05.08
私と朝日新聞 桐生支局の9 小学6年生の女児が自殺した
お断りしていなかったが、桐生での朝日新聞記者としての7年間を編年体で書くと原稿の焦点がぼやける。よって時間軸を無視したエピソード主義で書き続けることをご承知願いたい。
桐生市新里町で小学校6年生の女児が自宅で首をつって自殺したのは2010年10月のことだった。両親が、学校でのいじめが自殺の原因だと訴えたことから騒ぎが大きくなった。
取材に当たったのは前橋総局の若い県警担当記者(女性)と私である。筋から行けば、県警担当記者が指揮を執り、私がその下に入ることになる。だが、年齢差、経験差はどうしても表に出て、私が指揮官として振る舞うことが多かった。
学校、両親に取材を重ねた。「いじめ」と言われているものの実態が少しずつ見えてきた。
自殺から半月ほどして、私たちは自殺までの経緯をまとめた。
時期 | 亡くなった女児の動き | 学校の対応 | |
4年生の秋 | 愛知県から桐生市の市立小学校に編入 | ||
5年生 | 1学期 | 1学期を振り返る作文で「あんまり楽しくなかったです」「心にきずつくことを言われたからです」と書く | |
10月 | プロフィール帳のカードに「(願い事は)学校を消す」と書く | ||
3月 | プロフィール帳に「うらむ人にやられたことをやりかえす」と書く | ||
6年生 | 1学期 | 「友達にいやなことを言われた」と担任に訴える | 担任が発言した子を指導 |
夏頃 | 転入する前の友達に「大阪に行くんだ」という手紙を書く | ||
9月28日 | 給食を1人で食べるようになる | 席替え | |
10月14日 | 席替え | ||
10月16日 | ノートに「やっぱり『友達』っていいな!」という題の漫画を描く | ||
10月18日 | 再び孤立 | ||
10月19,20日 | 欠席 | ||
10月21日 | 校外学習に参加し、同級生に「なんでこんな時だけ来るの」といわれる。父親が担任に相談 | 担任が発言した子を指導 | |
10月22日 | 欠席 | 給食班廃止 | |
10月23日 | 自宅で首をつって亡くなる |
少し補足しておこう。
・5年生の時、フィリピン国籍の母親の容姿をからかわれる。
・学校で「くさい」と言われるようになった
・仲良しが集まって給食を食べるようになり、この女児は仲間に入れてもらえず1人で食べるようになった
というのが「いじめ」の実態である。なるほど、とは思うが、当時このクラスは学級崩壊状態にあり、「くさい」「きもい」などの言葉が日常的に飛び交っていたともいう。この女児が「くさい」といわれたことが特別であったかどうか。
給食を1人で食べ始めた。席替えをきっかけにそれまでの班が解体し、気が合う児童が集まって給食を食べるようになってこの女児は仲間に入れてもらえなかったのである。気が付いた担任が再び席替えをしてこの女児も班の仲間と給食を食べるようになったが、再び仲間はずれになった。
さて、以上のデータから、この女児の自殺の原因が学校での「いじめ」だったと断言できるだろうか? これしきのこと(と私は思う)で12歳の少女が自ら命を絶つか?
私たちは周辺取材も進めた。その結果見えてきたのは、家庭崩壊の実態である。
近所の人の話によると、両親はパチンコが好きで、夕刻、テーブルに菓子パンを置いて2人でパチンコに出かけることがあった。亡くなった女児とその妹の夕食である。女児が自殺した数日後にも、2人はパチンコ店で目撃されている。
そして何より、女児が首をつる直前、母親と喧嘩をしていたこともわかった。
本当に、学校での「いじめ」が自殺の原因か?
しかも、である。女児の遺族は目下「被害者」である。メディアは「被害者」についての負の情報を出しにくい。メディアが被害者をむち打つ形になるからである。余程のことがあれば別だが、家庭が崩壊状態にあったことをうかがわせる2、3の情報だけで
「女児は崩壊家庭にいた」
とは書きにくい。勢い、メディアの報道は学校の非を追求することになる。6年生の女児が自殺した。その原因を追い求めねばならない。学校でいじめがあった。これだ! と飛びつくのはメディアの正義感だけでなく、早急に結論を求めたがるご都合主義にもよるものではないか。
私はこう考えた。学校で「いじめ」があったのは事実だろう。だが、いくら学校でいじめられようと、家に帰れば両親が自分を守ってくれるという確信があれば、自ら命を絶つ子はいないのではないだろうか?
いや、これは私が考えたことである。これが真相だとは断言できない。だが、学校での「いじめ」が原因だとも言い切れない。
他紙は
学校でのいじめが原因の自殺
と書き立てた。そう書けば記事が大きくなる。スキャンダリズムをこととするメディアにはありがちなことである。だが、12歳の少女が自ら命を絶ったのだ。人目を惹きやすい、安易な道を選ぶのは失礼であると考えた私は、前橋総局の県警担当に
「淡々とわかった事実だけを書こう。事実関係がはっきりしないのに、一方的に学校側を責めるようなことはやめよう」
と提案した。そして、それはおおむね守られたと思う。
後に、東京本社社会部から前橋総局に異動してきた記者に
「あの女の子の自殺事件は抜かれっぱなしだった」
と言われたことがある。抜かれっぱなし、つまり報道合戦で負けが続いたという意味である。
私は、
「抜かれた? 他紙のようないい加減な飛ばし記事で全てが学校の責任だと書き立てるのがスクープなのか? そういうのなら、一度きちんとした議論をしようではないか」
と持ちかけたが、彼はその後、私と議論をする機会を作らなかった。
記者の仕事の原則はレポートである。知り得た事実をそのまま伝えることである。知った事実を適当につぎはぎし、物語を書いて黒白をつけることではない。
私はそう考える記者だった。