2021
02.19

さすがの人選であります、日本オリンピック組織委員会長。

らかす日誌

失言を繰り返してとうとう辞任せざるを得なくなった森のじいさんの後継として、橋本聖子おばさんが決まった。どう見ても

流石!

と拍手をしたくなる人選である。感心した。

森のじいさんが最終的に退かざるを得なくなったのは女性蔑視発言だった。

(余談)
一言お断りしておくと、私はあの失言を重視してはおりません。いや、森のじいさんを評価したり、愛したりしているためではありません。私も言ってしまいそうな内容だからでもありません。そもそも、失言で首を取られるということが、何となく腑に落ちないのであります。
森のじいさんに一刻も早く公職を退いて欲しいという思いは人後に落ちないつもりであります。でも、森のじいさんの首を取るのなら、彼の資質、行動、失策など、もっと本質的なことでやって欲しかった。失言など、誰でもすること。時の勢いで口が滑り、思ってもいなかったはずのこと(森のじいさんは思っていた事、でしょうが)が自分の口から出て、
「やばい!」
と青くなるのは誰にでもあることでしょう。その程度の事は笑い飛ばさなければ社会は維持できないのではないか? と考えるゆえであります。
もっとも、森のじいさんご自身は、自分の失言が、なにゆえに失言であるのか、人々から責められるのかをトンと理解されていない様子ですから、これも彼の「本質」であるのかもしれませんが……。

(余談2)
「まだ後が大分あったが、女の事だから、大抵は重複に過ぎなかった」
これ、ある小説からの引用です。「女の事だから」というのは女性差別だと思いますが、さて、これは誰の、何という小説からの引用でしょう?
答は、夏目漱石「それから」の一節です。主人公代介が、嫂の梅子からもらった手紙を途中まで読んだ後に、この文章が出てきます。森事件の直後にここを読んだので記憶に残ったのでありました。ま、漱石の時代なら、それが当たり前の感覚だったのでしょうねえ。

森のじいさんは女性差別発言を世界中から批判されての引責辞任だから、後任は女性がいい。男女平等は日本もやってまっせ、というメッセージをこの後継人事を通じて世界に届けたい。あわせて、83歳はいかにも年寄りすぎる。だからもっと若い人を、とのガースー首相の意向もあって白羽の矢が立ったのが、余り日の光が当たらない競技で五輪出場を続けた橋本のおばさんであったわけだ。高齢だからダメだというのは明瞭なエイジハラスメントだと思うが、これは脇に置いておく。

私が感心したのは、そんな理由だけではない。この人事を通じて、日本は男と女はまったく平等である国である事を高らかに歌い上げる人事でもあるからだ。

なぜならば、である。これまで男の専売特許のように言われてきたセクハラを、女性もするものであるということを世に知らしめたのは橋本聖子のおばさんであった。週刊誌が一斉に彼女の「キス強要事件」を報じたのは、

「セクハラをするような女を、日本オリンピック組織委員会長にしていいのか?」

という主張であったと思うが、なーに、いいのである。自らの地位と権力、影響力を使って性的嫌がらせをするのが、決して男だけではないという事実を、

「男もすなるセクハラといふものを、女もしてみむとてするなり」

と断固として実行し、男と女に違いはないのだ、という強烈なメッセージを発した度胸、実行力は、なるほど、日本オリンピック組織委員会長に相応しいと愚考するものであるが、いかがだろう?

もっとも、日本オリンピック組織委員会というのはオリンピックが終われば解散するものらしい。とすれば、3月、ないし4月に東京オリンピック開催断念が決まれば、即座に解散するのだろう。任期わずか1、2ヶ月の会長職。森騒動があったから報道は盛り上がったが、数年すれば誰も記憶にとどめない会長人事になってしまう?

(余談)で夏目漱石の「それから」に触れた。何で今頃読んでるんだ? と疑問をお持ちの方もあるかもしれないと思うので、少しご説明しておく。

きっかけは映画鑑賞である。現在、日本映画を見続けており、先日、たまたま森田芳光監督、松田優作主演の「それから」の番になった。夏目漱石は大好きな作家である。2時間10分、画面を見つめ続けた。大いに期待したにもかかわらず、終わってみれば

「つまらん!」

の一言に纏まった。これでは、親友の妻を奪い取る不倫物語に過ぎないではないか? そんな小説に、どうして私は強く惹かれたのか?
となると、「それから」をもう一度読むしかない。横浜に行けば漱石全集があるが、桐生には持って来ていない。ふと思いついたのは、電子ブックである。「それから」の版権はとうの昔に切れているはずだ。ならば、無料の電子ブックがあるのではないか?

手元のiPadのiBooksで探したら狙い通りあったので、はじめての電子ブック読書に取り組んだ次第であった。

なるほど、「それから」は粗筋だけ取り出せば不倫物語である。
学生時代の親友が、共通の友人の妹を嫁にする。その後押しをしたのが主人公代介である。3年たって2人に会った代介は2人の間に隙間が出来ている事に気がつき、いつの間にか、実は自分もこの女性(三千代さん)を恋い慕っている事に気がつく。三千代さんも同じ思いを抱いていた。思いを告げ合った2人は……、という筋書きは、2人の間に肉体関係は生まれないものの、立派な不倫小説であろう。

だが、かつて読んだときに深く心に刺さったのは、実は筋書きではなかった。読み返してみて、読者の関心を惹きやすい不倫を描くことで読者を引きずりながら、漱石の狙いはほかにあったとしか私には思えない。
江戸の末に生まれ、明治という近代国家の入り口に差し掛かった日本で思春期を送ったのが漱石である。英国に留学し、世界の最先端にある文明を現地で吸収する機会を得た漱石は、最先端の知識人であり、イギリスの近代的な価値観に圧倒される思いで帰国したのだろう。しかし一方で、漱石は漢詩に歳のほとばしりを見せる、旧時代の知識人でもあった。日本社会はギリギリと音をたてながら変わる。旧時代と新時代双方の最高の知性を備えた漱石は、自分が引き裂かれるような思いに苛まれたはずだ。「それから」は、時代に翻弄されざるを得なかった漱石の苦しみがほとばしり出た小説であるように、私は思う。

代介は大学を出た知識人である。実業家である父は武士の世の価値観を色濃く引きずっている。乗り越えたはずの封建社会の価値観が、近代国家に脱皮したと言われる明治の世にも色濃く残っていた事を体現する人物である。そして、父は代介に見合い結婚を何度も強要する。男は嫁を持って初めて1人前、と信じて疑わない守旧の人なのだ。

そして、代介の兄は封建的な精神に右足を置き、左足は明治の近代合理主義に踏み出している。が、軸がないため、近代合理主義とは経済活動を通じて豊かになることにありと割り切っている、いわば俗物である。
そして三千代の夫である人物は、学生時代は代介と肝胆相照らす親友だったが、結婚して世に出たあとはいわば世間ずれをし、物質文明の虜となっている。

代介は近代精神に信を置く。多分、イギリスに留学した漱石自身を写した人物である。何事も理知的に考え抜き、旧弊に囚われず、自分で納得できる生き方を選び続ける事を心に誓っている。だが、近代国家になる過程にある明治の世がどうしても好きになれない。古い価値観は捨て去っても近代化の名の下に繰り広げられる経済市場主義にはどうしてもなじめない。だから、こんな時代に労働に従事するのは堕落であると断じ、働く事は己の信念を裏切る事だとして職に就かずに暮らす。それができるのは、父と兄からの経済的援助のおかげである。

このような人物たちが絡み合って、いわば時代の歯車が大きな音をたてながら回り続ける明治の世を描き出したところに「それから」の真骨頂があると私は読むのだが、いがだろう?

例えば、これが代介の労働燗である。

「僕の知ったものに、まるで音楽の解わからないものがある。学校の教師をして、一軒じゃ飯が食えないもんだから、三軒も四軒も懸け持をやっているが、そりゃ気の毒なもんで、下読をするのと、教場へ出て器械的に口を動かしているより外に全く暇がない。たまの日曜などは骨休めとか号して一日ぐうぐう寐ている。だから何所どこに音楽会があろうと、どんな名人が外国から来きようと聞きに行ゆく機会がない。つまり楽という一種の美くしい世界にはまるで足を踏み込まないで死んでしまわなくっちゃならない。僕から云わせると、これ程憐あわれな無経験はないと思う。麺麭パンに関係した経験は、切実かも知れないが、要するに劣等だよ。麺麭を離れ水を離れた贅沢ぜいたくな経験をしなくっちゃ人間の甲斐かいはない。君は僕をまだ坊っちゃんだと考えてるらしいが、僕の住んでいる贅沢な世界では、君よりずっと年長者の積りだ」

その代介が親、兄が勧める縁談を峻拒し、三千代と所帯を持つ事を宣言して実家から勘当され、もちろん経済援助も打ち切られる。親の言う事が聞けないのなら勝手にしろ、というわけだ。パンのための労働を軽蔑している代介も、パンなしで生きてはいけない。自分の哲学を裏切って、無駄の極みであると信じて疑わなかった職を求めるしかない。そうしなければ、三千代との暮らしが成り立たない。

「それから」は、恐らく初めて現実と向き合わざるを得なくなって懊悩する代介の姿で幕を閉じる。2つの時代精神の狭間で生きざるを得なかった代介が、自分を堕落させなければ生きてはいけないのだと気がついて苦しむ。代介は明治の日本が直面した苦悩の象徴である。

読了してそう思った。そう思うと、

「なるほどな。これは映画では表現できないわ」

と妙にに納得した。
もちろん、映像でしか表現できない世界がある事に異を唱えるつもりはない。しかし、映像ではどう足掻いても描き出せない世界があり、そこは活字の独壇場である事も事実である。

あ、ついでに電子ブックの長所、短所を。

長所
・字が大きくて老眼に優しい
・無料の本がいっぱい転がっている
・本棚が要らない

短所
・重い
・落とすと壊れる(iPadが)恐れがあり、気が抜けない
・屋外で使うと、ディスプレーへの映り込みが五月蠅い
・冷たい(のはiPadではあるが)。ために、寒い夜は手が痺れそうになる
・有料のコンテンツには古本に該当するものがないため、意外に高価である(私は買わないが)

以上、ご参考になれば幸いである。