2019
02.06

2019年2月6日 総支配人 その17

らかす日誌

在任中のホールのこぼれ話はほぼ書き尽くした。私のことだからもっと面白い話を忘却しているかも知れないが、それはまあ仕方がない。
ということで、本筋に戻る。

しつこいようだが、私はクラシック音楽をあまり好まない。そんな頭でいつものようにボンヤリしていたら、ふと閃いた。

「浜離宮朝日ホールの音響の良さを、クラシックファンだけに楽しませるのはもったいないのではないか?」

私はロックやジャズを好むが、ファン層の厚さ見れば、最も厚い層をなしているのはJ-Popファンである。であれば、浜離宮でJ-Popのコンサートを開けないものだろうか?

思い立ったら行動に移す。そうしなければ何も始まらない。私はいくつかの音楽事務所に、J-Popコンサートの可能性を打診し始めた。

「えっ、浜離宮でJ-Popをやっていいんですか?」

ある音楽事務所の反応である。

「何度か当時の支配人に当たってみたのですが、浜離宮はクラシック専用である、J-Popなどまかりならん、とお叱りを受けまして、全く諦めていたんですが」

ほう、さようか。歴代の支配人はクラシックおたくであったらしい。このタイプの人々は、クラシックこそ至高の音楽であり、その他ジャズもロックもポップスも下らない3流の音楽だという抜きがたい偏見を持っている。これも、私がクラシックファンを敬遠する一因である。

「音楽には2つのジャンルしかない。いい音楽と悪い音楽だ」

という趣旨のことをいったのは、確かレナード・バーンスタインであった(ググってみたが、出てこない。確かバーンスタインだったと思うのだが……)。歴代の支配人にはその程度の教養もなかったらしい。

「いや、大丈夫です。私はやりたい。いいものがあったら持ってきてください」

とお願いした。しかし、ポップスのコンサート、いったいいくらぐらいする?

聞いてみたのは他の音楽事務所である。

「軽く1000万円を超えますよ」

えっ、軽く1000万円超!
ちょっと待て。1000万円として、552の席数で割ると、1万8000円超。

「それに、ポップスだとPA(場内の音響を調整する)のデッキも必要ですから、10数席は潰れます」

ということは、客ひとり当たりのコストは2万円を越すわけだ。ポップスで、2万5000円払ってやって来る客がどれほどいるか?
552の座席しか持たない小さなホールには荷が重そうである。

「安いミュージシャンはいないのかね?」

小椋佳さんが、出来るだけたくさんの人に自分の歌を聴いて欲しいって、割と安くやってくれるそうですが」

しかし、出来るだけ多くの人に聴いてもらうには、入場料もそれなりに安くしなければならない。それも採算を取るのは難しかろう。

「うーん、やっぱり浜離宮では出来ないかねえ……」

私は、一度は諦めかけた。クラシック音学ファンの殿堂を、もっと普通の音楽が好きな人々にも公開したい。ポップスを素敵な音で楽しんでもらいたい。そんな夢がつぶれかけた。

「ねえ、この素晴らしい音響をポップスファンにも楽しんでもらいたいけど、採算が合わないよなあ」

と愚痴をこぼした相手は、あの日本語が下手な日本人、W君である。

「いや、大道さん、それは素晴らしいですよ。僕もやってみたい。ぜひやろうじゃないですか。少し調べてみます。時間をくれますか?」

くれます、くれます、時間なんて、いくらでもくれます。でも、本当に出来るんだろうか?

「ねえ、ここでポップスをやる。室内楽専用ホールだから大音響を出す音響機器は使えない。いつもはエレキの楽器でやっているグループも、ここではアコースティック楽器に持ち替えてもらう。そうすれば、エレキでやっている曲だってそのままじゃ出来ないから、編曲をやり直すわね。そう、クラプトンでいえば、エレキバージョンの『レイラ』とアコギバージョンの『レイラ』のようなものさ。浜離宮でしか聴けないアコースティックバージョン。ファンなら涙するぜ。そうなると、マイクも取っ払っちゃった方がいい。エレキを通さない生の声って、聴いたことあるファンはそんなにいないだろう? それから……」

「ちょっと待ってください。出来るかどうか、とにかく動いてみますから」

例によって例の如く、W君は私をどこにも連れて行かない。常に単独行動である。事務所に取りのこされた私は、ひたすらW君を待つしかない。

「ちょっといいですか?」

とW君が声をかけてくれたのは、それから2,3ヶ月たってからだったと思う。

できますよ。やりましょう」

嘘のような話である。支配人である私が出来なかったことを、一担当員にすぎないW君が実現する。W君、この仕事についての力量は、私をはるかに凌ぐ。そうではないかと危惧していたことがとうとう実証されてしまったのだが、焦りもなければ悔しさもない。私は心の広い人間である。広い心が喜びで満たされたのである。

でも、どうやって? 1000万円を超えるギャラを払ったらとてもじゃないがやれないぞ。公演スポンサーでもつけるの?

「いや、スポンサーがあればありがたいですが、なしでも出来ます。口説きました。まず、朝日新聞主催で公演出来ることのメリット、朝日新聞紙上に記事として掲載すること、記事だから広告欄の数十倍の宣伝効果があること……。理解してもらいました。1公演○○円でいいということになりました」

○○はギャラの金額である。ここでは秘すことにする。あとあと、音楽事務所に迷惑がかかったら大変だからである。
にしても、だ。当時の朝日新聞はそのように高く評価されていた。いかんながら、いまの朝日新聞ではとても出来そうにない口説き方ではある。

W君は年間スケジュールまで立てていた。

「『Premium meets Premium』というネーミングで、年間2回やります。1回1週間ぶち抜き。毎日違うアーティストが出ます。チケットは、▽▽円で採算が取れます。やりましょう」

これを始めたのは確か2007年ではなかったか。
最初のPremium meets Premiumの、最初の出演者はSkoop on Somebodyだった。知らぬ。聞いたこともない。

「えーっ、大道さん、知らないんですか? いまの若者に結構人気があるヴォーカルグループなんですけどね。リーダーのTAKEは、女優の藤原紀香との仲が騒がれたんですけど」

知らん。そもそも「テイク」って何だ? そんな芸名のヴォーカリストがいるのか?

「違う,違う。これ、タケ、って読むんです」

それほどに知識がない私がポップスコンサートを発案し、W君が実現してくれた。

そういえば当初、私はEric Claptonのアコースティックコンサートをまずやろう、とW君に提案した。浜離宮でポピュラー音楽をやるこけら落としは、Eric Claptonしかない。なぜなら、

・私が聴きたい
・超大物に登場してもらえれば、ホールの名前が一挙に上がる
・Ericが出たのなら俺も出たい、という外タレが多数現れる
・日本公演に来たロックバンドの、アコースティックコンサート会場として定着させたい

計算もした。当時、クラプトンが日本武道館でやるコンサートの入場料は8000円だった。あの会場の定員は1万人。ということは、1公演での収入は8000万円である。
そこから会場費を引き、水道光熱費を引き、警備員の費用を引き、音楽事務所の取り分を引く。残りは6000万円ぐらいか。それがクラプトンに渡るとして、浜離宮に来て欲しいのはクラプトンだけである。クラプトンがギター1本で歌う歌を聴きたい。
とすると、払うべきギャラは4000万円ぐらいだろう。4000万円を552で割ると、7万2000円あまり。ということは入場料は8万円である。

「世界のどこでもやったことがない、クラプトンが自分のギターだけで歌うコンサートだ。それぐらいの金を出すというファンはきっといる」

それが私の論理だった。

が、W君は冷静だった。

「いや、そんなコンサートなら入場料10万円でも行けます。1週間ぶち抜きでやっても、世界中から、プライベートジェットでやって来るファンで客席は埋まってプレミアがつきます。でもね」

と彼の話は続く。

「クラプトンを説得するのが難しい。もうとんでもない金持ちですから、あくせく働く気はないでしょう。そのクラプトンに、日本に来たついでに浜離宮でやらないかと持ちかけても、『何で?』っていわれかねない。何故クラプトンが浜離宮でやるのか、クラプトンにとってのメリットは何か、を彼が納得するように論理づけなければ来てくれません。だから」

さらに続いた。

「クラプトンから始めるというのは大変魅力的なプランで、出来れば僕もやってみたい。でも、いまのホールの実力からしたら、まず小さくポップスコンサートを始める。それを続けながらクラプトンに働きかけるというのが現実的です。とにかく、これまでクラシックしかやらなかった浜離宮ホールがポップスに乗り出すだけで大変なことなんですから」

私はW君の説得力に溢れた論理に抵抗出来なかった。やはり、W君の方がはるかに力がある。

まあ、それはそれとして、話をSkoop on Somebodyに戻す。
彼らは全国ツアーの最終日に浜離宮に登場した。偉いな、と思ったのは、公演1週間前にホールに下見に来たらしいことだ。音を出してみて、全国ツアーで使った楽曲では

「このホールでは通用しない」

と判断した。何しろ、全国ツアーといえば大きな会場でPAを使い、大音量でやる。極端な話、聴衆には聞こえればいい。音質は二の次である。
浜離宮ホールは音質が命である。全国ツアーと同じ演奏、同じ曲ではホールが死ぬ。ホールが死ねば彼らの音楽も死ぬ。
ということで、1週間かけて曲を選び直し、いくつかの曲は編曲し直したそうだ。

1曲目は、確か「上を向いて歩こう(「見上げてごらん夜の星を」だったか?)」だった。それから2時間、アコースティックのコンサートが続いた。うち数曲は、マイクなしの生声で歌ってくれた。浜離宮ホールの良さを最大に利用しようとしてくれた。

コンサートが終わると私は一足先にホールからロビーに出て、客を見送るポジションに着く。ホールから出てくる客に

「ありがとうございました」

と頭を下げて挨拶する。
この日も、同じポジションで、同じ挨拶を続けた。でも、何か違う。もう馴染んでしまったクラシックのコンサートとは何かが違う。
確かに、年齢層はずっと若い。一番多いのは20代の女性だろう。高齢者が多いクラシックコンサートとの最大の違いだが、でも、私の感じた「何か」は、それではない。では、何だろう?

気がついた。ホールから出てくる客の8割が、目のまわりを真っ赤にしているのである。ホール内で泣いていたらしい。えっ、ポップスで泣くか? ではあるが、多分、これまで聴いたことがなかったSkoop on Somebodyの生の音に、心が震えてしまったのだろう。

どうしたことか、それを見送っていた私も感動してしまった。何となく、目がウルウルしてきた。
ポップスのファンは素直である。別の音楽のファンに彼らの爪の垢を配りたい!

「ああ、ポップスをやってよかった!」

そんな思いにとらわれてしまった私だった。

Skoop on SomebodyのTAKEちゃんも思いは同じだったらしい。舞台がはねて挨拶に行くと

「いやあ、いいホールですねえ。凄い、の一言です。歌っていて気持ちが良かった。今日は朝日さんの主催コンサートに出していただきましたが、このホール、私たちが借りて使うことも出来ますか?」

もちろん出来ますと答えたのはいうまでもない。

検索してみたら、Premium meets Premiumはいまでも浜離宮ホールでやっているようだ。気が向かれた方は一度足をお運び願いたい。全く違ったJ-Popが聴けますよ。