2016
05.30

2016年5月30日 遅々

らかす日誌

新しく買ったMacBook Airの設定に、土曜日から取り組み始めたのはご報告済みである。
で、今日はすでに月曜日。さて、どこまで進んだのか。

まず、できたことからご報告しよう。

MacBook Airのメールソフト、「メール」の設定ができた。これによって、メールのやりとりはMacBook Airでもできるようになった。

旧iMacで使っていたEntourageは、最初からアカウントの設定をやりなおし、使えるようになった。だが、そこまでやっても、これまでやりとりしてきたメールは復活しなかった。つまり、

「これは必要」

と思って保存していた受信メール、送信メールがすべて消えた

「ふっふっ。こんなこともあろうかと、Macの隠し技であるTimeMachineを稼働させておいたもんね。ここから回復できるんだって」

できなかった
これによって、膨大な資産がなくなった。ために私は昨日から、とりあえず必要と思われる先に電話をかけ始めた。 

「という訳なのよ。申し訳ないが、空メールでいいから送ってくれる? でないと、こちらからメールが出せないからさ」 

もし私の実像を御存知の上で、私とメールを交換したことがある方がお読みなっていれば、是非、改めてメールを頂きたい。

しかし、いったい何処に行ってしまったのだ? 私のやりとりしたメール……。 

それから、 ん、それから? そのほか、できたことがあったっけ?

そうそう、Excelでつくった書類は、NumbersというMacのアプリで開けることがわかった。この分なら、Wordでつくった書類も、何かで開けるだろう。 


それから、それから。ふむ、それからがないのだ、これ以上。 
写真は相変わらず移ってくれないし、iTunesの音楽資産も移ってくれないまま。ふと思いついて、 

「iPodにあるデータを MacBook Airに移せばいいではないか!」

と試みたが、iPodから MacBook Air、というデータコピーは、どうやらできないようなのだ。まあ、どうしようもなければ、flacファイルで積み上がっている音楽資産をMP3に変えてMacBook AirのiTunesに入れればいい。
だが、やりたくないことは断固としてやらぬ。このパソコンの頑固さはどうだ? 可愛くないなあ。 

データベース・ソフトのBentoも稼働していない。アプリそのものは MacBook Airに移ってくれたが、中身がゼロなのである。旧iMacにはバックアップ・ファイルがあるので、これをMacBook Airに移そうとしたのだが、どうしても移動を拒否するのである。これも何とかしなければ、MacBook Airがメイン機種になることはない。


というわけで、本日夕、 MacBook AirにあるThunderboltという端子をLAN端子に変えるアダプターが届いた。これで2台のMacを接続し、必要なファイルをMacBook Airに移そうという作戦である。LANケーブルで繋げば、ファイルの移動が簡単にできるはず、と思って、法外に高かったがAmazonに注文していたものだ。
さて、思惑通り使えるかどうか。 


昨日、桐生市のオーディオ愛好家の集いに顔を出した。 
いや、私は故桝谷さんにならって、マニアとは距離を取りたいと思っている人間である。なのに、何故にそのような場に顔を出したのか? 
DAC(デジタル信号をアナログ信号に変える魔法の箱)を自作するためである。 

DACの自作を考え始めた経緯はすでに書いた。で、自力ではゴールが遠いことも報告済みである。このような窮地に陥った時、私はどうするか?

自分でできないことは人に聞け 

それが私の信条である。 
どれほど努力しようと、人ひとりでできることには限りがある。自分でできないことは、遠慮なく人に聞くのがよろしい。 

「67にもなって、人にものを教わるのはメンツに関わる!」 

などとは毛頭考えない。いくつになろうと、できないことはできない。だから教えを請う。そう思い定めなければ世界は開けない。 

というわけで、理科系の知人に 

「だれか、DAC回路が分かる人、いない?」 

と聞いた。紹介されたのが、愛好家の集いに出ている人だった。しかも、彼は「らかす」を読んでいてくれるのだという。願ったり叶ったり、ではないか。 

というわけで、昨日足を運んだ。自作のアンプ、スピーカーを持ち寄って音を出し、楽しむ会だった。私にはやや敷居が高い。というか、アンプ回路の設計も、バックロードホーン・スピーカーの設計もできない私には、まるで別の世界だった。 

紹介されたのはMさんという。この日Mさんは、自作のスピーカー2セットを持ち込んでいた。そのひとつ、超小型のバックロードホーンは、実に魅力的な音を出していた。 

「で、ですね」 

と私は教えを請うた。 

「いや、私も個人的には、自作DACには関心がありまして」

これは想定以上の好反応である。近いうちに、私とMさんが一緒に、同じDACを組み立てることになるかも知れない。そこでMさんの知識を技術を盗もう! 
私はそう思い決めたのであった。 

そうそう、Mさんと一緒にいた方と商談がまとまりかけた。 
横浜の我が家には、かつて私が使っていたヤマハのアナログプレーヤーがある。最近はレコードの再生に凝っているという彼に、 

「もう使わないGT2000があるんですが、使いませんか?」

と聞いてみた。横浜でホコリをかぶっている、場所ふさぎである。引き取ってもらえるのなら嬉しい。 

「えっ、本当に?」 

いや、本当だから離したのである。 

「ヤフオクで見たら8万円程度で取引されていたけど、ただでも1万円でも2万円でもいいんです。引き取ってもらえればありがたいんですが」 

そんな申し出に、彼は強い関心を示してくれた。 

「そんな! 15、6万で取引されてますよ。1、2万円なんてとんでもない!」 

いや、こちらは場所ふさぎの処分を御願いしているのである。取引価格なんてどうでもいいのだ。何しろ我が家の音楽再生はすべてネットワーク・オーディオになって、もうアナログプレーヤーなんて使わないのだから。 

「そうしたら、いくらでも結構です。あなたの言い値で引き取ってください。その言い値に従いますので、決心が固まったら電話をください」 

と名刺を渡してきた。 

そして、多分我が師になるMさんには 

「売れたら、その金で同じDACキットを2セット買いましょう。そして一緒に作ろうではありませんか!」 

と提案した。なーに、彼の分のキットの代金は教授料である。 

実現すれば、私にもDACが作れる! 

1台は、最近音楽を聴く気になっている四日市の啓樹に。 
いま1台は、私が譲ったパイオニアのN50の調子が悪いと訴える、我が長男の元に。 
3台目は、あれこれの音を楽しむために私の元に置くことにする。 

実現すれば、またまた新しいオーディオの扉が開くはずである。