09.20
2002年9月20日 横浜にぎわい座
えー、毎度ばかばかしいお笑いでお付き合いを願います。
しかし、あれですな、人間、決まり切ったことをやるってえのは、しばらくはよろしいけれど、長く続くと退屈なもんですな。
昔、イマヌエル・カントってえ、舌を噛みそうな偉い方がいらっしゃったそうで、何でも哲学ってえ訳の分からないことをお仕事になすっていた。この方が、なにしろ時間に正確だったそうですな。この方、電波でいつも時間を正確に保つっていう電波時計を、ご自宅に17台もお持ちになっていたというほどで。
朝起きるのは6時半、7時から飯を食らって、7時18分に食い終わるってえと、7時30分からはNHKのハイビジョンで「さくら」をご覧になる。何かの事情で放送時間がずれたりすると、そりゃあもう不機嫌この上なし、なんてことになりましてね。だから、何時まで続くかわからないプロ野球の中継なんざ、絶対ご覧にならなかったそうでございます。
この方、毎日お散歩をなさった。いえ、あたしなんざのように、犬にせっつかれて糞、小便をさせに行くという下卑た散歩ではございません。この、大哲学者でございますから、お疲れになった頭脳ってえヤツを休ませて差し上げなければ、いくらいい頭といってもたまりません。軽い運動で疲れた頭と神経をお休めになるわけでございます。
ですから、いつもは
「認識が対象に依存するのか、対象が認識に依存するのではないか」
なんて、私らには何のことかわからないことをお考えになっているのでございますが、お散歩のときだけは
「おっ、向こうからガングロが来るねえ。親からもらったきれいなお顔を何であんなに真っ黒けにして、そのうえ模様まで入れるかねえ。無知なるが故に、美しさってものがわからないんだな。親の顔が見てみたいよ、まったく」
「そこへいくと、こっちから来た姉ちゃん。いいね、別嬪だよ、別嬪。お姉ちゃん、お茶でもしませんか」
なんて声かけたりしてね。
カント先生のお散歩ルートは、これもまた正確に決まっていたそうでございますから、この沿線に住んでいた庶民どもは、大先生を時計代わりに使っていた。
「これ、清幸や、カント先生がお通りになったよ。もう6時7分だよ。何してるんだろうねえ、この子は。おまえ、宿題をしていなきゃいけない時間じゃないのかい? それなのにテレビの前に座り込んで。え、BS朝日の原宿ロンチャーズ? 好きな女の子が出てる? 色気ばっかり先走ってやな子だねえ、おまえは。そんなんじゃ偉い人にはなれませんよ。カント先生を少しは見習ったどうだい、爪の垢でも煎じてお飲みよ………。あら、本当に爪の垢をいただいてこようかしら」
なんてことで、外に飛び出したおっかさんは、何とか頼み込んでカント先生の爪の垢をいただいちゃった。それを、こう手ぬぐいでくるみまして、家へ帰るってえと、ホントにとろ火で煎じ始めた。
「さあ、お飲みよ」
ってんで、ホントに清坊に飲ませたといいますから、たまたまカントさんの散歩道に面していただけですのに、清坊にしてみれば、とんだ災難でございます。
でも、親にこんな仕打ちをされればガキってのはツメてえ人間になりそうなもんなんですが、これがどうやら効いたらしゅうございまして、清坊は性格がよかったんでしょうな、アカるい子供になって、のちに麻布中学に合格したっていいますから、人生、まさにあざなえる縄のごとしで、何が幸いするかわかりません。
しかしあれですな、カントさんみたいにお偉い先生は、決まり切った暮らしがおよろしいのかもしれませんが、下賎なあたしなんぞは勤まりませんな。昨日と今日と明日が同じ時間割の暮らしなんていいますと、もう退屈で死にそうになります。
第一、昨日も今日も明日も、1週間先も1ヶ月先も同じ番組しかやらないテレビなんていうのは、どなたにも見ていただけませんです、はい。変化よ来たれ! 変わり身こそ我が人生、てなもんです。
でね、あたし、変えてみました、週末の過ごし方を。
週末ってえとね、平日働いている間は待ち遠しくて仕方がない。
「♪もういくつ寝ると~」
てなもんで、いやな上司の目を盗んで指折り数えたりします。
「てめえの顔を見るのも、今週はあと2日だけだ、ざまあみろ」
ってなもんです。
そういえば、待ちに待った週末に、いやでいやで仕方がない上司と一緒にゴルフに出かけるヤツなんかの気が知れませんな、ホントに。あたしゃゴルフを、「亡国の棒振り競技」と呼んでおりますが。
いや、それは置いといて、いよいよ明日から週末、なんて日になりますと、職場で気のあった連中と、
「明日から連休だねえ。どう、帰りに一杯?」
「いいね、一杯だけだよ、一杯だけ」
などといいながら縄のれんをくぐります。
「ま、ま、ま」
「いや、おっ、とっ、と」
なんて羊と鶏の掛け合いみてえな声出して、お酒をついだりつがれたりしましてな、
「いや、こんな酒も色美味いけどさ、やっぱ理想は4畳半一間で、こう30ぐらいの色っぽいきれいどころとさ、差しつ差されつ飲む酒だよね」
「~三千世界の烏を殺し 主と朝寝がしてみたい、ってか?」
「おっ、よく知ってるね、高杉晋作の都々逸」
なんてやってますと、「一杯」が「いっぱい」になりまして、
「ふえーっ、よく寝たね。おっ、いけねえ、もう昼かよ。かーっ、残ってますよ、昨日の酒が。安い店で安い酒たらふく呑んだからなあ。頭痛いし、もうちょっと寝てるとするか。でも、せっかくの休み、半日損するなあ」
なんて土曜日を迎えてしまいます。
あたしゃ根がまじめですから、こんなことばかり続く週末を、もっとこう、人生に意義があるってーか、有益な、というか、そういう週末に変えちめえてえと思いたったわけで、ついこないだの土曜日、
「横浜にぎわい座」
って所へ行って参りました。
いえね、あたしもつい先日まで知らなかったのでございますよ、横浜で落語が聞けるなんてね。でも、いいことではございませんか、落語を聞きに行くってのは。かの夏目漱石先生も落語が大好きで随分足をお運びになったと申しますから、日本が誇る大衆文化、語りの芸でございますな。
ところが、落語を聞くとなるとどうしてもお江戸まで足を運ばなきゃならねえと思い込んでいたもんですから、これまではご無沙汰してたんでございます。
それがね、何の気なしに朝日新聞の横浜版を読んでおりましたら、この「横浜にぎわい座」で「第1回名作落語の夕べ」が開かれるってえ記事が目に留まったんでございます。木戸銭は3500円。
こういっちゃあ何でございますが、今時、3500円でどこに行けますかってんです。歌ってんのか、金切り声あげてんのかわからないジャリが歌うコンサートみてえなものにでかけたって、8000円、1万円は持って行かれようってご時世だ。我が大和文化の結晶を3500円で楽しめるんでございます。文句があるヤツは、矢でも鉄砲でも持ってきやがれ、ってなもんです。
でね、家族を誘ったんでございます。ところが、1人も付き合おうってのがいない。そのくせ、
「お父さんは行きたいんでしょ、行っておいでよ」
ときやがる。
これ、おかしいと思いません? やけに、
「行け、行け」
ときやがる。ふだんは
「お父さんばかり、美味しいもの食べて、楽しいことして」
なんて文句ばかり言ってる奴らが、ですよ。
折から、3連休の初日でございます。
「さ、面倒なのが出かけたから楽だわ。そうね、楽ついでに、夕食はお寿司を取りましょうか。ええ、お父さんがいないから特上よ、特上。あいた寿司桶は、お父さんが帰ってくる前に取りに来るようにいっといてちょうだい」
なんて会話が交わされるのではないかという、むくむくと沸き上がる真っ黒な疑念を胸に抱きながら、家族に背中を押されて出かけたわけでございます。
自宅からJR鶴見駅まで参りまして、京浜東北線を桜木町駅で降りる。近いですな、そうですね、30分ほどで着いたでしょうか。こんな近くに文化の殿堂があったなんて、気付きませんでした。仕方ありませんよね、あたしなんざ、横浜には寝に帰るだけの横浜都民でございますから。生まれも九州でございますし、横浜のことはちっとも知りはしない。
着いたのが5時過ぎ。聞いてる間に小腹がすいちゃあいけないってんで、近くの蕎麦屋に駆け込んでモリを一枚かっこんで、全席指定でございますから、自分の席について開演を待ったのでございます。
やがて6時の開演が迫る。そうすると「二番太鼓」が聞こえて参りまして、こっちとらの期待を高めてくれるのでございます。
幕が開く。おっ、出てきた出てきた。
何と、最初の登場は、「お口の恋人」で有名な玉置宏さん。なんでも、「横浜にぎわい座」の館長さんだそうで、声の色といい、間の取り方、話の組み立て方、どこをとっても、さすがにしゃべりはお上手。
「人前でしゃべりたいから館長におさまっちゃったの?」
てな茶々を入れたくなるぐらいでございます。
で、出し物はと申しますと、
いま思うと、この順番は絶妙ですな。
「ウナギの幇間」は、幇間がウナギをたかるつもりで、逆にたかられるというお話、「そば清」は、そば50枚を一気に食えるかどうかに5両というお金をかけるお話でございます。どちらも、食い物がでてくるのでございます。
面白いのでございます。いや、あたくしが申しますのもなんですが、さすがプロでございます。耳に心地のよい、いい声をしていらっしゃる。よく通る声をしていらっしゃる。まずもって、この声に聞き惚れてしまいます。
思わず、
「もっと~、もっと~」
と声が出てしまいそうに心地がよろしい。
いや、それはよろしいのですが、食い物の話を聞いていると、思い出すんでございますよ、家族はいまごろ、特上の寿司を食ってるかもしれない、なんてことをね。
そんなところに「お仲入り」が来やがった。ちょうど半分ぐらいのところで、休憩を取るのでございます。
「たばこ吸いたくなったヤツは、外で吸ってこい」
「トイレ行きたいヤツ、行くんならこの時間だぞ」
ってなわけでございます。
ね、それまで食い物の話を聞かされ、家族が「いまごろ、特上の寿司を食ってるかもしれない」なんて考えてるところへ「お仲入り」。こちとらの「お腹」の方も、何か食い物が「お要り」になるようで、これがホントの「お腹要り」ってなことでございますが、ま、早い話、小腹がクウクウ言い始めやがった。
いえねえ、何回も書いておりますように、あたし、自分の口から申すのも何ですが、ほら、周りの方々は皆さん、私のことを「賢い」「賢い」と言ってくださる。
それほどでもねえんですけどね、いや、小腹がすいたときにどうするかという準備だけはちゃんとしてあった。
出かける前に、「横浜にぎわい座」に電話をしたんでございます。
「あ、もしもし」
「はい、横浜にぎわい座でございます」
「亀よ、亀さんよ」
「は? 何でございますか?」
「お宅では亀を、あ、いや失礼、食事をすることはできますか?」
「はい、3階のロビーに売店がございまして、お弁当やビールを販売しております」
「それ、落語を聞きながら食してもよろしゅうございますか?」
「もちろんでございます。座席の前に開閉式の小さなテーブルがございますので、お食事をしていただきながら楽しんでいただけるようになっております」
てなもんです。
そこであたし、「お腹要り」いや、「お仲入り」の時間に、売店に出かけたのでございます。
「あ、そこなるお女中」
「はい、何でございましょうか」
「拙者、少々小腹がすいてきてな、そこもとで売っておる弁当が所望なのだが」
「お武家様、まことに申し訳ございませんが、私どもでお売りしております弁当でございますが、本日ご用意いたしましたのはすべてお売りしてしまいまして、1つも残っておりません。本当に相済まないことでございます」
「なに、弁当がないと! 何を申すか、拙者の小腹を馬鹿にすると、そのままには捨ておかんぞ。そこへ直れ!」
てなことで、楽しみにしておりました弁当はとうとう手に入らず、仕方なく、麦酒2缶と南京豆1袋を抱えて席に戻ったのでございます。
仲入り後の最初は、伯楽さんの品川心中。
「今の品川と違いまして、江戸時代の品川というのは……」
プシュッ。缶麦酒はふたを開けないと飲めませんからな。
グビッ、グビッ。
「その頃、品川の新宿に城木屋という貸し座敷がありまして……」
ガサッ、ガサッ。袋から取り出さないと、南京豆は絵に描いた餅と同じでございますから。
ポリッ、ポリッ、ポリッ、ボリボリボリ。かみ砕かないと南京豆は飲み込むのに苦労しますんです。
グビッ、グビッ。
「本屋の金さん...この人はいいやねぇ、身寄りも無いし、人間がボーッとしてるからちょうどいいや...この人に決めた……」
ポリッ、ポリッ、ポリッ、ボリボリボリ。
グビッ、グビッ。
ポリッ、ポリッ、ポリッ、ボリボリボリ、ボリボリボリ。
グビッ、グビッ、グビッ、グビッ。
いやもう、話を聞いてるのやら、麦酒と南京豆を胃袋に押し込んでいるのやら、忙しいの忙しくないのって。
なにせ、あたしには小腹が5つほどあるようでございまして。
でも、最後の「粗忽の釘」を聞くときには、この騒動も一段落しておりやした。早い話が、麦酒も南京豆も、無事あたしのお腹の中に収容されておりやした。
お話は、あたしに輪をかけて粗忽な方が、引っ越し先の長屋で、箒ををぶら下げるのに壁に8寸釘を打ち込んでしまい、釘の先がお隣の部屋の仏壇の観音様のところに突き出してしまうという騒動でございます。
被害におあいなすった方が、
「こりゃあなた、何ということをしてくださる!」
とお怒りになるのに、粗忽者の方は、
「いけねえ、箒をぶら下げるのにいちいちここまで来るんじゃあ、不便でしょうがねえ」
ってんで下げになるわけですが、
いや、面白うございました。堪能させていただきやした。こういうのを、古典の力に打たれるというんですな。なにしろ、出る釘は打たれる、と申しますほどですから。あ、杭でしたか。
で、あたしは、こう、なんか豊かな心持ちになって、お腹は麦酒と南京豆でパンパンに膨らみまして、しかし、あれですな、南京豆ってヤツは、胃の中で麦酒と同居するってえと、ブーッと膨らむようですな、亭主が酔っぱらって帰ってきたときの女房みてえに。あ、いや、とにかくあたしは、電車に乗って帰ったのでございます。
電車に揺られながら、考えましたな。次は家族を連れて行こうってね。いえね、ほら、あたしが住んでいるところが鶴見でしょ、ツルんで見に行った方が楽しいやってね。
はい、ご退屈さまでした。
(アンコール)
いや、ここで終わってもよろしいんですが、いつもの癖で、ついつい( )なんで書いてしまったものですから。
いえねえ、今回は落語を聞きに行った話を書こうとは決めてたんですが、いざ書こうとすると、どんな風に書こうかってんで、27時間と53分ほど考え込んでしまいましてね。
「おお、そうだ、落語の話なら、落語調がよかろう」
と思いついたんでございます。
思いついたら書き始めるのは、7の次は8みてえなもんで、当たり前田のクラッカーというのはちと古うございますが、とにかく書き出した。
随分書いてからでございますよ、大切なことを考えていなかったと気づきやしたのは。
落語には、「落ち」が必要なのでございます。
落語に「落ち」は付き物でございます。
「落ち」のねえ落語なんて、女友達のいない23歳の男の子みてえなもんで、どうにも締まらない。
考えやしたね、
「落ち、落ち、落ち、落ち……」
今度は33時間18分も考えた。
その結果がこれでございますが、いや、決していい出来だとは思っておりませんです、はい。
ま、それでも、これを思いつくまでは、何とも落ちつかず、
夜もおちおち眠られなかったんですから、お許しをいただきたいと思います。
へい、もう一度、ご退屈さまでした。