09.19
グルメに行くばい!! 第11回 :カワハギのキモ
次の転勤先は、国際都市東京だった。
(余談)
そう、東京は国際都市なのです。
かのJohn Lennonは、アルバム「Mind Games」に収録した曲、「You Are Here」で、このように歌っております。
From Liverpool to Tokyo
What a way to go
From distant lands one woman one man
Let the four winds blow
Three thousand miles over the ocean
Three thousand light years from the land of the rising sun
Love has opened my eyes
Love has blown right through
Wherever you are, you are here
John Lennonの曲にまで出てくる都市が、国際都市でなくて何でありましょうか。
John Lennonといえば、かの20世紀を代表する名曲「Imagine」について、あれは独力で作ったのではなく、ヨーコ・オノのサポートの元に作った、とかなんとか改めて話題になっておりますが、どうでもいいじゃない! 夫婦なんだから、影響し会うのは当たり前でしょ、と思うのであります。
どうでもいいことですが、本日(2003年9月19日)、我が家では朝のうちから「You Are Here」がかかっていました。思わず一緒に歌ってしまいました。
新しい住まいは、ディズニー・ランドで有名になった千葉県浦安市の公団マンションである。
名古屋から東名高速を走り、首都高速に乗り換え、浦安に向かった。我が家には次女が生まれ、5人家族になっていた。5人と、引っ越し荷物を少し積んだ黄色いフォルクスワーゲン・ゴルフが、快調なジーゼルエンジン音を響かせながら、一路、東へ駆ける 。
(詳細情報)
あれほど愛していたフォルクスワーゲン・ビートルを同行することができなかった。転勤の1週間前に壊れたのである(「 中欧編 III : なぜか、ワーゲン」を参照してください)。知多半島の先っぽで送別会をやってもらった帰り道だった。 修理に出したが、ブチ切れたファンベルトの破片を吸い込んでしまったエンジンの喘息は治まらない。この車で東京まで走るのは不安である。泣く泣く、車を買い換えた。ワーゲン・ゴルフの中古である。
財布と相談した結果である新車を買うと納車まで時間がかかり、転勤までに車が手に入らなかったからである。
自らに責任があるとはいえ、3人に増えてしまった子供にかかるコストに負けた。
浦安の町並みが見えてきた。巨大なマンションが林立している。
「コンクリートの街だ」
ちょっと、憂鬱になった。
(どうでもいい話)
畏友「カルロス」は現在、浦安市のコンクリートボックスに住む。
さらに現在は、離婚して浦安を離れた。
長男は小学校に、長女は幼稚園に入った。
2ヶ月ほどして、愚妻がちょっと怒りながら、こんな話をした。
「小学校でね、うちの子が差別されているらしいのよ」
「ふん?」
「『賃貸の子』って呼ばれるらしいの。なんでも、子供に3階級あり、最上層が『戸建ての子』、次が『マンションの子』、一番下が『賃貸の子』らしいの」
ふむ、確かに、我が子は賃貸マンションに住む。親が住むのだから、彼にはいっさい責任はない。しかし、それが学校内での序列に直結し、我が子が最下層におかれるとは……。
きっと、一戸建てに住む家族が、社会構造をそのように図式化したのだろう。マンションを買った家族は、できれば一戸建てに住みたかったと思っているから、その構図に反論ができない。勢い、自分より下を見る。いた、いた、マンションすら買えない家族が! 賃貸マンションの住人である。
賃貸マンションに住んでいると、
「いつかは、せめてマンションを買いたい」
と思う。人情である。
親が、そんな話をする。それが、子供の思考回路にも影響する。
かくして、我が息子は社会の最下層に位置づけられた。
悲しい、
寂しい、
貧しい
発想をする人間が多すぎる!
4ヶ月で横浜に引っ越した。義父、つまり妻の父が、
「せっかく東京に来たんだから、こちらに住まないか」
と提案したからである。
義父の所有する倉庫の2階にあったアパートだった。ここに住んでいた妻の弟夫婦が親とそりが合わず、近くにアパートを借りて出ていった。結果、空き家となっていた。6畳、4畳半にLDK。差別構造からは脱却したが、住宅環境は3ランクぐらい落ちた。これも親孝行だと諦めた。
(注)
今回から、「愚妻」を「妻」に変える。
彼女が賢くなったわけではない。
「愚妻といわれたくない」
と抗議を受けたためである。
謙譲の美徳が分からないらしい。日本語の奥床しさに対する理解を欠いた発言であるが、今後のことを考えて、今回は1歩譲っておく。
職場は東京だ。わがグルメ修行は、もっぱら東京を舞台に進んだ。
よく通ったのは、築地である。先輩達が、
「大道、うまい魚を食いに行こう」
と誘ってくれただけではない。なにしろ、津にいたときに仕入れた知識では、全国の、一番いい魚が、築地に集まる。だったら、築地に行けば、美味しいものが食べられるはずである。論理的に考えれば、そうならざるを得ない。
元気がいい親父が取り仕切っていた魚料理の「Y」、
裏町の食堂みたいなたたずまいで一時ブームになった「T食堂」、
タン塩で名を馳せた焼き肉の「M」、
4000円もあれば腹一杯寿司を食って酒を飲めた「M寿司」……。
「そうか、これが全国から築地に集まってくる特上の味なのか!」
やっと鼻華の東京に出てくることができた。二重橋だよおっ母さん、銀座の恋の物語……。
成り上がり者に特有の、すっかり舞い上がってしまった心理もあったのかもしれない。 築地で食べる魚が、天下の美味に思えた。いや、正確に言うと、これが天下の美味であると、自分に教え込もうとした。なにしろ、論理的に考えた結果なのである。インテリは、自らの論理を信じ、生み出された結論を重んじる種族なのである。
せっせと通った。友人も、仕事先の知り合いも誘って通った。
自らの論理に破綻があったことに気づくのは、しばらく後のことである。
(注)
このシリーズでは、現在でも評価できるお店は、原則として実名で示す。
イニシアルで表記するのは、今ではあまりお薦めしたくない店である。
破綻した論理は次の通りである。
確かに、全国のいいものが築地に集まる。しかし、その飛び切りいいものは、飛びきり高い。だから、客から飛び切りたくさんのお金をふんだくる店にしか行かないのである。我々が、ポケットマネーで通うような店に飛び切りいいもの、飛びきり高いものが回ってくるはずがない。経済の原則である、
しかし、世の中には、そこそこの価格で、飛び切り美味しいものを食べさせてくれる店がある。そんなお店の経営者は、自分で築地に足を運び、自分の目で、適当な価格で飛び切りいい魚を見分け、仕入れてくる。つまり、素材を吟味できる目と、自分の客に美味しい魚をたべさせたいという情熱を持っている。それは、店の場所には関係ない。築地まで仕入れに通えるところに店があれば事足りる。
築地にあるから美味しい魚を出すというのは、論理の短絡である。
(結論)
「Y」は、「小菊」を知って行かなくなった。
「T食堂」「M」は、すっかり価格が上がった。
「M寿司」は店を新築したが、価格と味は当時のままである。しかし、私の舌が成長してしまった。
仕事で知り合った方に、海外生活が長い人がいた。雑談のついでに聞いてみた。
「長く海外で暮らしていて、食べたくて仕方がなくなるものって何ですか?」
まじめな方であった。私の問いに、しばし黙考された。
「………………………、蕎麦、ですね」
「えっ、蕎麦ですか!?」
「そうだ、思い出したら食べたくなった。ここの蕎麦じゃないとダメっていう店があるんですよ。何かのついでだ。ごちそうしますよ。今度の金曜日のお昼は忙しいですか?」
かくして、私はこの方に、蕎麦をごちそうしていただくことになった。
ま、蕎麦程度なら、ごちそうになってもそれほどご迷惑はかけないだろう。気楽に考えた。
(嘆き)
最近は、誰も
「ごちそうするよ」
といってくれない。寂しい。
そんな歳になったのかな……。
金曜日。
その方と一緒に、神田まで足を運んだ。
店にはいると、数人の店員さんが、一斉に
「いらっしゃい~~~」
と歌う。
あれは、間違いなく歌である。部分的にハモったりする。極めて耳に心地よい。
でも、コンサートに来たんじゃなくて、蕎麦を食べに来たんだよなぁ……。
「大道さん、何にしますか?」
「いや、この店は始めてなんで、何を頼んだらいいのかよく分からないんですが」
「じゃあ、私と同じでいいですか? 私は、まず盛りを2枚食べて、最後にかけを食べるんです」
「えっ、そんなに食べるんですか!」
「いや、ここは量が少ないんで、それぐらい食べないとお腹が一杯にならないのですよ」
「はあ、じゃあ、同じものでお願いします」
まず、ビールと味噌が出てきた。この味噌をなめながらビールを飲むのだという。ビールは日本酒になった。江戸は三河の植民地であり、東京は薩摩と長州の植民地である、などという日頃の自説はどうでもよくなった。江戸の地でで、こんな酒の飲み方を考えついた先人に
「あんたは偉いっ!」
と感謝したくなった。
「昼間から飲んでいいのか」
などという常識、良識はこの辺ですっ飛んだ。
やがて、盛りがやってきた。確かに少ない。乗った蕎麦の間から、下のざるが透けて見える。確かに、これでは2枚程度食べたところで、腹の足しにはならない。かえって、空腹感が際だつというものである。
箸で蕎麦をすくい取り、ちょっとだけ汁につけてすすり上げる。プンと鼻にくる蕎麦の香り、歯でかみ切るときの食感、舌触り、きちっとダシがきいてちょっと辛目の汁。一つ一つが、ちゃんと自分の仕事をしている。なるほど、これが海外生活が長くなると懐かしくてたまらなくなる味か。私の舌が納得した。
かけそばもごちそうになり、すっかり満足した。一つ一つの値段を確かめながら、
「盛りを3枚食べないと食べた気にならないんじゃあ、庶民の味にはほど遠いな。蕎麦って、庶民の食べ物ではなくなったのか?」
などと、胸の内で悪態をついてみたものの、味の魅力には勝てない。それから、友を誘い、家族を連れ、何度も通った。12月31日、わざわざ横浜から車を飛ばして年越しそばを買いにも行った。蕎麦の魅力を教えてくれた店である。
(注)
もうお気付きであろうが、未だにこの店の名前を書いていない。この5、6年、全く足を踏み入れなくなったからだ。
私の味覚が向上したのか、この店の味が落ちたのか、は判然としない。いずれにしても、この店にはもう行かない。
我が仲間では「落ちた」との判断が多数派である。
(畏友「カルロス」の蘊蓄)
縄文の時代から、我が先達は蕎麦を食べていました。臼で潰し、ほかの穀類まぜクッキイの様に焼いて保存したようです。
さて中世~近世のそば、最初は脱穀して粒のまま茹でて食べました。後に中国&韓国から粉食が伝わり、まずは、そばがき、つまり練って茹でたおもち状のもの、次いで、そば切りであります。
蕎麦屋に焼き味噌がつき物なのは、味噌の上澄み液に蕎麦を漬けて食べたからです。醤油の発明はずっと後になります。だから、すごくしょっぱいので、蕎麦の先っぽだけを少し漬けてたべたのです。
今はちゃんとしたたれ(かえし)があるので、全部漬けて食べて良いのです。
東京ではまったものに、釣りがある。
始めたのは名古屋時代だ。
長男が横浜の妻の実家に遊びに行った折りに、義父から釣りセットを買ってもらった。この義父は極めて無責任な人で、釣りセットを孫に買ってやりながら、釣りに連れて行くことはしなかった。
物を買ってやりさえすればいいという可愛がり方を「猫可愛がり」という。子供の発育に悪い影響を与えるといわれている。初孫ができた老夫婦が陥りやすい穴ぼこである。
真新しい釣りセットを名古屋に持ち帰った長男は、
「お父さん、釣りに行こうよ」
とねだり始めた。義父の無責任さのつけを、私が払う羽目になった。私はそれまで、釣りなんぞやったことがない。
日曜日、長男と2人で名古屋港の堤防に通い始めた。といっても、どんな魚が釣れるのか、餌は何を使うのか、どのあたりを攻めたらいいのか、仕掛けはどうするのかなど、釣りのイロハの「イ」も知らなかった。
釣り針に餌をつけて海中に投じる。釣れない。周りを見ても、あまり釣れている様子はないが。
翌週行く。釣れない。周りもつれていない。
が、1日潮風にあたり、お昼時に持参のおにぎりを食べる半日は、何とも心地よい。堤防の根っこに、釣り客を狙って屋台のラーメン屋が出ているのもよい。このラーメンをすすりながら、長男とおにぎりを頬ばるのである。気分の良さが、味の悪さなんか吹き飛ばしてしまう。
妻と長女も連れて行く。だが、よちよち歩きの長女が海に落ちたらことである。そこで、ロープの端を長女の腰に結びつけ、逆の端を妻に持たせた。海に滑り落ちたら、このロープで引っ張り上げようというのだ。かなり乱暴だが、落ちたまま浮かんでこないよりましである。
幸い、長女が海に落ちることはかった。
不幸にも、魚は釣れなかった。
少しずつ、釣りの本を読んで研究し始めた。
こんなことを繰り返しているうちに、東京に転勤した。浦安時代は、木更津に通った。渡し船で沖堤に渡り、黒鯛を狙うのである。普段は、小学校が始まるぎりぎりまで寝ている長男も、釣りに行く日だけは午前4時に目を覚ました。
そして横浜。いつの間にか長男は、少年野球のチームに入って釣りの世界を離れた。1人取り残された私が、釣りの世界にのめり込んだ。
秋。
カワハギ釣りに通った。職場で釣り仲間となった先輩が入れ込んでいた。
「大道君、今週も行こうよ」
諾々と従った。
朝7時頃、釣り宿に着く。すぐに餌にするアサリを買い、殻をはずし始める。先が丸くなった平べったい金具を貝殻の合わせ目に差し込み、無理矢理こじ開け、開いたら身だけをこそぎとる。一日分の餌だから、50や60では間に合わない。少なくとも150か、できれば200は用意しておきたい。
カワハギ釣りには、先っぽだけが柔らかい特種な竿を使う。小金を持っている人は、先っぽが鯨のヒゲでできた竿を使う。しなり具合が良く、カワハギの微妙なあたりにも反応するのだそうである。
私には、グラスファイバーでできた万能竿しかなかった。
「弘法は筆を選ばず」
と何度も胸の内で繰り返した。
カワハギ釣りは、仕掛けも特種である。
一番下に重りをつけ、その上に5cmぐらいのハリス(要は釣り糸)につけた数本の針を取り付ける。さらにその上に、キラキラ光る板を数枚取り付ける。これを「集魚器」と呼ぶ。
光る物に目がないカワハギは、この板が日光を反射してキラキラ光るのに心を引かれ、寄り集まる。やってくると、大好物であるむき身のアサリが海中を漂っておる。こうなると、ヤツらの本能がもろに表に出る。パクリ。というわけで、カワハギが釣れる……
ことになっている。
(余談)
ときおり、光り物が好きな女というのがいる。手首、足首、胸、耳たぶ、時には鼻や口、週刊誌によると、希にお臍や股間にまで、キラキラ光る金属を取り付けて、一人悦に入っておる。
ヤツらはカワハギである。光り物に目がない。だとすれば、光り物を見せてやれば俺のところに寄り集まってくるのかなあ。
ヤツらは釣り師である。光り物に引かれて寄ってくるオスどもを釣り上げようというのか?
いずれにしても、私が「小菊」で最初に注文するのは、イワシやサンマ、アジ、鯖など、光り物であることが多い。
俺もカワハギか?
カワハギは、餌取り名人ともいわれる。あたりがちっとも来ないので、仕方なく仕掛けを巻き上げてみると、餌が綺麗になくなっている。
「また餌だけとられた!」
ってなことがしばしば起きる。新しく餌をつけ、海中に投じる。数分後、巻き上げる。また餌がない!
そんなことの繰り返しである。
だから、餌を海中に投じ、重りが底に着いた感触が伝わってきたら、竿を大きくしゃくり上げなければならない。カワハギはほとんど逆立ちをしながら餌を取りに行くことが多いそうで、海面から海底に向かって下降運動をするむき身のアサリに気付くと、猛然と追いかける。重りが海底に着き、アサリの下降運動の速度が鈍ると、直ちに餌に食いつく、そうなのだ。
これは、どうやら本当のようである。23回に1回ぐらいは、確かにこのタイミングで釣れる。
ある日、いつものようにカワハギ釣りに出かけた。カワハギのキモが食べたくなったのである。
1日船に乗って釣り糸をたれていれば、いつもなら最低5、6匹、通常なら12、3匹のカワハギが釣れる。こいつを持ち帰ってさばき、日本酒を片手に、キモを生のままで、あるいは湯通しをして楽しもうという魂胆である。
ところが、この日は風が強かった。竿が風に煽られ、真っ直ぐ出しているのも辛かった。全くあたりが来ない。あるいは、あたりは来ているのかもしれないが、風に煽られ続ける竿は、それを私に伝えてくれない。
いつもななら、外道としてかかってくるウマヅラハギも、来ない。
(注)
釣りの世界では、狙った魚以外の魚が釣れた場合、これを外道といいます。
カワハギを釣りに行って真鯛がかかったら、真鯛が外道です。
メゴチを釣りに行ってマゴチが釣れたら、マゴチが外道です。
なんか違うような気もしますが、そういう習慣です。
夕方まで竿を出して、とうとう1匹もつれなかった。丸坊主である。
(注)
釣りの世界では、魚が全く釣れないことを坊主といいます。
午後4時。空っぽのクーラーを肩から下げて船を下りた。が、カワハギのキモが食べたい。
大きいのは逃がした魚だけではない。釣れなかった魚も限りなく大きい物であることを思い知った。
いずれにしても、ないものはない。クッソー……。
!?
思い出した。カワハギのキモを食べる方法がある。自宅で、カワハギのキモを肴に晩酌を楽しむ方法がある。
私は、クーラーと釣り道具を車に放り込むと、エンジンをかけハンドルを大きく左に切った。
三浦半島の先っぽに、生け簀で生かしてある魚を売っている店があった。何かの折りに見かけ、店を覗いたことがあった。場所ははっきりしないが、確か、こっちの方角だった……。
おぼろげな記憶を頼りに、道路の左右に視線をとばしながら20分ほど走った。あった、あった、この店だ!
車を駐車場に入れ、店に入る。記憶通り生け簀があり、魚が大量に泳いでいる。
いた、いた! 君はカワハギ君ではないか!
いやあ、お腹が膨らんでいる。越冬に備えてキモに栄養をいっぱい貯め込み、フォアグラ状態になっているのである。見るからに美味そうだ。待ってろよ、俺が食ってやるからな!
「おじさん、カワハギっていくらぐらいするの?」
「ああ、漁が悪くてちょっと高いよ」
ドキッ。
「こいつぐらいで、いくらかなあ?」
「待ってなよ、ちょっと量ってみるから。…………。700円だね」
カワハギ1匹が700円。高いのか、安いのか。カワハギのキモに目がくらんでいる男に、正常な判断を求めるのは酷である。
が、目がくらんでいる男にも、多少の計算はできる。
(いつものように、10匹持って帰ると7000円かぁ……)
「おじさん、じゃあ3匹ちょうだい」
自宅。
「どうだった、今日の釣り?」
「ああ、風が強くてあまり釣れなかった。これだけだよ」
ことは、釣り師としての私の名誉に関わる。
お金が購ったカワハギだとは言わなかった。口が裂けても、言えなかった。
いつものように、キモを楽しみ、刺身を楽しみ、残り少なくなったカワハギを鍋にした。
自分で釣ったカワハギのキモも、生け簀のある魚屋で買ってきたカワハギのキモも、同じような味がした。
(余談)
当初、妻は私が釣ってくる魚をさばけなかった。
スーパーやデパートで買ってくる切り身には、平気で包丁を入れるのに、
「目が睨んでる。恐い! 気持ち悪い!」
というのがその言い分であった。
「ばかもの! 魚が、海の中を切り身になって泳いでいるとでも考えているのか!」
と論理的に説明しても 受け入れられなかった。
だが、慣れ、とは素晴らしいものである。
その妻が、いまでは平気で尾頭付きの魚をさばくのだ。
いまでは、まな板に載せられ、妻と目を合わせる羽目に陥った魚の方が、
「目が睨んでる。恐い! 気持ち悪い!」
と叫んでいるように思える。
ということで、今週のレシピ。
【蕎麦を美味しく食べるための汁の作り方】
1,昆布と鰹節で、濃いめの出しをとります。「第4回 ダシ」を参照してください。
2,鍋に味醂1、日本酒1を入れ、火にかけます。沸騰したら鍋を傾けて味醂と酒から蒸発するアルコールに火をつけ、アルコールを完全にとばします。
3,これに醤油1を加えて加熱し、沸騰する寸前でとめます。
4,こうして作った割り下を、先程のダシで割り、好みの濃さにします。
「リンボウ先生」として知られる林望さんが著作の中で紹介されていたものです。そんじょそこらの蕎麦屋で出る汁よりはるかに美味しいものができあがります。
悩みは、市販の麺に、この蕎麦汁と勝負ができるほどの美味しいものが見つからないことです。いい麺をご存じの方がいらっしゃったら、お教え願えればありがたいのですが……。
もう1つ。
自ら失敗作と認める手羽先のクリーム煮(「第6回 :キャベツを食う」を参照してください)にレシピをつけなかったら、いつもの「小菊」のマーちゃんからメールをいただきました。手羽先のクリーム煮の作り方です。
1,100gのバターをフライパンに入れて火にかけ、溶かす。
2,100g小麦粉(この場合は薄力粉。コロッケなんかは、強力粉の方が良いと思います)を加え、弱火で加熱する。
3,15分ほどかき混ぜながら加熱するとトロトロになるので、牛乳0.9リットルを加え、仕上げに0.1リットルの生クリームを加える。これでホワイトソースができました。
4,このホワイトソースを鶏がらでとったスープで伸ばし、塩、胡椒で味を整えます。
この中で材料を煮るのが、クリーム煮の基本だと思います。
コツをいくつか。
牛乳は温めてから注ぐと、小麦粉が、所謂ダマになりません。
手羽先は、事前に塩、胡椒してフライパンで焦げない程度に炒めておきます。その後、白ワインを少々振り掛けるとさらに美味しくなります。
以上、お試しください。