02.04
2019年2月4日 総支配人 その16
室内楽専門の音楽ホールの支配人でありながら、私はクラシックファンが苦手だった。好きではなかった。嫌いだった。様々な表現が出来るが、真実はこの3つを混ぜて3で割ったようなものであった。
私がクラシック音楽になじめないことは、この「総支配人」シリーズをはじめとして、「日誌」の中で何度も書いてきた。と書きながら、実はいま、モーツアルトのホルンコンチェルトが流れている。この1枚を選んだのは私である。なるほど、人間とは複雑奇妙な生き物であるなあ、と自分を見据えるたびに思う。
それはそれとして。
クラシック音楽にはエセ教養主義の臭いがプンプンする。私をクラシック音楽から遠ざける第1の理由である。
おそらく、義務教育課程における音楽教育のたまものであろう。いかにも教養人というなりをした音楽教師が教室でかけるのはクラシック音楽である。
「このシューベルトの『鱒』は、さわやかな清流の中を、銀鱗をきらめかせながら力強く泳ぎゆく鱒の姿を彷彿とさせる音楽で……」
授業というものが大嫌いだった私に抜きがたいクラシック嫌悪症を植え付けたのは、あの音楽教師であったかも知れない。
ある時、人妻にクラシックのコンサートに誘われた。なにやら怪しい雲行きだが、
「何で俺を誘うのよ。旦那と行けばいいじゃない」
と聞く私に、
「突然チケットもらったからね。ほら、うちの旦那は仕事が忙しいのよ。あなたなら大丈夫だと思って」
という会話の結果だから、実は怪しくも何ともない。ちなみに、彼女の旦那は当時の通産省のキャリア官僚である。私の親しい取材先であった。彼女の目線からは、キャリア官僚は常に忙しく仕事をし、新聞記者は常に暇をもてあましている存在に見えたのかも知れない。
出かけたのはサントリーホールである。指定席に並んで座った私たちは、演奏がちっとも楽しめなかった。彼女の耳にはどう聞こえたか分からないが、私の耳にはバイオリンの音が何とも神経に障った。汚いのである。どこか砂利を混ぜたようなザラザラした音なのだ。
ために、我々2人は入り口で渡されたパンフレットを袋から出し、ながめ始めた。小さいが、ガサゴソという音が出たのは仕方がない。
その瞬間だった。隣に座っていた客が厳しい目線を私に向けた。そして、口を真一文字に閉じ、右手の人差し指を閉じた口の前で立てたのである。
「シーッ!」
というつもりだったのだろうが、声は出ない。声は出ないが、意図は私に伝わった。
これは「旅らかす」で書いたことだが、仕事でハンガリーのブダペストに行ったとき、国立オペラハウスでヴェルディのファルスタッフを鑑賞する機会があった。確か前から3列目ぐらいの席で、舞台ではイタリア語のオペラが演じられ、マジャール語の字幕が出るというちんぷんかんぷんの状態に置かれた私はやがて退屈し始めたのだが、ふと耳に響くものがあった。舞台ではないどこかで、誰かが声を出している。
周りを見渡した。声の主は2列ほど後ろの席に座った中年の女性である。しばらく聞き耳を立てた。何とこの女性、舞台に合わせて歌っているのである! 合唱しているのである!! そして、誰も彼女に注意をしない。真一文字に閉じた口の前で指を立てるような人は1人もいない!!!
彼女は「音楽」を楽しんでいた。サントリーホールには「音楽」の人はいたのだろうか? 「音学」の人がいたのは確かだと思われる。
違うかな?
それでも私は、ホールの支配人である。主催公演ではスーツにネクタイ姿でお客様をお迎えする。それも仕事の一つである。
「ちょっと、あなた支配人よね?」
突然声をかけてきたのは、すでに老境に入っていると見える女性である。このホールでしばしば見かける顔で、おそらく、私の「苦手な」×「好きではない」×「嫌いな」÷3の人である。
「私の前の列の、私から3番目に席に座っている人の拍手が早いのよ」
? このおばさん、何をいってるんだ? そりゃあ、演奏が終わればすぐに拍手をしたくなる人もいるだろうし、遅れてする人もいるだろう。それが何か?
「あのね、音楽というのはね、演奏が終わってもしばらくは余韻に浸りたいものなのよ。それなのに、演奏が終わるとすぐに、先を争うように拍手されたんじゃ余韻に浸れないじゃないの。あなた支配人でしょ? 何とかしなさいよ」
何とかしろといわれても、先を争うように拍手をする人も、あなたと同額の入場料を払って「音楽」を、あるいは「音学」かも知れないが、とにかく同じ演奏を聴いている人である。そしてその人は、先を争うのか、それともすぐに拍手をしたくなるほど演奏に感動したのか分からないが、手を叩いているのだ。いってみれば好みの違い、人生観の違いなのである。どうして彼(彼女だったかも)の主義主張でその人を弾圧することが出来る?
これも、クラシック愛好家の一つの姿である。
ホールを開場すると、待ち受けていた客がゲートを通り抜けてホールに向かう。その日も同じ光景が私の目前で展開されていた。
ゲートからホールに向かうには確か3段の階段がある。その階段を、ひとりの男性客がゲートで渡したパンフレットを持ちながらホールに向かっていた。客を迎えるバンケットの女性がホールからゲートに向かっており、会談を上り終えた男性客とすれ違った。
その瞬間である。2人の身体が少し触れあったのだろう。男性客が持っていたパンフレットがバサッという音とともに落ちた。
「何するんだ!」
男性客の罵声が響いた。
「これからいい音楽に浸ろうというのに、私にぶつかるとはどういうことだ!」
第3者としてみれば、2人がぶつかるのは2人の責任である。彼女に落ち度はあったかも知れないが、同じ程度の落ち度は彼にもある。それなのに、客だからという一事を持って自分の責任をないことにし、一方的に怒鳴りつける。相手はまだ若さがはち切れる若い女性なのだ。そんなのありか?
「この野郎! 男の風上にも置けないヤツだ。ぶん殴ってやろうか」
瞬時、私はカッとした。しかし、待て待て。私は支配人なのである。私が殴りつけたら事態がさらにややこしくなる。
「申し訳ありません。私どもの不注意でした。以後注意します。本当に申し訳ありません」
落ちたパンフレットを拾い集め、謝罪しながらこの男性客に渡すバンケット女性の横で、私は頭を下げた。彼はジロリと私を見ながらホールに向かい始めた。
その男が、私の声が届かないほどに離れたとき、私は彼女にいった。
「いやなヤツだね。あいつ、出がけに夫婦喧嘩をしたか、会社で上司から怒鳴りつけられたんだよ、きっと。こんな時は、ひたすら頭を下げながら、胸の内では『バカ』っていってベロを出すんだよ」
これもクラシック愛好家の姿の一つである。
私がクラシックファンを
「苦手だった。好きではなかった。嫌いだった。様々な表現が出来るが、真実はこの3つを混ぜて3で割ったようなものであった」
のはそのためである。
ある日、浜離宮ホールを東京芸術大学の先生が借りた。予定表によると、演奏するのはベートーベンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」である。芸大のピアノの先生が小編成のオーケストラを従えて演じるらしい。
クラッシック音楽になじまない私が、この曲が好きなのも人間という生き物の複雑微妙さを現すのだが、それはよい。ベルリンフィルとポリーニが奏でる「皇帝」は実に美しい曲である。
しかし、私は生演奏でこの曲を聴いたことがない。
「よし、聴いてみよう」
この日のホールは芸大の先生が借りている。いくらホールの支配人とはいえ、お貸ししたホールに自由に入る権限はない。が、それはそれ、日本は曖昧さの国である。私は
「こんにちは」
と挨拶しながらホールの客席に座った。
演奏が始まった。5分ほど聴いて、
「この曲、何だろう!」
と思った。
10分ほど聴いて
「『皇帝』らしいけど……、もう出たい!」
と思った。が演奏中にホールを出る失礼は、さすがにしかねた。中休みを待ってほうほうの体で引き上げた。
なるほど、音楽とは奏者によって大きく違うものらしい。
女性ギタリスト、村治佳織さんの連続コンサートを浜離宮ホールで開いた。毎日パートナーが変わる企画で、ある日、ジャズギタリストの渡辺嘉津美さんが相方だった。
見ていてハラハラした。渡辺さんが煽るのである。ずっとクラシックギターをやって来た佳織ちゃん(この娘、可愛いからこう書きたくなる!)を、ジャズギターの複雑なフレーズも早引きも楽々とこなす渡辺さんが
「ほら、俺について来れるか?」
とでもいわんばかりに追い立てる。
「おいおい、それはパワハラではないか?」
とはいわなかったが、佳織ちゃんがかわいそうになった。
その佳織ちゃんと親しく話す時間があった。ホール事務室前の喫茶室、「アラスカ」でのことである。
何を話したか、中身はすっかり忘れた。記憶にあるのは
「この娘、素敵だな」
という思いだけである。
当時彼女は30歳を出たぐらいだった。美人であることは皆様にも同意いただけると思う。だが、私が感じ入ったのは、そんなレベルではない。
実に素直な人である。話していて、全く嫌みがない。何を話してもまるで飾ることなく、自分で思ったこと、感じたことを返してくる。話がそれることなく、自然な流れを保ち続けたのは彼女の頭の良さであろう。
実に清々しい1時間であった。これも支配人の役得か。
パパがプロデューサーで、パパに素直な人だと人に聞いた。
「だから結婚しないのかなあ」
と思っていたら、2014年に結婚したそうだ。目出度い。
「大道さん、村治佳織をやるんですよね。一番前の席を全日通しで買いたいんです。よろしく」
といってきたのは、デジキャスで一緒に仕事をした若者である。
「ああ、いいけど、うちのホールは前から8列目、9列目あたりが一番音が綺麗なんだ。最前列は直接音が強すぎて音のバランスがまとまらないんだぞ」
「いいんです。佳織ちゃんなんです。一番前のかぶりつきがいいんです!」
ま、これもクラシック音楽の楽しみ方の一つである。佳織ファンには多いタイプかも知れないなあ、と思う。
だが、私は一般のクラシックファンより、彼のようなファンを好ましく思う。教養の臭みが全くなく、とにかく、演奏会を楽しみたい(聴くのか見るのかは派別として)と前にのめる。いい男ではないか。
やっぱり私は、クラシック専用ホールの支配人には向いていないのかなあ。