12.01
2018年12月1日 からくり人形
古今亭志ん朝の落語を聞いていると、まくらでこんな話を振ることがある。
「昔の中国の偉い方が、『光陰矢のごとし』とおっしゃった。これ、どういう意味かと申しますと、光陰というのは、矢のごとしだなあ、ということで……」
ほかにも同じまくらを使う落語家もいるので、あるいはまくらの定番なのかも知れない。
まことに光陰は屋のようなもので、今日から12月。2018年も残りわずか1ヶ月となった。
「さて、今年の年賀状には何を書こう?」
と思案したのはつい1週間前のような気がするが、あれからもう1年もたってしまった。悲しいのは、
「さてこの1年、俺はどれだけ成長したのだろうか?」
と我が己に問いかける年月はとうに過ぎ去り、いまは
「この1年、俺はどれだけ惚けたろうか?」
としか考えなくなったことである。そういえばこの頃、知っているはずの固有名詞がなかなか思い出せず、原稿を書く手が途中で止まりがちである。関連する単語をgoogleに放り込んで検索し、
「ああ、そうだった」
と再び原稿を書き始めることが結構増えた。今日はいまのところそのような症状は出ていないが……、いやはや、情けない。
一昨日は桐生在住のからくり人形作家、Sさんと、Sさんのからくり人形に魅せられて、そのからくり人形を学術的に解明する作業を続けておられるロボットの専門家で筑波大学名誉教授であるM先生と酒を飲んだ。鎌倉にお住まいのM先生が墓参りに帰省された機会を捉えて酒宴を張ったのである。Sさんのからくり人形を高く評価される専門家の関心を惹いた由縁を聞きたかった。
あ、酒宴とは大げさなことを書いたが、要は一杯飲み屋に繰り込んで3人で酒を飲んだのである。
M先生は御年89歳、昭和4年、桐生の生まれである。ために耳が遠く、声も余り通らない。場所の選択が間違いだったのだろう、隣の席で10人ほどが宴を張っており、どうしてこんなに五月蠅いのだろうというほどの大声でわめき続けていたので、会話は困難を極めた。先生の声が聞き取りにくい。私の声が届きにくい。同じ事を何度も繰り返して問いかけても、全く見当違いの答が戻ってくる。
それでも、先生がSさんのからくりに人形にのめり込んだ筋道だけはよく分かった。設計図を書く技術もなく、頭の中で
「ここをこうすればこうなるはず」
と思いつくままに工夫を重ねて作り上げたSさんのからくり人形が
「実に技術的な理にかなっている」
というのである。先生はSさんのからくり人形を数値分析(ルートやらサイン、コサイン、タンジェント、Θやら、見るからに恐れ多い記号ががたくさん出てきて、とてもじゃないが私の理解の外にある世界)まで試みておられて、この結論を導き出された。
加えて、Sさん独自の工夫である「遊び」(先生は「ガタ」とおっしゃった。ガタ、つまりがたつきである)が素晴らしいのだという。先生のたとえ話では
「東大の学生に大八車を作らせたんです。一見、立派な大八車が出来た。舗装してある道路ではみごとに動いた。でも、がたがた道に出ると、この大八車が突然重くなって引いても動かないんです。原因は車軸と車輪の取り付け部を精密に作りすぎて、その部分に『遊ぶ』がなかったことです。どこかにゆとりがないと、何事もうまく動いてはくれないんですよ」
長年研究を続けてこられたからこそ蘊蓄である。
「あのねえ、いまの技術を使えば、人形をプログラミングで人間そっくりに動かすことだってできますよ。でもね、それじゃあ面白くない。メカで人間そっくりの動きをさせる。そこがSさんの人形の凄いところです」
宴は2時間ほど続いた。話に夢中になって前に並んだ酒の肴に手を出すこともお忘れになっている先生に、Sさんは
「先生、食べなきゃダメですよ」
と刺身や冷や奴、アン肝などを皿に取り分けていた。皿に盛られて自分の前に出されると、先生は素直にお食べになる。酒も
「いや、もう弱くなったから」
と何度も口にしながら、Sさんが無理矢理2杯目の焼酎お湯割りを手に取らせると、いつの間にか飲み干しておられた。
「僕はねえ、実は軍国少年だったんです。日本男児はお国のために死ぬのが使命だと思って育ったんです」
日米開戦の年に12歳。そんな年代なのだろう。同じ年代で
「私は内心、あの戦争には反対していました」
なんていう人に比べれば、はるかに人として信用出来る方である。
その方が、こんな話をされた。
「ほら、『桐生からくり人形保存会』が『図録桐生からくり人形芝居』という本を作ったでしょう。僕も頼まれて原稿を書きました。あれ、ひどい本です。ゲラが送られてきたから、いっぱい直しを入れて送り返したんです。ところが、その後なんにもいってこない。どうしたのかなあ、と思っていると、突然製本された本がドンと届いた。常識では、私が入れた直しを反映したゲラをまず送ってきて確認を取るべきでしょう。それをしない。で、本を開いてみたら、私の直しが全く反映されていないんです。僕、呆れちゃってねえ」
桐生にもおかしな連中がいる。いや、桐生にはおかしな連中が、常識をわきまえない連中がいて、あちこちから補助金を引っ張り出しては何となく意味のあるようなことをやる。この本もその一例である。そして、補助金を使い果たすと活動はパタリとしなくなる。残るのは偉そうな顔だけだ。
先生、私もそんな連中にいっぱい会ってきました。
なかなか盛り上がった飲み会であった。