09.01
タバコが美味い季節がやって来た
9月の声とともに、気温が急落した。午後3時半現在、桐生の気温は26.5℃。秋が来た。いま、エアコンもかけない室内でパソコンに向かい、この原稿を書いている。快適である。
ご承知のように、私はパイプタバコを嗜む。そして、映画鑑賞をしながらパイプを咥える夜を除けば、パイプから煙をくゆらせるのは屋外であることもご存知だと思う。
そのような駐車場蛍の身には、秋の訪れは何よりありがたい。汗をかかずにタバコが楽しめるからである。
夏の盛りに屋外でパイプを咥えるのは、正直辛い。ディレクターズチェアに深々と座り、パイプにタバコの葉を詰めて着火する。火がついたら持って来た本を開き、読書をしながら口中に煙を入れるというのが一連の流れである。
まあ、最初の2服か3服までは汗は流れない。しかし4服目ともなると肌の奥から汗が噴き出し始める感覚が生まれ、5服目、6服目ともなると皮膚を伝って流れ始める。暑さを嫌う私としてみれば地獄の始まりである。首に巻いたタオルで噴き出る汗を吸い取り、再び目を本に落としつつパイプから煙を吸引するのだが、暑さを嫌う私には焦りが生まれる。
「早くエアコンが効いた屋内に入りたい!」
タバコを楽しまれない方々からすれば
「パイプを中断してさっさと屋内に逃げ込めばよかろうに」
という戯画だろうが、こちらはこよなく煙の香りと味を楽しむ人生を送り続けているのである。焦りはするが、だからといってそそくさと屋内に逃げ込むわけにも行かない。汗を拭きつつ、
「ああ、早く燃えつきてくれないか」
と訳の分からないことを願いながら、それでもタバコを味わい続けるのである。
バカも極まれり、というところだろうか。
そのバカな暮らしから、今日脱出した。朝食を済ませてパイプとタバコの葉、それに本(今日は「SFマガジン」)を手に駐車場に出ても、汗が出ない。心いくまでパイプタバコと読書を楽しめる。天国である。
まあ、あと何日かは気温の高い日があるかもしれないが、もう流れはこっちのものだ。日を重ねるにつれて秋は深まっていくのである。天国がさらに快適な居住空間になる!
もっとも、快適さのとどのつまりには、再び苦難の日々が来るのも世の約束である。やがて落ち葉が強風に煽られる日がやって来て、ダウンジャケットなしでは屋外にいるのが辛い季節となる。これも屋外でパイプをやろうという身には地獄である。そういえば地獄には炎熱地獄も摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄(=寒さのため身体が折れて裂け、血が噴き出すそうだ)もあった。喫煙者は所詮地獄の住人なのか?
安倍首相が投げ出した政権を受け継ぐのは誰か。新聞やテレビを見ていると、菅官房長官でほぼ決まりのようだ。彼は確か、第2次安倍内閣を通じてずっと官房長官を務めてきた。首相と官房長官は政権の車の両輪のようなものらしいから、きっと代わり映えのしない政治が続くのだろうと、やや憂鬱である。
この人、官房長官を長年勤めながら、記者会見での答弁に難がある、というのが私の見立てである。テレビニュースで見る限り、どのような質問にも木で鼻をくくったような答しか戻ってこない。安倍内閣の政策を懇切丁寧に、できるだけ多くの国民に理解してもらおうという姿勢が薄いように感じる。
その極めつけは、東京新聞の望月衣塑子記者を追ったドキュメント「i—新聞記者ドキュメント—」(2019年公開、森達也監督)での菅官房長官である。
望月記者の資質、取材姿勢などはこの際問うまい。しかし、公の記者会見で彼女の質問を遮り、あまつさえ
「あなたのご質問にお答え柄する必要はない」(確か、そんな言い方だった)
と言い切ってしまう姿勢はいかがなものか。
そのような人が首相になる。まあ、同じ自民党だから誰がなってもたいした違いはないのかも知れないとは思いつつも、気分はよろしくない。
しかも、である。
自民党は総裁選挙のやり方について党としてのルールを持っているにもかかわらず、そのルールをねじ曲げて菅氏に次期総裁への道を開こうとしている。誰が首相になろうと似たようなものさ、と思いながらも、自分たちが決めたルールを平気で踏みにじる方々が推す人物が日本の首相になるのは悲しいことである。
報道によると、菅氏はあくまでつなぎの首相だという見方もある。遅くとも1年後には衆議院議員選挙がある。地方で人気がない菅首相では選挙は戦えない、と考える自民党員がたくさんいるのだそうだ。だから、1年たたないうちに自民党総裁選挙が行われ、選挙に強い党首が誕生するというのだが。
猿は木から落ちても猿だが、国会議員は選挙で落ちたらただの人
というから、そんな力学が働くのだろう。しかし、政治を動かすのがそんな力学であるとすれば、それはもっと悲しいことであるような気がするのだが、どうだろう?