10.08
私と朝日新聞 北海道報道部の19 札幌ジンギスカンのガイド
札幌出身、東京の女子中高一貫校で長く働き、いまは桐生に移り住んでいるMa氏なる友人がいる。定期的に飲み会を催す仲だが、しばらく前に札幌の話になり、
「ジンギスカンなら『だるま』だよね」
とふと口にした。思いもかけない反応が戻ってきた。
「えっ、大道さん、『だるま』を知ってるの? 札幌の人間だってあまり知ってるのはいないのに」
「だって。ジンギスカンは『だるま』というのは常識でしょう」
こうして『だるま』談義が始まった。
札幌⇒ジンギスカン。これはパブロフの犬のような条件反射である。サッポロの人はよくジンギスカンを食べる。まだ肌寒い5月、咲き始めた桜のもとで花見をする人々は、まるで言い合わせたようにジンギスカンを囲んで盛り上がっている。ジンギスカンはサッポロのソウルフードともいえる。
そして一般には、札幌⇒ジンギスカン⇒サッポロビール園、となる。観光客は決まったようにサッポロビール園に足を伸ばす。だが、それは世間に流通する間違った情報、fake informationにすぎない。
私も何度か、サッポロビール園を訪れた。ここで出てくる羊肉は薄くスライスされ、一皿目はきれいな桜色をしている。肉は食べ放題で、1皿目はすぐになくなるから追加注文をすることになる。2皿目も1皿目と同じきれいな肉に出て来て欲しいと思うのだが、2皿目から色が変わる。どす黒くなるのである。味も落ちる。まあ、その頃には生ビールがそこそこ酔いを誘っているから味で気が付く人は少ないのかもしれない。しかし、色の違いだけははっきり見えるはずである。
まあ、食い放題である。上質の肉ばかり出していたのでは採算が合わないのかもしれないが、同じジンギスカンを食べるのなら、もっと美味い方がいいではないか。
「大道君、美味いジンギスカンを食いに行こう」
と私を誘ったのは確か朝日新聞の同僚だった。
「ビール園?」
「違うよ。あんな所のジンギスカンなんて食えるかよ」
そう言われて向かったがすすきのの「だるま」だった。小汚い店で、外から覗くとカウンター席しかない。おいおい、こんな店、大丈夫かよ。
入って、カウンターに陣取る。壁も窓もカウンターも、何だか油染みている。まあ、ここで連日肉を焼くのだから仕方がないか。でもスーツが汚れそう……。
間もなく肉が出て来た。ん? これ、私が知っているジンギスカンの肉ではない。これまで食べた肉は薄くスライスされていたが、これはぶつ切りではないか。
真ん中が盛り上がったジンギスカン鍋に肉を並べ、焼けたヤツをタレにつけて食べる。ほう、なるほど。ビール園とは違う味だ。美味い。それに、ニンニクがたっぷり利いている。
「俺はさ」
と私を誘った同僚が話し始めた。
「風邪をひいたな、と思うと、ここに来てジンギスカンを食うんだよ。な、ニンニクがたっぶりだろ? だから、引き始めの風邪なんか吹っ飛ぶんだ」
いわれてみればそうかも知れない。しかし、明日の私は臭いだろうな(私は嫌いな臭いではないが)。
食べ終えて、仕上げにご飯を頼む。すると丼飯と一緒にアルマイトのやかんに入った番茶が出て来た。
「この番茶をタレに加えて下さい。美味しいスープになりますから」
いわれた通りにした。そのスープを一口すする。美味い! 肉のうま味がたっぷり入ったタレを番茶(湯ではなく、緑茶でもなく、番茶。この選択も凄い!)で延ばす。番茶の香りが
「これしかない!」
といいたくなるほどマッチするのである。
以来、すすきのの「だるま」は私の行きつけ店になった。
いま「だるま」を検索すると、「だるま」は5店に増えている。店舗の外観写真もきれいだ。あの「小汚い」という印象はどこにもない。そうか、札幌の人々も「だるま」の価値に気が付いて、「だるま」は繁盛を続けているのか。ご同慶のいたりである。
懸念は、飲食店は店舗が増えると味が落ちるという一般則である。私は1店しかない時代の「だるま」しか知らない。5店になった「だるま」はあの味を保ち続けているか?
ジンギスカンは極めてシンプルな料理だ。味の決め手は肉の選択とタレづくりであろう。だから、店が増えても味は変わらないと思うが……。
機会があれば、是非尋ねてみたい店である。