03.11
古書は安くてありがたいが、こんな泣き所もある。
年金暮らしとなって徐々に金詰まりになってきた私が、Amazonの中古本にこよなくお世話になっていることは、「らかす日誌」を読み継いでいただいている方々には周知のことだと思う。何しろ安い。文庫本など1冊1円というのもあるから、送料のバカ高さが目につくほどだ。
だから、最近は前橋の紀伊國屋でiPhoneを取り出し、写真を撮ることが多くなった。ものみな価格が上がり、いまではちょっとした文庫本も1000円内外する。どっちみち暇つぶしに読む本に1000円はちと辛い。だから、棚に並んだその本を写真に撮る。自宅に戻り、Amazonでその本を探し、中古本の価格を確かめる。出て間もない本は中古でも価格の下がり方は鈍く、送料を足せば新刊とほぼ変わらないか、むしろ中古本の方が高くなる。こんな本は買わない。文庫本であれば1冊100円を切るのをじっと待つ。それが、最近の私の流儀である。
もっとも、出版されて随分時間がたつのに、なかなか価格が下がらない本もある。こういうのは特殊例で、その際はこの価格を支払っても読みたい本かどうか、そこで考えて購入するかしないかを決める。
今月はすでに7冊を注文した。
1)クラウド・テロリスト(上):44円
2)クラウド・テロリスト(下):1円
3)教養としての大学受験国語:78円
4)数学受験指南術:99円
5)免疫・「自己」と「非自己」の科学:166円
6)算数の発想 人間関係から宇宙の謎まで:41円
7)受験脳の作り方—脳科学で考える効率的学習法:15円
である。書店で撮った写真を元にしたのは1)から4)、5)は我が妻女殿が膠原病であること+医療研究の最前線への興味が動機。6)は、瑛汰の中学受験を手伝っていて算数の面白さに触れたので、
「へえ、算数の発想ってあるんだ」
という素朴な驚きで注文した。7)は4月から高校に進む啓樹に贈ったものである。高校3年間は大学受験という関門と付き合わざるを得ない。脳科学で受験勉強がはかどるのなら結構なことではないか、という狙いだ。事前に読み、まあ、屁の突っ張りぐらいにはなるだろうと思ってAmazonから送った。
このように、私はAmazonで購入した中古本に取り囲まれて日常生活を送っている。まことに素晴らしいシステムを創ってくれたAmazonには感謝するしかないのだが、中古本にはそれなりの問題もある。それが冒頭の写真である。本の一部がバラバラになっているのがおわかりだろうか?
これは早川書房の「隠匿」(リンダ・フェアスタイン著)という本である。いつ購入したかは忘れたが、先週読み始め、先週のうちに読み終えた。
「あれまあ」
と思ったのは105ページを読み終え、106ページを読むべくページをめくったときだった。パリパリ、という音を立てたかどうかははっきりしないが、105、106ページを印刷した紙が、本体から離れてしまったのである。
この本は無線綴じという方法で製本してある。各ページの根っこのところを接着剤でくっつけるやり方だ。最近の文庫本はほとんどこの方法で製本されているようだ。糸や針金を使う製本方法よりコストが下がるのだろう。当初は接着剤の性能が一安定せず、新刊でもページがとれてしまったことがあると聞くが、最近は接着剤の性能も随分よくなった。
だから、新刊で買えばそんな事故は起きないのだが、私が買ったのは中古本である。2005年6月の出版だから、世に出てざっと15年。この15年という時間は、接着剤が仕事をし続けるにはやや長すぎたらしい。ために紙をくっつけておく力がなくなり、私がページをめくるわずかな力に反応して、1枚だけ剥がれてしまったわけだ。
同じ経験をされた方ならおわかりと思うが、無線綴じされた本で、途中のページが1枚剥がれると連鎖反応が起きる。根っこでくっつけている接着剤の接着能力が落ちているのは総てのページで同じである。加えて、1枚剥がれ落ちたことで紙と紙の間にわずかな隙間ができ、次のページがもっとわずかの力で剥がれ落ちるのである。あれよ、あれよといっているうちに、次から次へとページが剥がれ落ちる。これを防ぐには、根っこに力を伝えないことだ。ページをめくるとき、根っこから紙を動かしてはならない。根っこは固定したまま、ページの途中を曲げる感じで次のページに進むのである。
読書家である私は、その程度の事は知っていた。だから実践した。実践したが、剥がれ落ちはなかなか止まらなかった。結局、105ページから194ページまで45枚の紙が剥がれ落ちたところで、私はやっと次のページが本から離れ落ちるのを阻止することに成功したのであった。
剥がれ落ちは止まった。そこで私は考えた。剥がれ落ちたページをどうしよう? とりあえず本に挟んで読み進んだが、片手に本を持って読んでいると、剥がれ落ちたページがずり落ちようとする。入浴中も読書にいそしむ私である。そんなときに剥がれたページが落ちたら水浸しになる。
「根っこにボンドを塗って押しつけたら大丈夫かな?」
「いや、セメダインスーパーXを使うべきだろうか?」
「きちんと製本できるかな?」
考えているうちに読書は進み、残りページが少なくなった。そして、決断は早かった。
「ん、この本、読み終えたら捨てよう」
私は読書かを自認する。読書家であるということは愛書家であるということでもある。本が好きなのだ。だから、読んだ本は捨てない。さすがに家に入りきらなくなった最近は、その中でも手元に置きたい本を書棚に入れ、残りは人に差し上げる。私にはいまいちでも、読む人によっては感銘を受けることもあるだろうからである。だから、捨てることはまずない。
だが、これは自分で所蔵するにも、他の人に読んでもらうにも値しない本だと判断した。作者は元検事さんの女性である。だからこの本でも女性検事が活躍するのだが、それが何とも面白くない。文章がいまいちなのは翻訳者の責任もあるかもしれないが、本筋とは全く関係がないどうでもいいことがズラズラ書き連ねられ、
「原稿料は文字数でもらうの?」(だから、どうでもいいことをたくさん書いたの?)
とでもいいたくなる。それに、盛り上がりに欠ける。ハラハラドキドキも出てこないし、ミステリーの常として最後に犯人が現れるのだが、
「それ、誰だっけ?」
といいたくなる影の薄い人物なのである。どんでん返しもへったくれも何にもない。
だから、捨てる。今日までは写真を撮る必要から保存しておいたが、この原稿を書き終えたら直ちにゴミ箱にぶち込む。
久しぶりに
「読んで損したなあ」
という思いを抱いた読書であった。
で、中国の新型コロナウイルス死者数グラフである。
それにしても、イタリアでの死者数がすごい。すでに600人を超してしまった。ネットで見たら、イタリア北部には中国と関係が深い企業が多数あるそうだ。その社員たちが仕事で中国に出張、帰国して感染源になったらしい。加えて、ハグしたりキスしたり、とにかくベタベタと他人と触れあう生活習慣も手伝っているのではないか、とのこと。
こうしてみると、生産を1地域に頼りすぎた世界中の企業の選択が今回の混乱を招いたともいえる。とにかく、コストが安い中国へ、と日本企業も大挙して押しかけたのはもうずっと前のことだ。
だが、1極集中は、その1極に何かが起きれば生産計画が修正できないほど狂う。今回のように感染症がそこで発生すれば、本国にまで騒ぎを広げる。企業経営者は、危機管理として生産地を分散する知恵を持たねばならない時代に入るのかも知れない。
ということは、多くの工場が中国から出て行くことでもある。しばらくの間、世界の生産拠点として我が世の春を謳歌してきた中国経済も、さてこれからどうなるのか。
当面の経済の混乱はやがて収束し、株価も元に戻り、平時に戻るのだろう。しかし、世界経済の構造変化がこれからじわじわ進み始めるのではないか? そんな気がしてきた私であった。