2023
07.12

私と朝日新聞 岐阜支局の6 治水はできるのか

らかす日誌

私が津市で

「なんという頓馬なテレビ記者がいたものか」

あきれた長良川の水害は、被害を受けた住民が国を相手の訴訟を起こした。国の河川管理の欠陥が水害の原因である、という主張である。
思ってもみなかったが、岐阜に転勤した私は、この訴訟を担当することになった。公判が開かれる度に裁判所の傍聴席に陣取り、メモを取って記事にする。例えば、こんな具合である。

 長良川決壊に関する安八水害訴訟の第8回口頭弁論が8日、岐阜地裁民事部秋元隆男裁判長係りで開かれ、同時に原告の1人、岐阜県安八郡安八町南条、農業西松周六さん(85)に対する証拠保全のための本人尋問が行われた。
 西松さんは、さきにやはり証拠保全のためとして本人尋問が行われた同町西結、農業桑原幸作さん(73)と同様に、昭和初期の堤防改修工事の体験者。51年9月の堤防決壊の原因ではないかとされている丸池部分について「改修は堤防の一番上から土を落としただけで固めようともしなかった。当時、このやり方では危ない、と村の年寄り連中がいっていた」など改修工事がずさんだったことについて供述した。(1978年11月9日)

こんな記事を書き続けた。

裁判とは原告と被告が主張を闘わせる場である。この裁判で、原告の住民側は国の河川改修工事の落ち度こそ水害の原因であるとの主張を繰り返す。被告の国側は、手落ちはなかった、想定以上の降水が原因で、国に責任はないと訴える。国側の主張を立証するために法廷に立ったのは、大学教授をはじめとする治水の専門家といわれる方々だ。

個人としての思いは、原告側にある。現実に堤防が決壊し、多くの被害が出た。水が堤防を越えて住宅地に流れ込んだのなら、想定以上の降水という理屈も成りたつだろう。しかし、堤防が壊れた。堤防に何らかの問題があったとしか思えない。

だが、素人の悲しさである。法廷での論戦を聞いているうちに、段々と自分の考えに自信が持てなくなってきた。何しろ、国側の証人に立つのは、治水については国内では1、2を争う見識をお持ちだといわれている方々ばかりなのだ。
いや、レポートするだけなら、法廷でのお互いの主張を記事にするだけで仕事は済む。しかし、何が本当かを知りたいと思うのは人間の常である。そもそも、治水とはどういうことなのか。それが分からなければ自分のスタンスをかためることができない。

迷った私は、ふと

「中立的な専門家の話を聞くべきだ」

と考えた。法廷に顔を見せる専門家は、原告、被告のいずれかの側に立つ。中でも被告・国側の証人は、様々な形で国と手を取り合っている人が多い。そんな専門家の間での論争では、結局水掛け論に終わるのではないか。

私は福岡に出張した。大学時代の友人の中に、大学に残って教授への道を歩いているヤツがいる。そういえばあいつは工学部だったな。であれば、治水を専門にしている学者を紹介してもらえばいいじゃないか。原告側、被告側の証人にはなっていないという条件付きで。

久しぶりに大学のキャンパスに足を踏み入れた。決していい学生とは言えなかった私だから、さしたる感慨も湧かなかったが、目的は取材である。

紹介された研究者に、長良川水害訴訟の、原告・被告双方の主張を手短に説明した。

「で、それを報道する私としては、どう考えればいいんだろう?」

私の話を聞き終えると、彼は話し始めた。

「治水というのは大変に難しくてね。どんなに雨が降っても水かさが堤防を越えなければいい、というのが現代的な治水の考え方だが、では、何年に1度の水かさに備えるのか。30年に1度か、50年に1度か。でも100年に1度の水かさに備えても、101年目ににはそれ以上の水が出るかもしれない。自然はコントロールができないからね」

「それに、どんなに堤防を高くしても、川の水は山から土砂を運ぶ。運ばれた土砂が川底に貯まり、だんだん川底が高くなる。そうすれば、どんなに堤防を高くしておいても、川底が高くなって意味がなくなる」

「川とはね、1本1本、性格が違うんだ。その川に合った治水をしなければいつかは水害が発生する。例えば、九州の筑後川で成功した治水があっても、それが長良川に適しているかは分からないんだ。僕は長良川のことを知らないから、さて、原告、被告のどちらの主張がまっとうなのか、よく分からない」

いちいち頷ける話だった。
しかし、エジプト・ナイル川、中国の黄河をはじめ、これまで人類は治水に力を注いできたはずだ。そんな知恵の集大成ってないものか?

「うん。僕が素晴らしいと思うのは信玄堤だ。武田信玄が本拠地とした甲府は盆地でね。笛吹川と釜無川が氾濫を繰り返した。それを何とかしなければ、と信玄が築かせたといわれている」

「要は遊水池を作るんだ。普段は川の水は川の中を流れている。しかし、流水量が増えて河道だけでは流せなくなると、遊水池に水が流れ込む仕掛けだ。だから、遊水池には人を住まわせない。自然の力に人の知恵は及ばないという割り切りから生まれた発想だと思う。水害をなくすには、あれしかないと思うんだよ」

「もちろん、日本も人口が増えて、かつては遊水池だったところにも人が住むようになった。だから堤防を高くして、時には河床を浚渫して人家を洪水から守ろうというんだが、自然は人間のそんな思惑を軽々と乗り越えてしまう。治水って難しいんだ」

ふむ。この話、取材者としての私に役立ったのかどうか。出張費に見合ったのかどうか。
それにしても、裁判官はこんな難しい訴訟に、どうやって判決文を書くのだろう? 私のように、学生時代の友人を頼って判断の一助にするのだろうか?

私は裁判継続中に岐阜を離れた。あの訴訟、一帯どんな結論に至ったのだろう?