09.02
ブラック・ニッカを買って来た。
朝からスーパー・ヤオコーに出かけてブラック・ニッカを買って来た。1.8l入りで1735円。普通のウイスキーの2.5倍入りでこの値段だから、ウイスキー普通瓶に直せば約600円也。そう、このウイスキーを買った最大の目的はコスト削減である。だが、ほんの少しのノスタルジーも混じっている。
私はこのところ、しばしば寝酒を嗜むようになった。酔うほどは飲まないが、グラス半分ほどのウイスキーは寝付きを良くする。コロナに強い体を作るには、十分な栄養とともに十分な睡眠が必要といわれる。寝付きが良くない私なりに考えたコロナ対策が、寝酒であった。
いや、コロナがなくても、布団で横になってなかなか眠りが訪れないのは辛いものである。だから少量のウイスキー、となる。
少量ずつとはいいながら、700mlのボトルでは、10日か半月もすれば空になる。1本1万円を越すウイスキーには流石に手が出ないが(憧れはするが、誰もくれない……)、それでもスコッチなどを買ってくれば2000円はする。少し味の良いものを、と手を出すと、3000円近い出費となる。年金生活の暮らしには、やや、痛い。
そこで、安いウイスキーを物色してみた。思いついたのがブラック・ニッカである。これは、想い出の酒でもある。
私が本格的に酒を飲みだしたのは大学生になってからだから、19歳の折であった(私にも、19歳の折があった……)。私の下宿に5、6人の友が集まり、酒宴を始めた。といっても、酒はハイニッカが1本だけである。当時ハイニッカは1本500円。貧乏学生の集団では、金を出し合っても、それが手に入る最高級の酒であった。
集団の真ん中に座布団が敷かれた。花札でコイコイをやろうという魂胆である。グラスなどというしゃれたものは学生下宿にはない。各人に使い古しを自宅から持ってきた湯飲み茶碗が配られ、ハイニッカが注がれた。
私はハイニッカを胃に流し込みながら、コイコイの見物に廻った。初めての本格的な酒である。味わうゆとりなんてない。まあ、ハイニッカが味わうに足りる酒であったとしても、のことだが。とにかく、私は
「ほう、これがウイスキーの味か。これがハイニッカというものであるか」
とひとり頷きつつ、ウイスキーを飲み続けた。湯飲み茶碗になみなみと注がれたハイニッカを2杯半、飲み干した。そして、1階にあるトイレに小用を足しにいったことまでは記憶に刻まれている。
気が付くと、私は隣の部屋で布団にくるまっていた。外を見上げるともう明るくなっている。朝だ。ん? 俺はみんながコイコイをするのを眺めながらハイニッカを飲んでいたのではないか? あれは夜のことだった。それなのに、何故俺は布団に寝ていて、しかも朝日を浴びているのか?
隣の部屋の住人であったY君を訪ね、
「おい、なんで俺は布団にいるんだ?」
と聞いた。Y君は同じ高校の1年下、大学では同級生である。
「えっ、大道さん、覚えてないの?」
と怪訝な顔をする。当たり前ではないか。覚えていれば君に聞いたりするものか。この言語解読力のなさは、やはり1年の年齢差がもたらしたものか。それとも、彼の頭脳はその程度であったか。いや、1歳の年の差がありながら、彼は私と同じ年に同じ大学に入ったのだから……、きっと入試の成績が私より低かったのだろう。
「いや、全く覚えてないんだわ。気が付いたら布団にいた。何があった?」
彼の解説による、前夜の私の行動は次のようなものであったらしい。
小用を済ませて戻ってきた私は
「おい、もうウイスキーはないの?」
と聞いた。まだ飲むつもりだったらしい。もうボトル1本飲み尽くしたと聞くと、あ、そう、と昭和天皇並みの返答をし、肘枕をしてコイコイに見入ったそうである。やがて、何がおかしいのかケラケラ笑い始めた。笑うだけなら良かったのだろうが、笑いながら、横にいた友の背中を、平手でピシャピシャ、いやバタン、バタンと音をさせながら叩き始めた。
私は高校では柔道部のキャプテンであった。腕力は普通より強かったろう。その腕力で背中を叩き続ける。笑い続けながらの行動だから、悪気はないのに違いない。しかし、悪気があろうとなかろうと、叩かれる方はたまったものではない。
「おい、大道さんを寝せようぜ」
そう、1浪生であった私は、皆の中の最高齢者であった。だから「大道」ではなく、「大道さん」となる。田舎の学生は長幼の序を大切にする。
ま、それはどうでも良いが、相談をまとめた彼らは、力尽くで私を隣の部屋の布団まで運び、横にした。すると、たちまち寝入ってくれたのでみな胸を撫で下ろしたのだそうだ。
「いやあ、それは……」
ない。私には全く覚えがない。記憶のかけらすらない。だから
「嘘だろ? 俺、そんなことしないって」
という反論も出来ない。反論ができないとなると、続く言葉はこれしかない。
「悪かった。ごめん」
以来私は、酒で記憶が途切れたことがない。しかも、あの時飲んだ酒は、たかが湯飲み茶碗に2.5杯である。それしきの酒で記憶が飛んだ。考えて見れば、だらしがない。
以上が、酒初心者の失敗談である。
First contactで失敗はしたものの、それからハイニッカは、私の常用する酒となった。もう少し安いトリスウイスキーがあったが、これは何とも味がいただけなかった。同じ値段でサントリー・レッドもあったが、口に含むとピリピリして嫌だった。私の酒はハイニッカ。そう決まったのである。もっとも、根っからの貧乏学生であった私は、それすらあまり買うことは出来なかった。
だから、時折友人が、
「おい、大道、ホワイトホースがあるんだけど、俺の部屋に来ないか?」
などと声をかけられると、都合のつく限り参上した。酒は、ときにジョニー・ウォーカーの赤であったり、カティ・サークであったりしたが、いずれにしても己では絶対に手が出せない高額ウイスキー(当時)である。
「おお、これがホワイトホースか!」
と拝むようにして口に運び、
「これが高額ウイスキーの味である」
と舌に覚え込ませようとした。まだ施政権がアメリカにあった沖縄から来ている友人(だから、彼は沖縄からの「留学生」であった)が帰省し、大学に戻る土産にオールド・パーなど持参しようものなら、欣喜雀躍、感涙が出て止まらない(というのは大げさかも知れないが)状態で、しみじみと味わったものである。
それでも、常用の酒はハイニッカだった。数ヶ月に1本のハイニッカを買う。それが自分にできる最高の贅沢であった。
とここまで書いてきて、随分長くなったことに気が付いた。時計の針は間もなく日付変更線を越えようとしている。
というわけで、まだタイトルの「ブラック・ニッカ」には行き着かないのだが、今日はここまでとする。
さて、は何故、「ブラック・ニッカ」をタイトルにとっただろう? 私のノスタルジーとは何か? その秘密は明日まで持ち越されることになる。
乞う、ご期待!
いや、というほどのことでもないのだが……。