読まなくてもどうでもいい記事のオンパレードの中、
「おお、掃きだめの鶴!」
と嬉しくなる。
不思議なことに今朝は、もうひとつ
「読んでよかった」
記事があった。東京新聞である。
「『過剰な正義』 日清CM中止」
という記事が掲載されたのは、「こちら特報部」のページだ。
まったく知らなかったのだが、日清食品のカップヌードルのCMが、わずか9日で放送を中止した。私、民放テレビをまず見ないので、日清食品のテレビCMに出会うはずもなく、この記事で初めて知った。
「ああ、嫌な時代になったな」
と思わせる記事であった。
それによると、日清食品は不倫やゴーストライター使用でスキャンダルを起こし、世の指弾を受けたタレントたちを起用したCMをつくり、テレビで流した。
学長役をビートたけしがつとめ、スキャンダルタレントは教員役。
不倫したタレントが
「二兎を追うものは一兎をも得ず」
と生徒に教え、
「これ実体験だよね」
と生徒に笑われる。もし見ていたら、私もクスクス笑いをする。
ゴーストライターを使った作曲家は、ピアノを弾く学生の後ろに回って二人羽織の体制になり
「そうだ、その調子」
と演奏を助ける。
これを受けてたけしが
「お利口さんじゃ、時代なんか変えられねぇよ。いまだ! バカやろう!」
と渇を入れる。
いや、見たことないから、これ、すべて東京新聞の受け売りである。
これが何故、カップヌードルの宣伝になるのか、いまいちよくわからないが、多分、カップヌードルはお利口さんではないから時代を変える商品に育った、というのだろう。
実によくできたメッセージである。
このCMが、いわゆる良識派の方々から
「不倫や虚偽を擁護しているように見える」
などと抗議を受け、日清食品はやむなく放映をやめたというのである。
あれまあ、日本社会もここまで来てしまったのか。ゆとりも余裕も何もなく、常に精神を引き締め、身を白刃の元に置く。
えらくおっかない世の中になっちゃった。
私なんぞは、
「よくぞまあ、自分の恥をそこまで笑いものにして」
と畏敬の念すら覚えるのだが、良識派の方々はまったく違った感性をお持ちのようだ。
まあ、この場合の良識派とは妬み根性のみで生きているような人びとをいう。
「私は不倫なんか、したくてもできなかった。なのに、私が憧れた『不倫』をしたタレントが、どうして堂々とテレビに復帰する? 許せない!」
「俺だって、カンニングができるほどの才覚があったら、いまみたいに惨めな暮らしはしていなかったんだよ。それなのに、カンニングでガッポリ金を稼いだヤツが、またまたそれをネタにして金を稼ぐ。俺はどうすればいいんだ?!」
いやいや、こんな個人的な劣情が、インターネットというメディアができたおかげで世に拡散し、この世を息苦しくしてしまう。
どうして、
「えーっ、そんな手があった?!」
と楽しまないのかね。
思い起こせば、セクハラもパワハラも、いや禁煙の強要だって、そんな劣情の持ち主がつくりあげてしてしまったのではないか? 言葉を、行動をどんどん制約していく社会の行き着く先は、全員がナチスのような制服に身を包んで、ズボンの折り目や勲章の数、胸への付け方に覇を競う統制社会ではないのか? 君たちは北朝鮮で暮らしたいのか?
東京新聞の「こちら特報部」、このところ左翼跳ね上がり的な空理空論による社会批判ばかりが続いてうんざりしていたのだが、久々のヒットである。
もっとも、この記事に登場された多摩美大講師の感性には、?を進呈しておく。
「やらかした人たちをネタにすれば、注目は集められるかも知れないが、広告の作り方として軽薄。反感を買うのもわかる」
「有名人や大企業といった自分より大きな対象をたたきやすいからといって徹底的にたたくことで、快感を覚える人たちには疑問だ」
この記者、文章力がいまいちで、後ろのコメントは意味が曖昧だ。まあ、この講師、どちらもたたいているのだろう。
でもなあ。この程度の感受性しか持たずに美大の講師? これ、軽薄なCMか? 実にユーモア感覚に溢れ、いまの社会の問題の中心をめがけて矢を射込もうとした、志し溢れる作品ではないか?
今日は東大学長のお言葉を足がかりに、最近の新聞を考えてみた。